このサイトは、2011年6月まで http://wiredvision.jp/ で公開されていたWIRED VISIONのコンテンツをアーカイブとして公開しているサイトです。

yomoyomoの「情報共有の未来」

内外の最新動向をチェックしながら、情報共有によるコンテンツの未来を探る。

HOW WE LIVE

2011年4月14日

(これまでの yomoyomoの「情報共有の未来」はこちら

気にかけている人はいないでしょうが、本ブログは毎月第二週の木曜日に更新されてきました。それに従えば、先月は3月10日に更新されていたはずですが、この前後ワタシが所用で海外におりブログを書く時間が取れないのが予め分かっていたため、事前に了解をとりお休みさせてもらいました。

実はスケジュール通りに帰国できれば3月中に一本くらい書けるかとも考えていたのですが、そうした目算は3月11日の東日本大震災に吹き飛ばされました。

地震のことはその日の朝(時差の関係)にテレビを見て知りました。前日までリビアのニュースが主だった CNN や BBC World News も、11日から24時間体制で日本を襲った震災並びに原発の話題に切り替わりました。

ご存知の方も多いでしょうが、CNN も BBC も同じニュースを繰り返し伝えます。結果として、地震と津波の被害、そしてその後福島原発の衝撃的な映像を何度も何度も何度も見ることとなり、ショック感と虚脱感が残りました。

この感覚については折田明子さんが書くところに近いですが、加えて個人的には、1995年1月17日に当時住んでいた大阪で、オレンジジュースをグラスに注ごうとしたところで大地震を体験し、それまでの人生で未体験の激しい揺れに、自分のところが最も被害に大きいに違いないと根拠なく思い込み、その後テレビで神戸の惨状を見たときの音が消え視界が暗くなり、床が抜けたような感覚を思い出してしまいました。

東日本大震災によりお亡くなりになった方にお悔やみを申し上げるとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

今回の震災後、情報共有をテーマとする本ブログで取り上げるべき成果がいくつもあったことは既に読者の皆さんもご存知の通りです。

まとめ Wiki は今回も情報集約のために活用されましたし、自由に編集できる世界地図を目指す OpenStreetMap から震災情報サイト sinsai.info が立ち上がりました。

今回の震災後の公的機関の情報発信については批判も多かったですが、ようやく「重要情報はPDFやExcelではなくHTMLやCSVで」というデータは機械可読で自動処理可能な形で提供すべきというコンセンサスが広まりつつあるのは前進に違いありません。東京電力の呼びかけ経済産業省のまとめ作業とあわせ、「プラットフォームとしての政府」の萌芽が見て取れます。

あと radiko の配信エリア制限の撤廃と NHK 総合テレビの ustream 配信の実現がもたらした風通しの良さは、両者とも一時的なものだったにせよ、「放送と通信の融合」といった堅苦しいお題目より遥かに実際的な価値を視聴者に見せつけたと思います。このあたりについては文化系トークラジオ Life の03月27日放送「このメディア環境を生きる」を聞くことをお勧めします。

ただ、震災の後に損なわれてしまったものも少なからずあります。Twitter をはじめとするソーシャルメディアは今回も情報周知に大きな力を発揮しましたが、これだけデマや流言までが拡散し、混乱を招く様を見てしまうと、これを単純に称揚する気にはとてもなれません。

例えば、メディアジャーナリスト津田大介は震災後獅子奮迅の働きぶりを見せており、彼が友人であるというのを別にして私は深い敬意を持ちますが、彼が著書『Twitter社会論』に書いたその美点の一部はもはや失われてしまったと思います。またこうした危機的状況は人間を正直にするのか、ソーシャルメディアを通して「その底が割れてしまった」著名人も少なからずいます。

ただ私はそうした人たちをあまり責める気にはなりません。これは自分がまだ冷静でいられるのは、私が九州の田舎に隠棲しており、被災地と距離を保てているのが大きいのを、阪神淡路大震災後の激しいうろたえぶりの記憶とともに痛感するからです。それに上にデマの話を書きましたが、自分自身それにまったく踊らされなかったわけではありませんし。

話がだんだん暗くなってきましたが、これが現在の正直な感情です。さすがに一月前のショックと虚脱感に今も囚われていると言うつもりはありませんが、地震と津波に加えて原発事故被害がこれほどになってしまうと、どう考えても今後について暗い気持ちにしかなれません。

気持ちが晴れないのは、ネットにおける「情報共有の成果」を書いていて、果たしてそれがどこまで被災者の方々のためになっているのか、彼らに届いているのか疑問に思うところもあります。

そうして悶々としていた先週末、九州大学で開催された TEDxEarthquake9.0 に参加してきました。実は私は参加の事前登録をしてなかったのですが、三浦広志さん山崎富美さんにお声をかけていただいたおかげで、その前日にはお二人ともつ鍋を囲んで話を伺う幸運にも恵まれました。

三浦さんから sinsai.info のアイデアが何もないところから震災後に立ち上ったわけではなく、2010年のハイチやチリの大地震を受けた OpenStreetMap の試行錯誤が結果的に準備となっていた話を伺い、創造性は過去の上に築かれるのを再確認しました。

山崎さんは被災者支援サービスを開発するハッカソン Hack For Japan の賛同人であり、福岡に来る直前に宮城県で震度6強を観測した余震を岩手で体験しており、仙台や岩手の二極化する被災地のめまぐるしい現状や余震の際の体験を伺うことができました。

以下は TEDxEarthquake9.0 に参加して私が考えたことを書きます。

本ブログは「情報共有の未来」と題されていますが、これは江坂健編集長(当時)の提案により何となく決まったものです。Wired Vision の他の執筆者と異なり、私の場合これという専門分野がないため大雑把なくくりにするより他なかったためですが、結果的には良い枷になってくれたと思います。

でもなぜ情報を共有しなければならないのか? より良い共有の仕方を模索するのか?

今回の震災から一月経って思うのは、情報共有は、逆説的ですが、我々がそれぞれ別個で独立した人間だから必要なのだということです。決して情報共有は、一つのスローガンによって全員を同じ方向に向けたり、一つの思想により特定の人たちをカテゴライズするためのものではないのです。

TEDxEarthquake9.0 でも複数のスピーカーが語っていたことですが、被災者という人種がいるわけではないのです。今現在そう呼ばれる人たちは、震災前は医者であり教師であり先生であり店のオーナーでした。彼らに物資や義援金を送るだけでなく、プロフェッションを活かして自立するのを助けることで復興を支援しなければなりません。

そして一方で、我々は生きる時代や土地に制約されるのを忘れてはいけません。ジョン・ダンの詩ではありませんが、なんびとも孤島にはあらず、なんびとも一人にては全からず、ひとは皆大いなる陸のかけらなのです。私やこの文章の読者の多くは、どういう因果か2011年以降の日本において、東日本大震災後を生きなくてはならなくなりました。

上にも書いた通り、私自身は今は何をどう考えても暗い結論にしかなりませんし、明るい材料を見つけるほうが難しい。しかし、それはどうしようもないことです。これは楽観論ではなく、そこから逃れられないのなら、手持ちのカードで自分の生をより良くしていくより他ないという現実の話です。

復興は長期戦になります。ということは、情報共有サービスも sustainable であることが求められます。これは三浦さんとも話したことですが、現状の sinsai.info は(Hack For Japan も同様でしょうが)意気を感じスキルを持った人たちの時間や労力の持ち出しによって成り立っています。しかし、それだけではじきに先折れになる可能性が高く、復興を見守るためには人やお金がうまく回る仕組みを作らなければなりません。

そして、もう一つ忘れてはならないことがあります。我々は未来からの目に見守られているいるということです。現在のインターネットは、ライフログとしては不十分ですが、それでも我々がツイッターやブログにアーカイブされたその時々の思考や感情が、未来に検索可能な形で残される可能性は十分あります。その時々の動揺や言動のぶれは仕方ないにしろ、自立した個人として後世に恥ずかしくない仕事を残したいものです。

50年後、「おじいちゃんはあの地震の時に何をしていたの?」と聞かれて、孫にどう答えるか。「ただ、ニュースを見ていたよ」とは答えたくない。「当時のスキルとテクノロジーと行動力で可能な限りのことをしていた」と答えたい。 http://twitter.com/#!/Fumi/status/56985761769201664
フィードを登録する

前の記事

次の記事

yomoyomoの「情報共有の未来」

プロフィール

1973年生まれ。 ウェブサイトにおいて雑文書き、翻訳者として活動中。その鋭い視点での良質な論評に定評がある。訳書に『デジタル音楽の行方』、『Wiki Way』、『ウェブログ・ハンドブック』がある。

過去の記事

月間アーカイブ