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濱野智史の「情報環境研究ノート」

アーキテクチャ=情報環境、スタディ=研究。新進気鋭の若手研究者が、情報社会のエッジを読み解く。

第11回 セカンドライフ考察編(4) :前回のおさらい

2007年8月 9日

(濱野智史の「情報環境研究ノート」」第10回より続く)

■11-1. 前回のおさらい

前回の考察で、セカンドライフはそのアーキテクチャの特性上、「閑散としている」ように見えやすいのではないかと指摘しました。その特性として、1) 「真性同期型アーキテクチャ」であるがゆえに、(非同期型に比べて相対的に)ユーザー間の非接触機会が高い、2) セカンドライフの仮想空間「メタバース」は、「場所」という概念はそこそこ《現実的》に設計されているのに対し、「距離」の概念は《非現実的》に設計されている(=テレポーテーションができてしまう)、3)ひとつの「島」(プライベートSIM)に共在できるユーザー数が数十人程度に制限されている――以上の3点を挙げておきました。

特に3番目の「人数制限」の存在は、致命的な欠陥ではないかという印象を強く与えるものです。ced氏の紹介によれば、米Wiredのセカンドライフ過疎化を伝える記事「How Madison Avenue Is Wasting Millions on a Deserted Second Life」において、セカンドライフは――オルダス・ハックスリーの小説"Brave New World"(すばらしき新世界)ならぬ――"Blank New World"(素晴らしき無の世界)と表現されています(雑記帳 - Second Life : Blank New World(素晴らしき無の世界))。また同記事では、「1CPUあたり70アバター」という人数制限について、元LindenLabの開発者も「それはソフトウェアの欠陥で、いずれセカンドライフはスケールしなくなるだろう」と指摘していたという事実を紹介しています。こうした「欠陥」を抱えたまま巨大化したことで、セカンドライフは過疎化の著しい世界になってしまった、というわけです。

だとするならば、もし仮に「人数制限」というアーキテクチャ上の「欠陥」が今後改善されるとしたら――数百人・数千人規模で1CPU上に共在できる能力が備わっていたとしたら――セカンドライフの「過疎化問題」は解決されるのでしょうか? 確かにそうなれば、常に活況を呈しているような「盛り場」がいくつか形成されるようになり、「どこもかしこも閑散としている」という印象は大分改善されることになるのかもしれません。

しかし、筆者の考えでは、「人数制限」の問題はあまり本質的ではないと思われます。なぜなら、もし仮に3番目の「人数制限」の問題が解決されたとしても、冒頭で挙げた1点目の「真性同期型」という特性が残ってしまう以上、「非同期型に比べて、他のユーザーと出会う機会が必然的に減少してしまう」という傾向自体は変わらないからです。むしろ共在能力が向上したとすれば、「盛り場」と「過疎地域」の人口密度の格差は広がり、過疎地域の「過酷さ」が増大することになるでしょう。皮肉なことに、その結セカンドライフはますます「現実の世界」に近づいていくのかもしれませんが……。

ともあれ、改めて確認すれば、「真性同期型」である以上、セカンドライフは「閑散としている」風景を完全にメタバース上から抹消することはできない。もちろん、仮想空間だろうと現実空間であろうと、どこもかしこも「閑散としていない」という状態はありえませんから、これはあまりにも当たり前の事実を確認しているに過ぎません。あくまで、ブログやSNS等の「非同期型」に比べた場合、「真性同期型」は閑散としているという印象を与えやすい、ということです。

(11-2)へ続く

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プロフィール

1980年生まれ。株式会社日本技芸リサーチャー。慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科修士課程修了。専門は情報社会論。2006年までGLOCOM研究員として、「ised@glocom:情報社会の倫理と設計についての学際的研究」スタッフを勤める。