第21回【同期性考察編(2)】ニコニコ動画の「時報」はウザイ。しかし、強力である。
2007年11月22日
(これまでの濱野智史の情報環境研究ノート」はこちら)
■21-1. ニコニコ動画の「時報」がもたらしたプチパニック
前回の予告どおり、ニコニコ動画の「ニコ割」(通称、「時報」)と呼ばれる機能を分析してみたいと思います。「ニコ割」というのは、先月(10月)にバージョンアップされた「ニコニコ動画(RC2)」から新たに追加された機能で、ニコニコ動画上で動画を視聴しているユーザーに対し、一斉同時に、音声や映像等のコンテンツを強制的に割り込んで放送する、というものです。いわゆるテレビの「緊急速報」に似ているのですが、大きく異なるのは、「ニコ割」の場合は動画の再生やコメントの投稿も一時的に遮断されてしまうという点です。そのためこの機能は、基本的にはユーザーにとって利便性をもたらすものではなく、どちらかというと広告枠として販売が開始された点に関心が集まっているといえます。
さて、分析を始める前に、エピソードをひとつ紹介しましょう。いまさらの話題になってしまうのですが、この「ニコ割」機能が公表される前日、ニコニコ動画上で実際にテスト放送が行われました。これは現在放送されている「時報」――実にほのぼのした感じで、「ニコ厨の皆さんに2時をお伝えします」などといったメッセージが流れる――とはまったく別のもので、ある種の「緊急事態」をジョーク的に演出するという内容でした。その時の様子をキャプチャした動画が、ニコニコ動画上にアップされているのですが(「ニコニコ割り込み テスト放送(10/09,22:00,2回目)」)、突然、動画の再生がストップし、いわゆる警報サイレンの音とともに「緊急事態」を報じ始めたそのインパクトたるや実に強烈で、たまたまニコニコ動画を開きっぱなしにしていた筆者は、「何事だ!?」と思ってえらくびっくりしてしまったものです。ふだんPCを使っている状態というのは、よくいわれるように、「能動的」に情報を取りに行く「プル Pull」の状態にあって、デスクトップ画面に、なんらかの情報が強制的かつ予期せぬ形で「プッシュ Push」されることは滅多にありません。ですから正直なところ、このテスト放送に直面した筆者は、コンピュータ・ウィルスか何かにでも感染したのかと思ったほどです。そうした恐怖を感じたのは筆者だけではないようで、上のキャプチャ動画には、「これは怖かった」「トラウマになった」といったコメントが散見されます。
いささかおおげさなことをいえば、この「ニコ割」のテスト放送が与えた迫真感は、メディア論やマスコミュニケーション論では必ずといっていいほど言及される、ある歴史的事件を筆者に想起させました。それは1938年の米国で、オーソン・ウェルズの『宇宙戦争』を元にしたラジオドラマが放送された際、「火星人が襲来した」というフィクションの内容が現実に起きているものと勘違いされ、社会的なパニックを引き起こしたともいわれる事件のことです。もちろん、ニコ割は実際にはパニックなぞ引き起こしていませんから、この事件と比較するのは、なんともおおげさだと思われるかもしれません。しかし、筆者がここで主題としている「同期性」の特性を考察する上では、両者は並べて考察するに値する事件なのではないかと思います。それはどういうことでしょうか。
■21-2. 「キラートピック」としての「時報」――それは「擬似同期性」を破壊する
それでは分析を始めましょう。現在のところ「ニコ割」機能は、上でも触れたように「時報」を放送するものとして利用されており、テスト放送時のような衝撃を与えるものではなくなっています。とはいえこの「時報」が流れ始めると、動画を視聴している最中であっても、有無を言わさずその再生がストップしてしまうわけですから、利用者の側から見れば、「時報」は単にジャマな存在でしかありません。実際、その後あちこちの動画には、「時報うざい」といった趣旨のコメントが数多く投稿されています。
それを見て筆者が思ったのは、これはIM(インスタント・メッセンジャー)で会話をしている最中や、オンラインゲームをプレイしている最中に、(比較的軽微な規模の)地震が起きたときと似ている、ということです。経験のある方も多いかもしれませんが、IMやチャットなどの「同期的コミュニケーション」の最中に地震が起こると、その話者間では、必ずといっていいほど「あ、地震だw」「ほんとだ」「こっちでは揺れてないよ?」といったような実況的会話が交わされるものです。「選択同期」型のTwitterでも、やはり同様に地震についての書き込みが数多く投稿されていることがわかります。
それでは、「同期的コミュニケーション」の最中において、なぜ「地震」という自然現象がコミュニケーションのトピック(ネタ)になりやすいのでしょうか。ひとことでいえば、それは「繋がりの社会性」を強化するための格好のネタになるからです。地震という自然現象は、広範な地域にほぼ同時に影響を及ぼすという点で、きわめて強力な「同期性」を帯びた事象(イベント)です。それゆえ同期的事象は、同期的コミュニケーションを行っている状況下において、互いが確実に「繋がっている」という事実性を再確認し、共有し、強化するための格好のトピックとなる。それはいうなれば、「必ずネタになる」という意味で、「キラーコンテンツ」ならぬ「キラートピック」だということができるでしょう。
ニコニコ動画のユーザーたちが、「時報」の直後に「時報うざい」と思わず書き込んでしまう心理は、おそらくこの「地震」と同じものなのではないかと思います。しかし、ここで重要なのは、ニコニコ動画上の「同期的コミュニケーション」というのは、過去にも詳説したとおり、あくまで「擬似同期」的なものだということです。ニコニコ動画上では、同じ動画を視聴するユーザー同士があたかも同期的にコミュニケーションを交わすような感覚を得られるけれども、実際には、その動画を視聴しコメントを投稿している時間は「非同期的」、つまりばらばらです。例えばAというユーザーが深夜2時に「ニコ割」に遭遇して、「時報うざい」と書き込んだとしましょう。しかし、その「時報うざい」というコメントを深夜4時半に見たユーザーBからすれば、ユーザーAの「時報うざい」という感覚をリアルタイムなものとして共有することはできません(*1)。むしろ、後者のユーザーBから見れば、前者のユーザーAが投稿する「時報うざい」というコメント自体が、共感不可能で「うざい」ものに感じられてしまう。つまり、「ニコ割」という強制割込放送の存在は、ニコニコ動画上の「擬似同期感」にヒビを入れてしまうということです。
すなわち、簡潔にいえば、「地震」や「時報」といった真性同期的イベントは、
・真性同期型コミュニケーションにおいては、その同期性を確認するための強力な会話のネタになるという意味で「キラートピック」になるが、
・擬似同期型コミュニケーションにおいては、その同期性を「殺してしまう kill」という言葉本来の意味において、「キラートピック」になってしまう、
とまとめることができます。
■21-3. 「時報」の広告価値
だとするならば、「時報」を広告枠として販売するという運営側の目論見は、失敗に終わってしまうようにも思われます。もちろん、「ニコニコ動画を存続していってもらうためには時報もやむなし」と受け止めるユーザーも一定量存在するようですが、多くのユーザーにとっては、「時報」は動画視聴のジャマをするはた迷惑な存在でしかない。しかも、「時報」という新機能は、ニコニコ動画の実現している「擬似同期性」にヒビを入れてしまいかねない。こうしたネガティブ面を考慮すると、あまりユーザーに支持されないと思われる「アウェー」な枠に、あえて広告を打って出るのは、広告主側としてはかなり勇気のいることになる。もし仮にユーザーに「受容される」時報広告があるとすれば、それはニコニコ動画上ですでに広範な支持を得ているコンテンツやキャラクターに関するものでしょう(たとえば、「初音ミク」の声でニコニコ動画ユーザーへの感謝の言葉が流れる、といった時報広告が放送されれば、「祭り」の一つにはなると思われます)。
とはいうものの、この「時報」という同期型広告は、従来のインターネット広告が総じて「非同期的」だったのに比べて、きわめて強烈な広告効果を持っているのは確かなように思われます。運営側の言葉を借りれば、それは「毎日10万人から20万人が同時に視聴するネット上でもっとも印象的な広告枠」と表現されているのですが、その強力さの本質はどこにあるのでしょうか。少しややこしい言い方をすれば、それは「ニコニコ動画のユーザーであれば、誰もが『時報』の存在を知り、それを見ている」という端的な事実が、ニコニコ動画上のユーザーのあいだで、「ごく当たり前の常識」として周知・共有される、という点にある。次回はこの点について、「同期的コミュニケーションは『共通知識 common knowledge』を形成する」という命題に置き換えた上で考察を続けたいと思います。
* * *
*1. このほかにも、「擬似同期感」にヒビをもたらしてしまう例として、「ニコニコ市場」の「○○人が購入しました」という売上数に言及するコメントが挙げられます。実際には、毎日この売り上げ数は更新されているため、勢いよく売れている商品の場合、コメント上で言及されている売上数と、いま自分の目の前に表示されている売上数の間に、ほぼ確実に「差」が生じてしまうからです。ただし、むしろこのコメントの場合は、「本当にすごい勢いで売れている」というリアルタイム感覚を印象づけるという点で、きわめて効果的でした。たとえば、「Perfume」や「初音ミク」がブームの真っ最中だった当時は、「おい1124人も買ったのかよwww」「売れすぎワロタwww」といったようなコメントが日々投稿されていましたが、それらのコメント上が投稿された次の日には、さらにその数字を上回る売上数が常に表示されている状態が続いていた。つまり、売上数の単純な引き算を通じて、「ああ、本当にいま売れているんだな」という「勢い」をそこに読み取ってしまう、というわけです。
濱野智史の「情報環境研究ノート」
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