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濱野智史の「情報環境研究ノート」

アーキテクチャ=情報環境、スタディ=研究。新進気鋭の若手研究者が、情報社会のエッジを読み解く。

第20回【同期性考察編(1)】インターネットというのは、「非同期的」で「繋がりの社会性」を増幅するがゆえに、拡散するメディアである。

2007年11月15日

(これまでの濱野智史の情報環境研究ノート」はこちら)

第19回でも予告したとおり、今回から数回にかけて、「同期性」に関する考察を展開してみたいと思います。振り返っておくならば、筆者はこれまでアーキテクチャの分析を行うにあたって、Twitterなら「選択同期」(第2回)、ニコニコ動画なら「擬似同期」(第3回第5回セカンドライフなら「真性同期」(第10回)というように、比喩的にいえばその「時制」に着目してきました(*1)。これまで情報社会論/メディア論は、「インターネットは国境(空間的制約)を乗り越える」といった言説や、「情報技術はバーチャルな空間としての『サイバースペース』を構築する」といった言説(第15回)などに見られるように、どちらかといえば「空間」との兼ね合いにおいて語られることが多かったのですが、これに対しCMCのアーキテクチャ・デザインの最前線は、人々が主観的に体験している「時間」をいかにして加工・操作するかという点に主眼が移りつつあると筆者は考えています。特にその中でも、筆者は「疑似同期」という機制を実現しているニコニコ動画に注目してきましたが、今後数回をかけて、「なぜ(擬似)同期性が重要なのか」について改めて考察していく予定です。

さて、先週(2007/11/8)、東浩紀氏が日経新聞のネット媒体『IT-PLUS』に寄せた「「擬似同期」型メディアの登場・人文系が語るネット(中)」というコラムの中で、筆者の「擬似同期」をめぐる論考が紹介されました。とっちらかっていた筆者の論考を、きわめてコンパクトかつ的確に要約して頂いているので、まだ未読の方は、以下の論考に目を通す前にぜひご一読ください。さらにこの東氏の論考では、本ブログの第6回で扱った北田暁大氏の「繋がりの社会性」という概念と、筆者がこれまで論じてきた「擬似同期型アーキテクチャ」の登場という事態が、次のように関連付けて説明されています:

ネットは、本質的に「非同期的」なメディアである。ネットの設計思想は、同じ情報を一気に多数に配信するよりも、それぞれのユーザーに、それぞれの要求に応じて、それぞれのタイミングでばらばらの情報を配信することに適している。だから、ネットのユーザーは、ネットに接しているだけでは、「みなが同じものを見ている」「ほかのユーザーと同じ時間を生きている」と実感することが決してできない。だからこそ、そこでは「つながり」がとくに強く欲望されたのではないか。
繰り返すが、ネットは本質的に「非同期的」なメディアである。それはネットの最大の長所であると同時に、また最大の弱点でもある。「つながり」の台頭に続く「擬似同期的」なサービスの出現は、ネットがある程度成熟し、人々がその弱点に気づき始めたことを意味しているのかもしれない。だとすれば、今後も、Twitterやニコニコ動画のようなサービスは、ますます開発されていくことだろう。

東氏は上の論考を、「人文系」「社会学系」の観点から記述されているのですが、ここではビジネス寄りの観点から、「非同期から擬似同期へ」という流れについて捉え返してみましょう。そこで取り上げてみたいのが、先日WiredVison上で開始された佐々木俊尚氏の連載初回の論考です。ここで佐々木氏は、インターネット上で生産される情報財――ニコニコ動画上で生成されるコンテンツや、掲示板やブログやレビューサイトで交わされるクチコミといった「UGC(User Generated Contents)」の数々――を直接的にマネタイズするのが困難なのは、「インターネットというのは、拡散するメディアである」からだと論じています。

筆者の見立てでは、東氏が(そして筆者が)「繋がりの社会性」や「同期」といった言葉で捉えている事態と、上の佐々木氏のネットビジネスに関する命題は、関心の矛先こそ違うかもしれませんが、パラレルなものとして理解することができます。佐々木氏の命題に言葉を補えば、それは「インターネットというのは、「非同期的」で「繋がりの社会性」を増幅するメディアであるがゆえに、拡散するメディアである」と記述できるからです。

それはどういうことでしょうか。佐々木氏は、インターネット上で情報財ビジネスを展開するのが困難な理由として、コミュニケーションの話題や人々の関心が「拡散しやすい」といった点や、そもそも情報財をつくりあげるプロセスがエンドレスで「区切り」をつけられない、という二つの点を挙げています。一点目は、東氏の表現を借りれば、インターネットの「それぞれのユーザーに、それぞれの要求に応じて、それぞれのタイミングでばらばらの情報を配信する」という非同期性に由来していると考えられる。そして二点目の例として佐々木氏が挙げているのが、ニコニコ動画です。佐々木氏はこのように述べています。

インターネットでの行動は単なる消費でなければ、かといって生産へと向かうわけでもない。消費と生産の中間的なラインを歩んでしまう。それはたとえば、ニコニコ動画のようなモデルを考えればわかりやすい。「ニコニコ動画は他人の著作物の消費であるのと同時にMADのような再構成コンテンツの生産であり、そしてMADは当たり前のことだが、他人の著作物を消費することで成り立っている。そしてこの中間的な構造こそが、ニコニコ動画で生み出された生成物を収益化しにくくする原因となっている」

こうした佐々木氏の指摘は、次のように換言できるでしょう。インターネットは、財の生産者と消費者の境目を「なめらか」(鈴木健)なものとし、アルビン・トフラーがいうところの「プロシューマー prosumer」を次々と輩出する。その一方で、「初音ミク」現象に見られるように(第19回)、こうしたプロシューマーたちが協働して生み出す情報財は、「繋がりの社会性」を志向するコミュニケーションの連鎖プロセスの中に埋め込まれているため、CDやDVDや書籍といった、ネットワークから独立した「モノ」の形態に切り出すことが難しい(*2)。――こうした特徴を持つがゆえに、インターネット上で生成されるUGCは、「貨幣と引き換えに《財》を引き渡す(所有対象を物理的に移転する)」という、最も基本的な条件を成立させること自体が困難である(*3)、と佐々木氏は説明しているわけです。

#ちなみに、「繋がりの社会性」をそのままコンテンツとして切り出すことに成功した事例として、『電車男』(新潮社、2004年)を挙げることができます。さらにこれは余談ですが、ニコニコ動画では、オリジナル系の優れた作品を称して、「これDVDとかにすれば売れるんじゃね?」というコメントが寄せられることも珍しくありません。確かに、もしそうなれば、そのコンテンツは「ニコニコ市場」上では驚異的な売り上げを達成するでしょうし、おそらくそれは近いうちに実現することでしょう。しかし、とはいうものの、ニコニコ動画上のコンテンツは、やはりニコニコ動画のコメントやツッコミとともに見るから面白いのであって、そのコンテンツ単体をDVDなどのパッケージ形態で販売しても、その魅力は半減してしまうものと思われます。おそらく多くの購入者は、DVDでその作品を購入しているのに、結局はニコニコ動画上でそのコンテンツを視聴してしまうはずです。

佐々木氏は、こうしたインターネットの特性を踏まえた上で、「拡散していくインターネットをどこかで集約させる」ことでマネタイズを実現する(*2)、「ウィキノミクス」的なビジネス事例を取り上げていくと予告されているのですが、筆者の考えでは、ニコニコ動画の疑似同期型アーキテクチャは、まさに「拡散していくインターネットを集約させる」方法の一つとして捉えることができます。過去にも述べたように、それは動画の再生時間という有限なる「時間」的尺度をコミュニケーションの範囲として設定し、コミュニケーションの範囲が「空間」的に拡散してしまうのを防いでいる(第7回)。そして、その擬似同期性によって、セカンドライフのような、不特定多数のユーザーが参加可能な同期型アーキテクチャが抱える「閑散化問題」を解消しつつ、同期的コミュニケーションが生み出す「活況感」を効率的に醸成することができる(第12回)、といった具合にです。

とはいえニコニコ動画は、まだまだ収益面では赤字とも報じられており(とはいえ将来的な黒字化のめども立っているともいわれていますが)、まだまだビジネス面での評価を下すのは性急かもしれません。そこで筆者が着目してみたいのは、広告枠としての販売が始まった、(ニコニコ動画 開発者ブログ)、ニコニコ動画の「ニコ割」という機能(通称「時報」)についてです。次回は、「擬似同期型アーキテクチャ」における「真性同期的イベント」とでも呼ぶべき、この「時報」という機能の分析を手がかりに議論を進めてみたいと思います。

(次回に続く)

* * *

*1. 注釈ではなく告知になってしまうのですが、こうした筆者の「時間性」に着目したアーキテクチャ分析について、近々講演させて頂く機会を頂きました。詳細は筆者の個人ページを参照してください。

*2. ニコニコ動画では、製作者と消費者の境界があいまいで、一次製作物と二次製作物の境界もあいまいである(純粋にオリジナルと呼べる作品は少ない)ため、「Revver」や「YouTube」が提供しているような、運営側と動画の製作者側で広告収益をシェアする枠組みを実現するのは難しい、と西村博之氏は発言しています。以下、引用:「僕は、ニコニコ市場のアフィリエイトを権利者とシェアする道はなしだと思っています。ニコニコ動画が荒れてしまいそうな気がします。誰がその作品を作ったかは明確ではないこともあるし、ほかの人がアフィリエイト目的で張る可能性も出てきます。」(「“ひろゆき”がいま、見ているもの:NBonline」)

*3. 今回は佐々木俊尚氏の論考をもとに議論を展開しましたが、今回扱ったいわゆる「情報財の経済学」に関する代表的な文献として、
・カール・シャピロ+ハル・R・バリアン『ネットワーク経済の法則』(初出は1998年。IDGコミュニケーションズ、1999年)
・佐々木裕一+北山聡『Linuxはいかにしてビジネスになったか』(NTT出版、2000年)
・國領二郎「情報価値の収益モデル」(奥野正寛+池田信夫編著『情報化と経済システムの転換』東洋経済新報社、2001年、所収)
などを挙げておきます。これらの先行研究においても、やはりインターネット上(デジタル空間上)で「情報財」から直接収益を挙げるのは困難である、という見解が示されてきました。ここでは、ざっとその内容を確認しておきたいと思います:

周知のとおり、「市場」とは、有限で希少な財や資源を効率的に配分するメカニズムです。これは裏を返せば、希少なものほど価値が高いものとして取引されるということでもあります。たとえば廃盤となったレアな音源(情報財)が、中古で原価よりも高値が付けられるのは、まさにその希少性によっていたわけです。しかし、インターネットの世界では、基本的に情報財は無限にコピー可能になってしまいます(しかもその物理的制約は、梅田望夫氏のいうところの「チープ革命」によってどんどん拡大する)。これを経済学では、情報財の初期製作コストはかかるけれども、それを複製するコストはかからない(=「限界費用」がゼロ)、と表現します。つまり、インターネット空間上では、すでに完成された情報財をやり取りするにあたって、希少性は発生しないということです。それゆえに、インターネット上では、基本的に市場メカニズムを通じて情報財を取引する必然性がない。そのため、周知のとおり、Winnyを初めとするP2Pファイル共有ソフトは、まさに市場メカニズムを媒介することなく情報財を効率的にやり取り可能にするアーキテクチャとして人々に受け入れられ、その一方、いままでモノ(CDやqDVD)に情報財(音楽や映像)を焼き付けることで収益を上げてきたレコード会社などのコンテンツホルダー企業からは、自分たちのビジネスの基盤を危うくさせる存在として敵視されることになりました。

(ちなみに、YouTubeやニコニコ動画もその例外ではなく、やはりコンテンツホルダー側からは少なくない批判にさらされているのですが、P2Pファイル共有の頃に比べると、最近では、ニコニコ動画は「マーケティングの観点で見ればむしろ有益だ」といった主張も多く見られるようです(たとえば、「ニコニコから消されるアニメのDVDは買うべきじゃない - 山に生きる」というエントリを起点に起きた、喧々諤々の議論が記憶に新しい)。ここではその主張の是非や妥当性に関する判断は横に措きますが、P2Pファイル共有と動画共有サイトが大きく異なるのは、前者がいわゆるインターネット(WWW)とは距離的に離れた「アングラ的」な位置にあったのに対し、後者は「リンクをひとつクリックするだけで動画を見ることができる」というそのアクセシビリティの高さゆえに、BBSやブログや掲示板やニコニコ動画上のコメントといった「コミュニケーションの連鎖(繋がりの社会性)の中に埋め込まれている」(ように見えやすい)という点です。つまり、P2Pファイル共有の時代に比べて、動画共有サイトはそのアーキテクチャ特性上、「人々のクチコミに少なからず影響を与えている」というマーケティング的な言説を惹起しやすいといえます。)

ともあれ、「情報財の経済学」をめぐる先行研究は、インターネット上で情報財は希少性を持ち得ないという結論から、「情報財」の財としての希少性ではなく、それ以外の希少性をビジネスモデルの核とすべきであるとの処方箋を提示してきました。たとえば、情報社会においては膨大な数の情報があふれるようになるため、それを処理する人間の「認知能力」(認知限界)が新たな希少性の源泉となる、とみなすアプローチ(國領二郎)はその代表例の一つであり、Googleをはじめとする検索エンジンがビジネス的に大きく成功したのも、基本的にはこのアプローチの延長線上にあるといえます。また、インターネット上の情報財/メディアビジネスの一般的な解決法は、「情報財」ではなく「サービス」(ASP/ウェブアプリケーション/SaaS)の形態で提供するというアプローチや、「広告」というかたちで情報財に寄生し、人々が情報財に向けているアテンションを一部相乗り・横取りさせるアプローチです。実際ニコニコ動画も、高品質な接続回線をあてがうという「サービス」の形で有料課金メニューを提供しつつ、「広告」で収益を稼ぐというアプローチを踏襲しています。

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プロフィール

1980年生まれ。株式会社日本技芸リサーチャー。慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科修士課程修了。専門は情報社会論。2006年までGLOCOM研究員として、「ised@glocom:情報社会の倫理と設計についての学際的研究」スタッフを勤める。