第10回 セカンドライフが「閑散としている」のはなぜか? 3
2007年8月 2日
■10-3. なぜセカンドライフは「閑散としている」ように見えるのか
さて、本題に戻りましょう。セカンドライフは「真性同期型アーキテクチャ」である。そうだとすると、問題は、なぜそれが「閑散としている」ように見えてしまう(見えやすくなってしまう)のかということです。その原因は、セカンドライフ上では、《一人のユーザーが必ず単一の「場所」にしか存在することができない》という――ごくごく当たり前の――事実に由来しています。
どういうことか。例えばセカンドライフでは、1日前にはたくさんのユーザーが集まって賑わっていた仮想空間上の場所も、次の日には誰もいなくなってしまう――昨日まで盛り上がっていたのが、まるで嘘のように「閑散としてしまう」――ということがありうる。これは非同期型コミュニケーションと比較すればわかりやすいでしょう。ブログやSNSであれば、1日経ったからといって、他のユーザーがいなくなってしまうわけでもありませんし、コミュニケーションの機会が失われることはない。盛り上がっている掲示板の内容は、次の日になっても基本的には追いかけて読むことができる。しかし、同期型コミュニケーションはそういうわけにはいかないということです。
以前本論では、「真正同期型アーキテクチャ」の特徴として、非同期型のそれよりも「機会コスト」が高いと指摘しました。「機会コスト」というのは、「ある人とチャットをするということは、他のことをするチャンス(機会)が失われてしまう」ということです。そしてこの特徴は、裏を返せば、他の人との「同期的コミュニケーション」が成立しない可能性が高いということでもあります。
もちろん現実の世界でも、昔人気があったお店や観光地が、数ヶ月経てばブームも沈静化して閑古鳥が鳴いてしまう、ということはよくあります。しかしセカンドライフは、そのスピードがあまりに早くなる可能性を、その仕組み上内在しています。なぜなら、セカンドライフというアーキテクチャは、「場所」という概念は《現実的》に――現実世界を再現することがある程度可能なように――実装されているのに対し、「距離」(ないしは「移動」)という概念があまりに《非現実的》に――“SLurl”という独自のロケイターや、検索ボタン一発で「テレポート」することが可能――実装されているからです。
ただし、テレポーテーションが可能なら、一瞬で一つの場所に大勢の人々が集まり、「盛況」となることも可能ではあります。しかし、ここでさらに問題になるのは、同時参加ユーザー数の制限です。というのもセカンドライフは、先に「大規模な」レベルでの真性同期型コミュニケーションを実現していると述べましたが、実際には、「プライベートSIM」(企業がセカンドライフから購入するメタバース上の「一区画」)に「共在」できるユーザーの数は、現在のところだいたい40人から50人程度が上限になっています。つまり、セカンドライフは、実際には同じ場所を共有できるユーザーはかなり小規模だということです。これでは、「人々が集まって活況を呈している」という光景それ自体が生み出されにくいのも当然です。
#注釈しておけば、セカンドライフにおいても、「メインランド(本島)」と呼ばれる領域については、LindenLab社がある程度のサーバーのスペックを用意し、より大規模での「共在」を実現しているものと思われます。しかし、企業向けにホスティングしている「離島」については、かなりスペックを下げたサーバを用意しているということなのでしょう。これは渡辺千賀氏も分析しているように、セカンドライフのビジネスモデルは、『「借りっ放しであまり利用しないありがたいユーザー」がたくさんいるホスティング事業』(On Off and Beyond)とみるべきですが、LindenLab社はこのホスティング・モデルを採用することで、固定費を自社だけで負うことなく、低リスクでメタバースという土地を拡大していく可能性を担保しているわけです。
以上をまとめれば、セカンドライフは「広さ」という観点で見れば確かに大規模な仮想空間ではありますが、「人口密度」という点でいえば貧弱であり、それゆえ必然的に「閑散としている」光景を生み出してしまう、ということです。これは逆に言えば、セカンドライフ上で人影が見当たらないからといって、即座にセカンドライフの利用実態がお粗末であると指摘するのは、いささか早計かもしれないということでもあります。次回は、引き続きこの問題について、再び「擬似同期型アーキテクチャ」と比較することを通じて考察してみたいと思います。
(次回に続く)
濱野智史の「情報環境研究ノート」
過去の記事
- 4/9(木)「コミュニケーションデザインの未来」の告知です2009年4月 7日
- 『恋空』を読む(番外編):宮台真司を読む ― 繋がりの《恒常性》と《偶発性》について2008年9月12日
- 『恋空』を読む(3):果たしてそれは「脊髄反射」的なのか――「操作ログ的リアリズム」の読解2008年2月14日
- 『恋空』を読む(2):ケータイに駆動される物語、ケータイに剥奪される内面2008年1月31日
- 『恋空』を読む(1):ケータイ小説の「限定されたリアル」2008年1月15日