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濱野智史の「情報環境研究ノート」

アーキテクチャ=情報環境、スタディ=研究。新進気鋭の若手研究者が、情報社会のエッジを読み解く。

第2回「Twitter」と「ニコニコ動画」の共通点(1):Twitter編

2007年5月31日

前回、第一回のエントリでは、このブログのテーマやスタンスについて述べました。それでは遅ればせながら、今回から、「情報環境=アーキテクチャ」の具体的なケーススタディを始めていきたいと思います。

これから数回を通じて取り上げてみたいのは、主に「Twitter」と「ニコニコ動画」という2つのサービスです。両サービスとも、今年に入ってからネット上で大きな注目と関心を集めており、すでにご存知の方/実際に利用されている方も多いことと思います。ひとまず今後数回のエントリのゴール地点を、この2つのサービスの共通点とその背景を浮き彫りにすること、と設定しておきたいと思います。

Twitterについて:「同期的/非同期的」という分析軸(2-1)

では、Twitterのほうから見ていきましょう。このサービスは、「現在自分が何をしているのか」というステータス(状態)に関する情報を、一回あたり半角140文字以内のテキストで投稿する、というものです。Twitterに関する解説・議論はすでに大量に存在しているので、ここでは、Twitterというツールの機能や、その使われ方・ブーム現象について特に触れることはしません。今回焦点を当てたいのは、Twitterを巡る議論でしばしば用いられる、「同期/非同期」という分析軸についてです。

同期/非同期という概念は、「電話は同期的で、手紙は非同期的」といった具合に、コミュニケーション・メディアを分析する際に用いられるポピュラーな概念です。例えば既存のコミュニケーション・サービスであるブログやSNS(や電子メールや掲示板)であれば、ブログの書き手が記事を投稿するタイミングと、そのブログの読み手側が記事を閲覧するタイミングはバラバラです。つまり、情報の発信側と受信側は「非同期的な」(≒同じ時間を共有していない)関係にあります。一方、IMやチャットでは、両者の間でリアルタイムにコミュニケーションが交わされるため、常に両者はPCの前に張り付いてキーボードを叩いている状態にあります。つまり、ここで両者は「同期的な」(≒同じ時間を共有している)関係にあります。

そしてTwitterの魅力あるいは新規性は、ブログやSNSに比べれば「同期的」であるのに対し、IMに比べれば「非同期的」な点にある——ARTIFACTの加野瀬氏の言葉を借りれば、「Twiiterは同期と非同期の狭間にあるツール」(ARTIFACT)——としばしば説明されます。それはざっと次のようなことを意味しています:

・ブログやSNSに比べて、「現在のステータスを共有する」というコンセプトで設計されたTwitterは、発信側と受信側のタイムラグが少ない(=より同期的な)特性を持っています。たとえばフレンドの最新のステータスは、IMや携帯電話等との連携機能によって、ほぼリアルタイムに把握することが可能です。また、Twitterは投稿文字数が短く制限されていることから、ブログ等に比べて、まとまった質/量のテキストを投稿することができません。逆にその制限は、ブログのコメント欄やトラックバックに比べて、より更新感覚の短い/反応の早いコミュニケーションを促すことにも繋がっています。

・とはいえTwitterは、「自分が好きなタイミングで自分の現在のステータスを投稿する」という、あくまで「非同期的」なツールでもあります。「同期的」なコミュニケーション・ツールであるIMやチャットでは、コミュニケーションに参加する主体が同じ時間を共有するため、会話中の「沈黙」は気まずいものとして回避され、常に何かしらの「相槌」を打つ必要に迫られます。それはしばしば圧迫感やストレスや鬱陶しさを与えますが、Twitterはそうした同期的コミュニケーションのもたらす心理的負担を免除してくれるわけです(こうした緊張感の薄さが、しばしば指摘されるTwitterの「ユルさ」に繋がっています)。

同期的なようでもあり、非同期的なようでもある。こうしたTwitterの中間的な性格をより明確に指摘しているものとして、例えば、

・「同期メディアとしての側面もあって、会話的な使われ方に発展するようなこともありますが、ツールの特性としてみた場合は、非同期」(チミンモラスイ?

・「同期型でありつつもそれを強要しない、非同期でも成り立ってしまう同期型」(なみじろうのひまつぶし堂本舗

といった表現を参照しておきたいと思います。特に後者の「同期型でありつつもそれを強要しない、非同期でも成り立ってしまう同期型」という記述は、Twitterの特性をうまく言い当てているのではないでしょうか。Twitterとは、本来であれば、コミュニケーションに置かれた状況を共有しなければ(例えばPCの前に向かって常にキーボードを叩き続けなければ)成立しない「同期的」なコミュニケーションを、各主体が「非同期的」な状況に置かれていても実現してしまうツール、というわけです。

「同期的/非同期的」の分析軸に、「選択的/強制的」の軸を重ねてみる(2-2)

以上がTwitterをめぐる「同期的/非同期的」という分析についての整理になりますが、これを受けて、自分なりにTwitterの特性を言い表すとすれば、それは次のようなものになります:

《Twitterとは、基本的には「非同期的」になされているコミュニケーションを、選択的に「同期的」なコミュニケーションへと変換するツールである》

ここで「選択的」という概念は、「強制的」の対概念として用いています。これはIMやチャットが、「強制的」に同期的なコミュニケーションの維持(=沈黙を避け、相槌を打つこと)を要求するのに対し、Twitterは、ユーザー個々人の自発的な「選択」において、同期的なコミュニケーションを成立させていく、という対比的構図を踏まえたものです。

この点について若干補足をしておきましょう。Twitterは、ユーザー一人ひとりの利用形態においては、「非同期的」なメディアです。どれだけTwitterが「いま何してる?」という現在のステータスに関して発信・共有するツールだとしても、それはいうなれば「孤立分散した現在」に過ぎません。各Twitterユーザーは、(Twitterについてよく使われる表現を使えば)「独り言」のように、時間も場所もばらばらに文字列を投稿するしかない。

さて、ここで、Twitter上で誰かが「夕ご飯はカレーを食べた」と書いたとしましょう。そしてこの書き込みの数分後、フレンドに登録している他のユーザーが、「俺もカレーを食べた」と書いたとします。このとき、この後者の「独り言」は、前者の「独り言」を受けた「会話(コミュニケーション)」としての性格を帯びます(あるいは、帯びる《かのように》見えます)。さらに、このカレーに関する「独り言」のチェーンは、「Twitter使いにありがちなこと」という「あるあるエピソード集」に、「みんなカレーを食ってるので自分も晩飯をカレーにした」と挙げられているように、さらなる「独り言」の連鎖を生み出すかもしれません。この独り言が連鎖する事態を、先ほども引用した加野瀬氏の記事から再び引用すれば、「常に双方向な訳ではなく、基本的に一方通行で、たまに相手から反応があった時のみ双方向になる」(ARTIFACT)と表現することができます(そして加野瀬氏は、この特性はTwitterだけに当てはまるものではなく、ネット上のコミュニケーション全般に当てはまると示唆しています。この点はとても重要ですので、別の機会に後述することになると思います)。

つまり、Twitterは基本的には「独り言」の「非同期的」な発信ツールであるけれども、上に見たプロセスのように、それはしばしば一時的に/局所的に、同期的なコミュニケーションの連鎖を生み出します。とはいえ、その連鎖の発生は、何かシステム的に強制的に/自動的になされるものではありません。あくまでそれは、ユーザーの自発的な「選択」に委ねられているのです。

(ちなみに、この自発的な「選択」は、「俺もカレーを食べた」というステータスを《投稿》する行為に関してだけではなく、「カレーを食べた→俺も→俺も……」という一連の連鎖において、後発の独り言が先発の独り言を受けた「会話(レスポンス)」であると《解釈》する行為にも当てはまります。「カレーを食べた」という独り言の連鎖が、そもそも「繋がっている」のかどうかを判断するのも、原理的にはそれを受け止める側の「選択」に委ねられているということです。)

Twitterに関するまとめと次回予告(2-3)

ここでいったんまとめておきましょう。Twitterは、「同期的でもあり、非同期的でもある」といった具合に、既存のコミュニケーション・ツールに比べて、あいまいで緩やかなツールであるといわれています。そしてこのエントリでは、「同期的/非同期的」という軸に加えて、新たに「選択的/強制的」という分析軸を加えることで、Twitterの特性をより明確に理解することができると論じました。(いささか回りくどい表現になりますが、)すなわちTwitterは、基本的には「非同期的」に行われている発話行為(「独り言」)を、各ユーザーの自発的な「選択」(の連鎖)に応じて、「同期的」なコミュニケーションへと一時的/局所的に変換するツールである、と。

まだまだ指摘しておきたい事柄は数多く残っていますが(例えば、Twitterの「選択性」が果たしているCSCW(Computer-Supported Cooperative Work)的な効果や、「自発的な選択」を促すために施された、Twitterのアーキテクチャ上の特徴等)、ひとまずTwitterについての議論はここで切り上げましょう。字数もかなり使ってしまいましたので、最後にニコニコ動画についての次回予告をしておきたいと思います。

とはいえ、ニコニコ動画について普段利用されている方であれば、おそらくTwitterとニコニコ動画の共通点はもはや明らかではないかと思います。ニコニコ動画のコンセプトは、その開発者に携わった方の言葉によれば、「非同期実況」(ニコニコ動画勉強会 2007-04-25(Wed) の資料:koizuka (swf) P.16)を実現するというものです。本来であれば、2ちゃんねるのスレッド上で「リアルタイムに(同期的に)」行われる《実況》というコミュニケーションを、「非同期的」に実現するということ。つまり、「非同期的な」コミュニケーションを「同期的な」それへと置き換えるという点で、Twitterとニコニコ動画の両者は共通しているのです。

(次回に続く)

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プロフィール

1980年生まれ。株式会社日本技芸リサーチャー。慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科修士課程修了。専門は情報社会論。2006年までGLOCOM研究員として、「ised@glocom:情報社会の倫理と設計についての学際的研究」スタッフを勤める。