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佐々木俊尚の「ウィキノミクスモデルを追う」

いま劇的な変動期を迎えつつある<集合知ープロダクト>モデル=ウィキノミクスモデルを追う。

インターネットというのは、拡散するメディアである。

2007年11月 5日

 ブログの議論を考えてみればいい。誰かがどこかのブログで自分の意見を書く。それに対して別の誰かが賛同し、批判し、あるいは反発し、批評する。そしてそれらの反応に対して、また別の新たな反応が生まれ、議論はトラックバックやソーシャルブックマークを経由して、鎖のようにつながり、蜘蛛の巣のように広がっていく。もとの意見を書いたブロガーに向かう内向きのベクトルよりは、新たな意見を書く新たなブロガーに向かう外向きのベクトルの方が何倍も強く、この結果、議論はどんどん外側に向かって広がっていく。

 つまりブログの集合知は集約しないのだ。集約しないから、それは世論形成プロセスへと結びつかない。世論形成というのはたとえば多数決や投票、世論調査、マスメディアの社説といった集約的なプロセスへとつながることによって初めて、ポリティカルパワーとなる。「わたしの意見」や「あなたの意見」「彼の意見」「彼女の意見」をまとめて、そのまとめ上げた総体としての力こそが、すなわち政治権力なのである。

 だからこの集約しないブログの集合知をポリティカルパワーに転化するためには、もうひとつ別の仕掛け(アーキテクチャー)が必要になる。それはたとえば、アメリカ大統領候補だったハワード・ディーンが前回の大統領選で具体化させたような、ネットの人々の集合的無意識を集約させる政治運動体SNSかもしれない。あるいはこの集合的無意識を個人の能力によってすくい上げ、政治の世界に集束させるカリスマ(たとえばアドルフ・ヒトラーのように)なのかもしれない。いずれにせよ、それはこれからの課題であって、まだ道筋ははっきりとは見えてきていない。

 集約しないということは、政治パワーを生み出さないのと同じように、マネタイズ(収益化)ももたらさない。インターネットはメディアとしてどんどん拡散していってしまうため、そこでの人々の行動は、形となった最終生成物を生み出しにくい構造を持っているからだ。言い換えれば、インターネットでの行動は単なる消費でなければ、かといって生産へと向かうわけでもない。消費と生産の中間的なラインを歩んでしまう。それはたとえば、ニコニコ動画のようなモデルを考えればわかりやすい。ニコニコ動画は他人の著作物の消費であるのと同時にMADのような再構成コンテンツの生産であり、そしてMADは当たり前のことだが、他人の著作物を消費することで成り立っている。そしてこの中間的な構造こそが、ニコニコ動画で生み出された生成物を収益化しにくくする原因となっている。

 もし最終生成物が生み出されるのであれば、そのプロダクトを販売することによって収益を得ることができる。しかしプロダクトが生み出されにくい構造である以上、そこでは別のマネタイズモデルが必要となってくる。そこでたとえばニコニコ動画は、アフィリエイトモデルを導入している。最終生成物によってカネを得るのではなく、人々が消費と生産を繰り返すそのプロセスに、カネを生み出すモデルを付与していくというアプローチだ。

 このアプローチを極限にまで高めて成功したのは、グーグルだ。人々がインターネット上でとる行動ーー検索する、メールを書く、文書やスプレッドシートを作る、ブログを書く、ブログを読む、動画を観る、ニュースを読む−−といったさまざまな行動にAdWordsやAdSenseなどのターゲティング広告を付与し、これが巨大な収益となることを証明して見せた。従来、人々の行動の結果として生成されたり、得られたりするオブジェクトこそが収益源であるというのが常識だった。しかしGoogleは、行動の「結果」ではなく「過程」こそが収益源であるということを提示し、これはネットの世界においては衝撃的なコペルニクス的転回だったのである。

 なぜインターネットの世界は、最終生成物を生み出しにくいのだろうか。端的に言い切ってしまえば、それはスケーラビリティの問題である。母集団があまりにも大きく、拡大していく傾向にあるため、内向きのベクトルよりも外向きのベクトルの方が強くなってしまうからだ。つまり母集団の極大化と、最終生成物への集約というのは二律背反的であって、両立しにくいのだ。だからインターネットのようなオープンでエンド・トゥー・エンドな世界を集約へと向かわせようと思うと、ある程度はこの母集団のスケール拡大を押しとどめ、一定規模で止めておく必要があった。オープンソースコミュニティのモデルは、この考え方を採用しているといえるかもしれない。

 しかしここに来て、拡散していくインターネットをどこかで集約させることによって、何らかのビジネスへとつなげようという考えがあちこちで生まれてきている。集合知をプロダクトに結びつけようとしているのである。言ってみればそれは、拡散する一方の太陽光を凸レンズによって一カ所に集め、火をおこさせようとするような考え方だ。その新たなパラダイムは、さまざまな言葉で呼ばれている。少し前まではクラウドソーシングという言葉があった。最近はドン・タブスコットとアンソニー・D・ウィリアムスの共著『ウィキノミクス マスコラボレーションによる開発・生産の世紀へ』(日経BP)が話題になったこともあり、ウィキノミクスという言葉がより一般的になってきている。

 こうしたウィキノミクスモデル、すなわち<集合知ープロダクト>モデルには、これまでのところ以下の3つのアプローチがあった。

  1. ウィキペディアやオープンソースのようなデジタルコンテンツを生み出すアプローチ
  2. B2B的アプローチ
  3. 消費者を利用して企業の商品開発につなげていくアプローチ

 しかしこのウィキノミクスモデルは、いまや劇的な変動期を迎えつつある。おそらく今後、次のようなことが起きる。まず第一に、デジタルコンテンツだけでなく、プロダクトを生み出すものづくり分野への展開。第二に、B2BからB2Cへの拡大。第三に、消費者を利用するモデルから、消費者主導モデルへの転換。

 このブログでは、この変動の様相についてさまざまな局面から追っていこうと思う。おそらくこのウィキノミクスモデルは、インターネットビジネスの世界で次にやってくる大きな波となるはずだ。

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プロフィール

ジャーナリスト。1961年生まれ。大手新聞社で警視庁捜査一課、遊軍などを担当し、殺人事件や海外テロ、コンピュータ犯罪などを取材する。その後、月刊アスキー編集部などを経てフリージャーナリストとして活躍中。著書に『グーグル Google ─既存のビジネスを破壊する』『ネットvs.リアルの衝突』『フラット革命』など多数。

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