第15回 セカンドライフの「わかりやすさ」について考える(3)
セカンドライフの企業進出とそのバッシングという一連の現象は、インターネットという世界を「空間」(サイバースペース)とみなすのか、それとも「関係性の束」としてみなすのか、といった理解方式を巡る対立軸を背景にしている。
2007年9月 6日 10:30
第15回 セカンドライフの「わかりやすさ」について考える(2)
セカンドライフの「わかりやすさ」とは何かについて、約10年前に書かれた東浩紀氏の論考「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」を手ほどきにしながら、さらに掘り下げてみる。
2007年9月 6日 10:00
第14回 セカンドライフの「わかりやすさ」について考える(1)
「ネット活用が下手」という「21世紀に最ももらいたくないダサいレッテル」を貼られた人たちが、ブログやSNSはスルーしたのにも関わらず、セカンドライフにここぞとばかりに喰らいついたのはなぜか?
2007年8月30日 10:00
第12回 セカンドライフ考察編(8) :「現実世界を模倣する」セカンドライフ/「現在を複製する」ニコニコ動画
ソーシャルメディアとしての「伸びしろ」があるのは、効率的に「盛り上がっている状態(=祭り)」を維持する能力を持つ、ニコニコ動画のような「擬似同期型アーキテクチャ」ではないか。
2007年8月16日 12:16
第12回 セカンドライフ考察編(7) :「いま・ここ性」の複製技術としてのニコニコ動画
ニコニコ動画は100年単位のインパクトを持ったメディア史的事件、といえるのかもしれません。
2007年8月16日 11:31
第11回 セカンドライフ考察編(6) :ニコニコ動画が「活況を呈している」のはなぜか?
ニコニコ動画は、「動画共有サービス」というよりも、「動画《視聴体験》共有サービス」とでもいうべき性格を強く持っています。
2007年8月 9日 03:00
第11回 セカンドライフ考察編(5) :セカンドライフの相性分析
いま一度明確にしておけば、筆者の意図は、決して現状のセカンドライフは「失敗ではない」と主張すること――昨今のセカンドライフ・バッシングからそれを擁護すること――にはありません。
2007年8月 9日 02:00
第11回 セカンドライフ考察編(4) :前回のおさらい
改めて確認すれば、「真性同期型」である以上、セカンドライフは「閑散としている」風景を完全にメタバース上から抹消することはできない。
2007年8月 9日 00:00
第10回 セカンドライフが「閑散としている」のはなぜか? 3
セカンドライフ上で人影が見当たらないからといって、即座にセカンドライフの利用実態がお粗末であると指摘するのは、いささか早計かもしれない。
2007年8月 2日 01:03
濱野智史の「情報環境研究ノート」
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