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yomoyomoの「情報共有の未来」

内外の最新動向をチェックしながら、情報共有によるコンテンツの未来を探る。

クラウド化する世界の憂鬱

2008年10月15日

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前回に引き続き、ニコラス・G・カーの新刊『クラウド化する世界』を取り上げたいと思います。

実はワタシはこの本の原書である『The Big Switch』刊行前に翔泳社から査読を依頼され、完成前の原稿を読んだのが2007年の7月でした。原書刊行が半年近く後の予定だったのでダイジェスト版だとばかり思っていたら、200枚を超える原稿全部が届いてクラクラしたのを覚えています。

『クラウド化する世界』は、彼の前著『ITにお金を使うのは、もうおやめなさい』の続編でありながら、IT 業界のビジネスモデルの話にとどまらない広い問題意識を持った本です。

一大センセーションとなった IT Doesn't Matter、Web 2.0 の集合知幻想に冷水を浴びせた The amorality of Web 2.0 の印象が強く、下手すれば反動的人物とすらみられることのあったカーですが、彼はただトレンドを腐すだけの人ではありません。

コンピューティング環境全般の成熟とブロードバンド回線の普及が可能にした SaaS をカーは一貫して支持してきましたし、上記条件に加えハードウェアレベルの抽象化を可能にする仮想化技術を基盤とする Amazon Web Service などを指して、カーは HaaS(Hardware as a Service)と名付けています。

もっともその後、セールスフォースが SaaS の進化形という位置づけで PaaS(Platform as a Service)を言い出し、同じく HaaS を押し進めた IaaS(Infrastructure as a Service)といった言葉が生まれたのはともかく、尻馬にのって何にでも「サービスとしての○○」と言われるようになると、カーも「aaSちょっと大杉」と不満をもらしていますが、重要なのは、サービス化による IT がコモディティーとなりつつある現実です。

本書には『クラウド化する世界』という邦題がつけられていますが、第2部のタイトルが「雲(クラウド)の中に住んで」になっているくらいで、「クラウド・コンピューティング」という言葉は実はほとんど使われません。その代わりにカーが使っているのが「ユーティリティ・コンピューティング」ですが、クラウド・コンピューティングをアンブレラ・タームとしてとらえるなら、この二つを同義ととらえて問題ないでしょう。

『クラウド化する世界』では『ITにお金を使うのは、もうおやめなさい』でも使われていた IT と電力のアナロジーに立ち戻り、電力がユーティリティーサービスとなるまでの歴史を辿ります。19世紀末にトーマス・エジソンは発電機を発明しますが、彼はそのライセンス事業と部品供給事業で満足していました。電力のユーティリティサービスの意義に気付き、大規模な発電所からの送電を実現し、自家用発電所が事業者の電力を賄うモデルを終わらせたのは、かつてエジソンの秘書を務めたサミュエル・インサルでした。

それと同じことが IT の世界で起こっているとカーは説きます。IBM の初代社長トーマス・J・ワトソンの言葉とされる「世界に“コンピュータ”は5つあれば足りる」という予言が元と違った文脈で注目されましたが、カーはそれを押し進め、世界規模の情報発電所たる World Wide Computer に IT は集約されると説きます。

ただ『クラウド化する世界』の第2部「雲(クラウド)の中に住んで」は、クラウドコンピューティング時代の具体的な企業戦略を導くものではなく、もっと広い射程をとらえた情報化社会論になっています。余談ですが、そうした具体的な話については、現時点では ITPro Magazine 2008年秋号の特集がすごくまとまっており、しかも無料なのでお勧めです。

昨年夏に原書を査読したときは、この第2部の話が必ずしも明るい未来に思えなくて構成に疑問を感じたのですが、改めて読み直すと2007年当時の Web 2.0 ブームを World Wide Computer のコンセプトに引き寄せながら、その過程でケヴィン・ケリーやデヴィッド・ワインバーガーなどの楽観論を慎重に(つまりブログのような毒舌をおさえて)退けつつ、「ワールドワイドコンピュータは多くの人々の労働の経済的な価値を獲得して、それを少数の人々の手に集約するための極めて効率的なメカニズムを提供しているのである。(171ページ)」といった身も蓋もない冷徹な結論を導き出すところは彼ならではです。

カーが描き出す未来を面白く思わない人もいるでしょう。電力がそうであったように、IT のコモディティー化により基盤を失う産業があるという面白くない事実をカーは隠しません。「PC時代を担った偉大なソフトウェアプログラマの時代は終わった」という断言にも反発があるでしょう。

それでもメインフレーム〜クライアント/サーバモデルに続くユーティリティ・コンピューティングの潮流が IT 産業、並びに企業の IT 投資の枠に収まらない広がりをもつことを、同時代の主要な書籍をおさえながら説いており、それは完全に成功しているわけではありませんが、日本でも本書がうまく管理職層に届くとよいなと思います。

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プロフィール

1973年生まれ。 ウェブサイトにおいて雑文書き、翻訳者として活動中。その鋭い視点での良質な論評に定評がある。訳書に『デジタル音楽の行方』、『Wiki Way』、『ウェブログ・ハンドブック』がある。

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