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yomoyomoの「情報共有の未来」

内外の最新動向をチェックしながら、情報共有によるコンテンツの未来を探る。

自由の彼方の変わることなき独占? ティム・ウーの新刊『The Master Switch』

2010年12月 9日

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本ブログではときどき邦訳が出ていない新刊本を話題にしていますが、今回はティム・ウー(Tim Wu)の新刊『The Master Switch: The Rise and Fall of Information Empires』を取り上げたいと思います。

ワタシの観測範囲(とても狭いですが)でこの本を取り上げているところがないようで、もしかしたら一番乗りかと思っていたら、先週ギズモード・ジャパンに「AT&Tが60年間封印していた未来」という『The Master Switch』からの抜粋を含む記事が出て、ヤラレタと小心にも思いました。が、この記事を引用して本の内容の紹介を簡略化できると考えてもよいわけです(笑)。

彼によれば、革新的な情報技術は、誕生当初は誰もが自由に使えるのに、ある段階から市場をコントロールしようとする企業が現れます。やがて技術は中央集権化され、一部の企業が「マスタースイッチ」を握るような状態になってしまうのです。ウー氏は、オープンなプラットフォームと言われるインターネットも、実際はそんなサイクルの上にあるのではないかと問題提起しています。

現在コロンビア大学ロースクール教授であるティム・ウーが最初に大きな注目を集めたのは、2002年に発表した論文 Network Neutrality, Broadband Discrimination(ネットワーク中立性とブロードバンドの差別)によってで、以後、彼は「ネット中立性」という概念の提唱者とされるようになりました。

「ネット中立性」とは、ウー自身のサイトにある Network Neutrality FAQ から引かせてもらうと、最も効果的な公共情報ネットワークは、あらゆるコンテンツ、サイト、プラットフォームを平等に扱う必要があるというネットワークデザインの原則を指します。

この議論が生まれた背景には、1990年代後半のインターネットの end-to-end 原則が損なわれることを危惧する議論、現実的には P2P ファイル共有や動画サイトの隆盛により、通信会社やケーブルテレビが自分たちの設備投資をネット企業に「ただ乗り」されていると主張し、Google などのネット企業からの「徴税」やコンテンツ種別による料金設定を検討したことがあります。

ウーは「ネット中立性」の提唱者ですが、単に「ネットのアクセスは万人平等に与えられて当然」と訴えるだけの単純な論者ではありません。彼の前著『Who Controls the Internet?: Illusions of a Borderless World』(Jack L. Goldsmith との共著)は、ジョン・ペリー・バーロウ的サイバースペース独立論やトム・フリードマン的グローバリゼーション論は幻想であり、インターネットにおいても国家は厳然たる境界であり国内法が必要であることを論じた本でしたが、新刊『The Master Switch』もまた、上にギズモード・ジャパンから引用したようにシビアな認識を持つ本です。

ギズモード・ジャパンの記事は、AT&T が自社の独占を守るために破壊的イノベーションを葬り去った話にフォーカスしていますが、重要なのは(アメリカにおける)電話・ラジオ・テレビ・映画といった分野で見られた自由から支配と独占へ向かうサイクルが、インターネットにもあてはまるとウーが論じていることです。これは、このままでは generative なプラットフォームであるインターネットは死んでしまうと訴えたジョナサン・ジットレインの議論にも呼応するものです。

ウーが Wall Street Journal に寄稿した In the Grip of the New Monopolists は、インタネット上で Google、Facebook、Amazon、Skype、Twitter、Apple、eBay といった企業のサービスを利用しないことが、現実世界でスターバックスやウォルマートを避けるのよりも困難になっている現実から話を始めます。

ウーが引き合いに出した企業はほぼすべてティム・オライリーがインターネットOSの主要プレイヤーとして挙げる企業でもありますが、これらの企業はある意味既に何かしらの分野の独占者であるとウーは説きます。

そしてその独占は永続的に続くものではなくいずれは終わるものですが、問題は独占企業が権力の座にしがみつきたがるアフリカの独裁者のようなもので、独占が終わるまでにその利用者に長期的な不利益をもたらすことにあります。

ニューヨークタイムズのブログ Bits のインタビューにおいて、ウーはその観点からみて今現在最も恐れる企業として Apple を名指ししています。スティーブ・ジョブズはおよそ40年前にパーソナルコンピュータを作り出したが、今ではそれを殺そうとしているという指摘は、やはりジョナサン・ジットレインの主張に重なります(ウーは、TechCrunch にも「Appleのクローズド戦略が反トラスト法問題に陥る理由」という文章を寄稿しています)。

先月ウェブの父ティム・バーナーズ=リーが Long Live the Web: A Call for Continued Open Standards and Neutrality という長文記事を Scientific American に寄稿しました。そのタイトルからてっきり Wired の Web Is Dead 特集への反論かと思いきや、もっと本質的な内容を論じた文章で、その問題意識はウーの議論と共通するものがあります。

バーナーズ=リーは中央集権化、囲い込みによりインターネットを脅かす企業として Apple と Facebook を挙げています。ウーは前述のインタビューで Facebook について聞かれ、「Facebook はメンター、ロールモデルを探している段階で、Apple と Google のどちらを選ぶかで我々の未来に大きな影響が出るだろう」と予測しています。個人的には Facebook のロールモデルはウーが挙げる二つのいずれでもないと考えており、ウーの指摘はいささかピント外れに思えます。

さて、今年も残りわずかとなりました。Wikileaks によるアメリカ外交公電の流出、並びにその創始者であるジュリアン・アサンジの逮捕を巡る騒動がインターネットに関する師走の話題をかっさらっている感があります。ドメインの失効、Amazon によるホスティングの停止、Paypal のアカウントの停止(そしてアサンジの逮捕!)などが続き、Wikileaks の今後については予断を許しませんが、ウーが予測するようにそのインターネットで中央集権化と独占が進んだとして Wikileaks のような存在が生き残る余地はあるか、そもそもインターネットというプラットフォームにおいて「自由」はどこまで認められるべきか、じっくり考えてみるよい機会ではないでしょうか。

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プロフィール

1973年生まれ。 ウェブサイトにおいて雑文書き、翻訳者として活動中。その鋭い視点での良質な論評に定評がある。訳書に『デジタル音楽の行方』、『Wiki Way』、『ウェブログ・ハンドブック』がある。

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