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yomoyomoの「情報共有の未来」

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インターネットは我々に何を与え、奪うのか 〜 クレイ・シャーキーとニコラス・G・カーの新刊

2010年6月10日

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インターネットでは「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」が問われると言われ、ワタシも基本的にそれに賛成なのですが、そういうワタシにしても特に注意してその言説を追う識者がいるのも確かで、今回はワタシにとってそういう存在であるクレイ・シャーキーニコラス・G・カーの新刊を取り上げます。

この二人を並べると、アカデミックなバックグラウンドを持ち、昔からインターネット技術が与える人間への社会的影響を語ってきたシャーキーと、ITにはもはや戦略的価値はないと断じる論文で一躍その(悪)名を轟かせ急浮上したカーでは共通点が少なさそうですが、インターネットを主舞台とする論者としてお互いの仕事に言及することも多く、前作、新作とも刊行時期がほぼ同じこともあり、実はお互いをかなり意識しているのではないかと勝手に想像しています。

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シャーキーの前作『Here Comes Everybody』については本ブログでも言及していますが、あれから二年、結局原書を読み終わる前に邦訳『みんな集まれ! ネットワークが世界を動かす』が出てしまいました。最初この牧歌的な風情の表紙をみたときは激しい違和感を持ちましたが、ソーシャルウェブに集う人たちによる協調問題の解決を、主に成功例とともに読み解く本に相応しい……のかなぁ?

さて、今月刊行になる新作『Cognitive Surplus: Creativity and Generosity in a Connected Age』ですが、このタイトルは『Here Comes Everybody』後に行った講演タイトルと同じで、つまり、「ジン、テレビ、社会的余剰」に書かれる内容を発展させたものと言えます。

新作では「思考の余剰(Cognitive Surplus)」というコンセプトを掲げており、かつてテレビなどに浪費されてきた人々の余剰時間がようやく本格的にインターネットを通じて生産的なことに活かされようとしているという筋書きで、「ジン、テレビ、社会的余剰」の中の“「思考の余剰を少しばかり取り出してここに入れたなら、何かいいことが起きないだろうか?」 私はイエスという答えに賭ける”という言葉を見るまでもなく、シャーキーのソーシャルウェブ、ソーシャルソフトウェアに対する楽観的で性善的な視座に変わりはないようです。

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続いてはニコラス・G・カーですが、この人は「楽観的」「性善的」といった言葉からは遠い人です。かつて彼は Web 2.0 という言葉にまつわるユートピア幻想を激しく攻撃しましたし、最近も iPad に関してユーザの自由にこだわるジョナサン・ジットレインなどに対し、技術の進化はお前らの倫理という幻想とは何の関係もなく進むんだよ、お前らは iPad ラッダイトなんだよと罵倒したことがありました。

多かれ少なかれ我々ネットユーザは、インターネットにあるべき/あってほしい社会の期待を仮託するところがありますが、その期待があたかも道徳的に正しかったり、倫理的であるかのような言説をカーは嫌悪するようで、それを突く攻撃的な主張に常に同意するわけではありませんが、確かにカーの議論が(自分を含む)多くの人の痛いところを突いているように見えます。

そのカー先生の新刊『The Shallows: What the Internet Is Doing to Our Brains』は、前作『クラウド化する世界』の最終章「iGod」に端を発し、2008年に The Atlantic 誌に掲載されるや大きな論議を呼んだ "Is Google Making Us Stupid?" の延長上にある本で、「望むと望まざるに関わらず、また望む方向とは関係なく技術は人間を変える」というカーの冷徹な姿勢は変わっていません。

"Is Google Making Us Stupid?" には反発も多かったですが、インターネット全般が人間に及ぼす影響を論じた内容を考えると、「Googleが我々をバカにする?」というタイトルが扇情的というか正確性に欠けるのは確かで、この「センセーショナルなタイトルで爆釣、その後穏当に軌道修正した書籍を発表」という流れは、"IT Doesn't Matter" から『Does IT Matter?』(邦訳は『ITにお金を使うのは、もうおやめなさい』)のときを思わせます。

"Is Google Making Us Stupid?" をまだ読んでいない方には ktdisk さんの感想(その1その2)を読むことをお勧めしますが、この文章で提示された、「読む」という行為は人類の持つ先天的な能力ではなく後天的なものであり、人間の脳の働き方に影響を及ぼしてきた。インターネットは過去生まれた技術と同等以上の変化を人間の行為や能力に与えるが、それがもたらした情報の氾濫、並びに効率性と即時性を重視する風潮は、本などを熟読して深い思索を行う人間の能力を退化させる、という論旨は新刊『The Shallows』にも引き継がれています。

「インターネットは我々の能力を退化させる」と乱暴にまとめると、「反動的だ」と感情的な反発を呼びそうですし、それだけだと『ゲーム脳の恐怖』のようなトンデモ本と同じカテゴリと思われそうですが、人間は新しい能力を獲得する代償として古い能力を失ってきたという見方は、例えばニコラス・ハンフリーの『喪失と獲得』にも書かれるもので、珍しいものではありません。

既に出ている『The Shallows』のレビューを読むと意外に好意的に評価されていて、それはネットのヘヴィユーザであれば、マルチタスクを強いられる現代の仕事環境において、人間の思考は表層的なものになっているという主張を実感として否定できないからではないでしょうか。本作についてはその公式サイトにおいて、刊行のかなり前から日本版の版元として青土社の名前が告知されており、そう遠くないうちに日本語訳も出るものと思われます。

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実は "Is Google Making Us Stupid?" 発表時、この文章を巡ってクレイ・シャーキーとニコラス・G・カーは Britannica Blog において意見を戦わせています。

シャーキーもカーの議論の趣旨には賛同していますが、楽観主義者としてのシャーキーと懐疑主義者としてのカーの立ち位置の違いが分かるやりとりとなっています。

今回この文章を書くために NPR に『The Shallows』からの抜粋 "The Very Image Of A Book" を読んだのですが、この文章自体「最近よく本というフォーマットが終わりとか言う人がいるけど、19世紀から新しい媒体が生まれるたびに本は死んだとか言われてきた歴史があるんだよね。でも、本は生き延びたよ」というカー先生らしい文章なのですが、その中にシャーキーが Britannica Blog に書いていた「カーは熟読する能力がなくなったと嘆いているが、現代人は時間を無駄にしなくなっただけ。トルストイの『戦争と平和』とかプルーストの『失われた時を求めて』みたいなクソ長くて退屈な代物は今じゃ割に合わないの」という主張がそのまま引用されていて、カー先生の意地の悪さに大笑いしてしまいました(注記:この段落の二人の文章の要約はかなり乱暴なので鵜呑みにしないように)。

そういえば Wired の最新号でもシャーキー(とダニエル・ピンク)の新刊が Cognitive Surplus: The Great Spare-Time Revolution、カーの新刊が Author Nicholas Carr: The Web Shatters Focus, Rewires Brains という文章でそれぞれ紹介されていますが、(読めばお分かりになる通り)いずれの文章にも対照的な主張としてお互いの文章をリンクし合っていて、これにも笑ってしまいました。極端に言えば、今回取り上げた二冊の新刊は、コインの表と裏の関係にあるのかもしれません。

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さて、最後に Wall Street Journal に掲載された『The Shallows』のレビューから、面白い話を引いて終わりにします。

カーの新刊は、インターネットはあまりにも人間の気を散らしすぎ、集中力を欠けさせると主張していますが、それならカーはどうやってこの276ページに及ぶ本を書き上げたのでしょう?

何とカーは奥さんと、携帯電話がつながらず、ブロードバンドインターネット回線がないコロラドの山奥に移り、そこでブログ、インスタントメッセージ、Skype、電子メールを断って執筆を行ったそうです。そのネット断ち環境に身を置くうちに彼は、まるで脳が久しぶりに呼吸し始めたような、自分がずっと人間らしく感じられるようになったそうです。

そうしてカーは『The Shallows』を書き上げ、自宅に戻ります。ついでに Wi-Fi 環境をアップグレードしたそうです。カー先生は書きます。「告白しなければならないが、これがクールなんだな。これなしに生きてたなんて信じられんよ」

カー先生ですらインターネットなしには生きられないのです。いはんや我々をや。

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プロフィール

1973年生まれ。 ウェブサイトにおいて雑文書き、翻訳者として活動中。その鋭い視点での良質な論評に定評がある。訳書に『デジタル音楽の行方』、『Wiki Way』、『ウェブログ・ハンドブック』がある。

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