好敵手ニコラス・G・カー
2008年10月 8日
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Techmeme Leaderboard などを見ても思うことですが、最近では人気ブログというと TechCrunch や Engadget に代表される複数人の投稿者(編集者)を抱えるグループブログが主となっており、一方で Ars Technica や Paid Content のようにニュースメディアに買収されるブログもあり、ブロゴスフィアの主役が個人ブログではなくなったのを認めなくてはなりません。
逆に言うと長期にわたり人気を保つ個人ブロガーが少なくなってきたとも言えるわけですが、ロバート・スコーブル、ジェフ・ジャーヴィス、ジョエル・スポルスキーあたりと並び、ニコラス・G・カーのブログ Rough Type もその代表と言えるでしょう。
ただニコラス・G・カーの名前(彼の場合、ニコラス・カー、ニック・カーなど表記の揺れが多くてややこしいですね)を一躍轟かせたのはブログではなく、ハーバード・ビジネス・レビュー2003年5月号に掲載された論文 IT Doesn't Matter(ITは重要でない)でした。
スティーブ・バルマーに「でたらめだ!」と叫ばせ、カーリー・フィオリーナを「完全に間違っている」と憤らせ、ニュースウィークが "the technology world's Public Enemy No. 1" とカーを表現したほど、IT はコモディティー化しておりもはや戦略的価値はなく、むしろリスクに目を向けるべきと説くカーの論文は激しい反発と論争を巻き起こしました。
それまでほぼ無名に近かったカーの論文による動揺への戸惑いは、梅田望夫さんの「「ITは重要ではない」から「ITはどの程度重要か?」へ」や CIO Magazine のインタビュー「ITの“戦略的価値”は本当に失われたのか?」を読むと分かりますが、カーは論争を受けて2004年に『Does IT Matter?』を著します。否定文から疑問形に変わっているのがポイントですが、それでも IT のコモディティー化による戦略的投資の重要性の低下という主張は変わっていません。
そうした意味で、『ITにお金を使うのは、もうおやめなさい』という邦題はちょっと違うと思いますし、今日献本が届いた『クラウド化する世界』でも冒頭で IT Doesn't Matter が「ITにお金を使うな」と訳されていて、うむむむ……と唸ってしまいました。刊行当時どうも同意できなかった『ITにお金を使うのは、もうおやめなさい』を今読み直すと、議論の積み重ね方は慎重で説得力があり、当時納得できなかったのは上記のように下手すればラッダイト的にとられかねないタイトルへの感情的な反発だったのかと思います。
カーが次に大論争を起こすのは、Wikipedia やブロゴスフィアの欠点を鋭く批判し、当時広がりつつあった「Web 2.0」という言葉とともに頭をもたげつつあったニューエイジ的なユートピア思想に氷水をぶっかけた The amorality of Web 2.0(日本語訳:Web2.0に道徳を持ち込むな)でした。
確かに Wikipedia のクオリティには問題があったのは事実であり、それ以上に重要なのは、カーが我々ネットユーザーの多くが「Web 2.0」という言葉に理想を託すことに危険性をかぎ取ったことです。技術は飽くまで技術であり万能ではないし、それがあたかも倫理的に正しくて正義であるようなふりをするのはおかしい。そうしたユートピア的楽観論に則ったアマチュア主義は危険である、というカーの主張はやはりまっとうです。
カーの Web 2.0 批判はアンドリュー・キーンのようなエピゴーネンを生みましたし(Jesse Vincent の「Web 2.0 は小作農だ」というプレゼンは有名ですが、小作農(sharecropping)という言葉を Web 2.0 の文脈に適用したのもカーが最初のようです)、また一部で芸術の域に達した毒舌と評される舌鋒の鋭さもあり、当時ワタシはカーのことを「逆張り大王」とみなしていたのですが、IT 技術のコモディティー化にしろ、神聖視に対する批判にしろ、彼の主張の本質は自身の内心の期待を未来予測に含めない身も蓋もなさにあるように思います。
ただカーの言説には「釣り体質」ともいうべき悪癖があるのも確かで、オープンソースについてのコラムに The Ignorance of Crowds(群衆の無知)というタイトルをつけて、マイケル・ティーマンに「ニコラス・カーはやっぱり半分だけ正しいね」と呆れられたり、最近でも The Atlantic 誌に Is Google Making Us Stupid?(Googleは我々をバカにする?)という挑発的なタイトルの記事で錚々たる面々の反応を引き出しましたが、実は記事の中身は Google とはあまり関係がなかったりします。
このように全面的に支持はできないにしろ、現在まで何かとやり玉に挙げられたマイケル・アーリントンが書くように「とにかくあの男は文章がべらぼうに、無茶苦茶巧い」のは確かです。タイトルがセンセーショナルだったり、舌鋒の鋭さのほうに目がいきがちになりますが、彼の問題意識は無視できないものがあります。
それにカーはただ盛り上がっているところに氷水をぶっかけて喜ぶだけの人間ではなく、彼自身一貫して支持する技術潮流があります……とここでようやく彼の新刊『The Big Switch』、そしてもうすぐ発売となるその邦訳『クラウド化する世界』に辿り着くわけですが、いくらなんでも長くなってしまったので次回に。
yomoyomoの「情報共有の未来」
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