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濱野智史の「情報環境研究ノート」

アーキテクチャ=情報環境、スタディ=研究。新進気鋭の若手研究者が、情報社会のエッジを読み解く。

第14回 セカンドライフの「わかりやすさ」について考える(1)

2007年8月30日

――セカンドライフ考察編(9)

(濱野智史の「情報環境研究ノート」」第13回より続く)

■14-1. 大企業のセカンドライフ進出の舞台裏

一連のセカンドライフ考察の中で何度か触れましたが、いま少なくない企業が、セカンドライフにこぞって進出しているのは皆さんもご存知のとおりです。そして最近では、単にこうした企業のセカンドライフ進出を疑問視するだけではなく、「なぜセカンドライフにこれだけ企業が率先して魅力を感じてしまうのか?」という舞台裏に関する記事もちらほら見られるようになりました。いわゆる「ぶっちゃけ話」のレベルでは、「セカンドライフはITに詳しくない企業の上層部にも分かりやすい話だから稟議が通りやすい」(爆発するソーシャルメディア - 「セカンドライフ、来るの?来ないの?」)ですとか、「経済紙でも話題の新しい手法」というだけでコンセンサスを得やすく、広告予算を通しやすい。新しいことにチャレンジすれば先進的な企業というイメージもアピールできるし、メディアに報道されればパブリシティ効果も期待できる。」「実際にリーチできた人数は分からなくても、話題になって経済紙などに取り上げられれば費用対効果も十分。新しいことができた、広告を出してよかった、という納得感につながる」(ITMedia - 「Second Life「企業が続々参入」の舞台裏」)ですとか、「企業、従来型メディア、広告代理店は、SNS、ブログをマーケティングに利用するのに遅れただけではなく、ネット活用が下手な人達という、21世紀に最ももらいたくないダサいレッテルを貼られてしまいました。次はもう絶対に失敗しない、そして、われはネット最前線だとアピールしたい」(ITMedia - 「Second Lifeに3度目の正直をかける企業、従来型メディア、代理店」)――といった業界事情が語られている昨今なわけです。

さて、こうした業界の舞台裏を滑稽なものとしてあざ嗤うのもいいのですが――ここで考えてみたいのは、次のようなことです:こうした「ネット活用が下手」という「21世紀に最ももらいたくないダサいレッテル」を貼られた人たちが、ブログやSNSはスルーしたのにも関わらず、セカンドライフにここぞとばかりに喰らいついたのはなぜか? それはおそらく一言でいえばセカンドライフが「わかりやすかったから」というものではないかと筆者は考えます。そして、その「わかりやすさ」には、意外に本質的な背景が隠れているのかもしれない、といったような話をしてみたいと思います。

■14-2. 「関係性」の世界は「わかりにくい」

まず、なぜブログやSNSといった世界が、セカンドライフに比べて「わかりにくい」のかについて考えてみましょう。そもそもブログやSNSの世界というのは、人と人との、記事と記事との《関係性》(=リンク)によって編み上げられているということができます。当初日本でブログ(Movable Type)が知られるようになった2002年、そしてSNS(Orkut)が知られるようになった2004年頃、自分の周囲では、ブログやSNSについて「『これぞWorld Wide Web』という感じがする」「懐かしさを感じる」といった感想を漏らしていました。なぜならブログにしてもSNSにしても、リンクを次々とクリックして別のページへと辿っていく「ネットサーフィン」的な楽しみを思い起こしてくれたからです(*1)。

しかし、これは一部の人にとっては「懐かしさ」をもたしてくれるものでしたが、一部の人にとっては「わかりにくさ」に繋がってしまうことを意味しています。かつての現代思想の言葉を使えば、ブログやSNSの世界というのは、基本的にあちらこちらからのリンクによって構成される「リゾーム(蓮の根茎のようなネットワーク構造)」(*2)的な様相を呈しているということです。そこには既存の「ツリー」型の組織構造に見られる「頂点」や「階層(ハイアラーキー)」といったトポロジカルな特徴を見出すことはできず、クリアにその世界見渡すことのできる視点は存在しません。これはいいかえれば、ブログやSNSの世界となんらかの「関係性」を持っていない人から見れば、それは一目見ても容易に理解することのできない、複雑怪奇な世界にしか見えないということです。

実際問題として、例えばmixiの場合、誰かから招待されなければ、内側に入ってその世界と関係を持つことすらできません。先ほど紹介した3番目の記事では、SNSは『「出会い系サービスじゃないの?」という一言で片付けられてしまい、むしろ怪しいサービスとして聞く耳も持たない』というエピソードが紹介されていましたが(ITMedia - 「Second Lifeに3度目の正直をかける企業、従来型メディア、代理店」)、これもやむなしといったところでしょう。まったく利用していない人から見れば、mixiという「向こう側」の世界は、《密かに》――あくまでmixiのクローズドなアーキテクチャの性格上、そのように見えてしまうという意味において――人々が集まって「関係性」を求め合う世界に見えてしまうからです。

ブログの例も出しておきましょう。かつて自分は2002年の秋からブログをはじめたのですが、当時その面白さは、自分でブログを書き、だんだんと外部サイトから被リンクを受け取っていくことで、だんだんとブログの世界の全体像が見えてくるところにあると感じていました。それはいってみれば、自分のブログをネットワーク上の「ベース=基地」とすることで、「リゾーム」的に入り組んだ世界に対する《視覚》や《地理感覚》が構成されていく体験とでもいうべきものでした。少なくともそれは、検索エンジンを通じてWWWの世界に接するのとは異なる感覚をもたらしてくれたように思います。

さて、少し昔話へと話が逸れてしまいましたが、ともあれここ数年の「Web 2.0」ブームで、ブログやSNSやソーシャル・ブックマーク・サービスがどれだけ盛り上がっていると喧伝されても、実際にそれを「使っていない=関係性を持たない」人々の側から見れば、何がどう盛り上がっているのか、その世界を直感的に理解するのは難しかったのではないかと思われます。――そこで登場したのが、セカンドライフというわけです。そこにはアバターという「身体」もあれば、現実によく似た「建造物」や「都市」が建設されており、リアルマネーを介したユーザー間の「経済」までが存在しているという。こうした「もうひとつの現実」を具現化したというセカンドライフの触れ込みは、「リゾーム」的に入り組んだ世界を「わかりにくい」と感じていた人々――とりわけ大企業という「ツリー型組織」に属し、ネットワーク的な世界に身を置いてこなかった人々――にとって、きわめて「わかりやすい」ものに見えたのではないでしょうか。

次回は引き続き、セカンドライフの「わかりやすさ」とは何かについて、約10年前に書かれた東浩紀氏の論考「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」(『情報環境論集』(講談社BOX、2007年)所収)を手ほどきにしながら、さらに掘り下げてみたいと思います。

(次回に続く)

* * *

*1: 例えばised@glocomでの鈴木健氏の以下の発言など。「(…)SNSが出始めたころ、僕はOrkutに最初に入ったんですが、人の顔写真をどんどんクリックしていく感覚がすごく面白かったんですね。クリックすると次の人の顔が出てきて、次の写真をクリックするとまた次の友達が出てくる。何ホップも延々とクリックしたものです。多分、SNSに入ったばかりの人はみんな同じことをやると思うんですよ。でも、しばらくするとやらなくなってしまう(笑)。友達の新着日記しかみなくなるわけです。僕は結構SNSに可能性を感じていたので、これは結構深刻な問題だと思います。SNSは人間を辿っていくという新しいネットサーフィンのありかたを示していると思ったのですが。」(ised@glocom 設計研第7回:共同討議第1部(4)

*2: ここで用いた「リゾーム」の例は、実際には正確ではありません。というのも、いわゆる「ネットワーク論」の研究が明らかにしているように、WWWのリンク構造は完全に「ランダムな」ネットワークではなく、YahooやGoogleのようなごく一部のサイトに大量にリンクされている「スモール・ワールド・ネットワーク」であることが指摘されているからです(参照:Wikipedia「スモール・ワールド現象」)。だから実際には、案外ブログの世界も、ごちゃごちゃしているようでいて、実際には「狭い世界」でわかりやすいものなのですが……。しかし、本文で論じたのは、そうした認識はあくまでブログの世界と「関係性」を持ってこそ生まれるものであり、ブログの世界と断絶している人々から見れば、それは「リゾーム」的で「ランダムな」ネットワークにしか見えないのではないか、ということです。

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プロフィール

1980年生まれ。株式会社日本技芸リサーチャー。慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科修士課程修了。専門は情報社会論。2006年までGLOCOM研究員として、「ised@glocom:情報社会の倫理と設計についての学際的研究」スタッフを勤める。