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白田秀彰の「現実デバッグ」

社会システムのコーディングし直しを考えてみる。

No. 9 No. 8 法律実行者 (公務員) への長い註釈

2008年1月16日

(これまでの 白田秀彰の「現実デバッグ」はこちら。

優秀な研究者や実務家を多く生み出した ロージナ茶会には、ちゃんと行政法の専門家もいる。その彼から、前回の記事に対していろいろとツッ込みが入っているので、お応えしておこうと思う。もちろん、行政法分野の解釈については、彼のほうが圧倒的に正確だろう。が、私は、この連載においてそうした「現在の解釈」を突破しようとしているのだ。そうでないと、読んでてつまらないでしょ? それゆえ、読者の皆さまにおかれましては、私の主張のトンデモさ加減について、生暖かくスルーしていただければ幸いだ。

まず第一の論点。

一般に「法律による行政の原理」や「法治主義」というのは、「法律に書いている内容を行政が機械的に実行すること」として理解されているように思いますが、私はこれに少々違和感を感じます。もともとこの原理は、国王がまだ行政権を持っていた時代、議会が作る法律によって行政権を縛るのが目的であったはずです。このことからいえることは、行政が国民に対して侵害的な作用を強制的に及ぼす際には、必ず法律上の根拠が必要だということです。裏返せば、必ずしも国民に侵害的な作用を強制的に及ぼすものでなければ、厳密に法律上の根拠を求めるものではないわけです。

この「法律による行政の原理」については、私が大学生のときに大きくわけて三つの学説があると教わった。

(1) 全ての行政作用は法律の根拠に基づいてだけ行われることができる。(全部留保説)
(2) 一般に人民の権利または自由を侵害する行政作用については、必ず法律の根拠を必要とするが、それ以外の場合には行政の自由が承認される。(侵害留保説)
(3) 行政は法律に反することができないが、法律に反しない限り行政の自由が承認される。(名前不明──法律留保説?)

さきほど調べてみたら、(3)については「国民の基本的人権に関わりのある重要な行政活動について、法律の授権を必要とする (権力留保説)」というものが類似した内容で、主流になっているようだ。

で、行政法学界の通説は、(2)ということらしい。上記の引用部での歴史に関する簡明な説明もそのとおり。だから、この点について私は、まったくそのとおりだろうと同意する。でも、問題は、どのような行政作用が「人民の権利または自由を侵害する」のかということ。それを、実際に行政処分がされて、効力を発揮する前段階で判断評価することはできるのだろうか。これまで行政の責任が問われたさまざまな諸事件は、その処分や決定が行われた段階では、国民に利益となることが期待されていたにもかかわらず、思わぬ予定外の効果を生んでしまった結果生じたのではないだろうか。

こうしたことと、 「No. 5 プロジェクト主導者」「No. 7 記録報告者」で述べたように この連載では、解決すべき問題すなわちプロジェクトに応じて、迅速に法律が改廃されていく「妄想的前提」を採用していることから、私は、(1)の行政が全て法律に拘束されている状態のほうが望ましいと考えている。そもそも(1)のような学説が存在すること自体が、行政が完全に法律に拘束されていることに、一面の望ましさが存在することを示している。

つづいて、第二の論点「行政事務を機械化することに伴う問題」について。

彼は、四つの点から「行政事務が機械化できない」と指摘している。以下の抜粋では、彼のメールから具体例とか個別の企業名を省いたけど、趣旨は変わっていないはずだ。

(1) 技術の進歩など、立法当初想定していなかったような問題への対処

結局のところ、立法時に将来起こりうるであろうあらゆる事態を想定して条文化することは不可能であることから、現実には法律レベルでは「法律による行政の原理」において必要となる授権規定が置かれ、具体的な規制内容は下位の法令・規則において定められることになります。つまり具体的な規制内容は、立法府ではなく行政が決めているのが実態です。立法府の仕事は、行政が暴走しないよう、どこまで授権するかについて範囲を区切ることが中心となります。

ここで、行政法の専門家である彼が「具体的な規制内容は、立法府ではなく行政が決めているのが実態です」と私の批判点を裏書きしてくれている。それが現実であろうと、原則から逸脱しているのは基本的に望ましくない、と私は考える。推測するに、立法者よりも官僚のほうが優秀である現在の政治体制を前提とする限り、行政の自由領域を保障する理論・解釈が必要なのだろう。しかし、原則が想定するとおり立法者が十分に優秀なのであれば、行政は機械でもかまわないはず。むしろ、行政官の自由裁量領域を可能な限り小さくすれば、判断能力をもった優秀な人材が立法府に移動するのではないだろうか。

(2) 「申請に対する処分」型と「いきなり不利益処分」型

機械化の対象としては、「申請に対する処分」型の行政活動が中心となることでしょう。食品衛生法違反企業への営業禁止処分のような「いきなり不利益処分」型の行政活動では、行政権限を発動する前に行政自ら情報収集する必要がありますから、機械化は無理です。

ここでいう、「不利益処分」については、私が前回 No.8 で掲げた、三つの仕事の分類のうち、「2. 人間の判断が必要なプロセスを含む仕事」に含まれるので、私自身もこれを機械化せよとは主張していない。と、自分では思ってる。また、食品衛生法に違反したら、法文では処分することになっているのだから、粛々と処分するほかないと考える。

私だって、現実の法律の運用において、柔軟な対応がされていることくらい知っている。もし、何らかの理由で法に違反しているのにもかかわらず、「お目こぼし」をすることに なにか積極的な理由があるのであれば、それを明々白々と法文に含むべきだ。

(3) 第三者利害関係人の利益保護

建築主事には裁量がないということで申請を受けると基準を満たしている限り建築確認をおろさなければならなかったのですが、これまでは、実際には高層マンション建設に反対する周辺住民から苦情を受けている場合に申請者に対して申請前に自主的な改善を求めるなどの指導を行ってきました。

ところがこれが民間開放されると、民間機関には公共利益に配慮すべき要請が働かないため、周辺住民は苦情を申し立てる機会を失うことになります。機械化される場合もこれと同じ問題が発生することとなります。

デター! 行政指導。これも、私の考え方では、「申請者に自主的に改善するよう求める」のではなく、建築確認に関する法律に、建築主に対する周辺住民への事前説明と建築計画への合意の取り付け、を義務付ければよいことになる。すなわち、もとより法文に第三者利害関係人の利益保護に関する規定を入れれば済むことだと考える。

現在の状況では、建築主事が建築業者と癒着してたら、付近住民の反対を押し切って高層マンションを建築できてしまうことになる。それよりは、私の提案のほうが衡平ではないだろうか。あと、機械だと業者の接待やら付け届けが効かない分、マシなのではないだろうか。

(4) いざ例外処理が起こった際のトラブル対応には、熟練した職員が必要

行政過程を機械化した後においても例外処理のための人員を残す必要があるならば、機械化するメリットがあまりないようにも思えます。

うん。それはあるかも。でも、機械化したらグッと社会的コストが減るのではないか、と私は考えている。

法律が緩やかに枠だけを規定し、細かな運用については、省令・政令・規則等で定められるという状況が存在する。その理由は、法律は国会の承認が必要なので、現場の実務の変動に迅速に対応できなかった、という理由がある。しかし、この連載での私の構想では、法律が必要に応じて迅速に書き換えられていく世界を前提としている。そうであるなら、現在、省令・政令・規則等で、国民の目の届きにくいところで運用されている行政を、明々白々と法律において定め、機械的に実行していくことは、議会制民主主義の本義から考えて、おかしなことではないと思う。

私には、この行政の裁量に関する彼と私の考え方の違いは、要するに国の舵取りをするのが、立法府なのか行政府なのか、という問題に帰着するように思われる。現状をみるなら彼の言うように行政府が舵取りをしているが、私は立法府が舵取りすべきなのだと主張しているわけだ。

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プロフィール

1968年生まれ。法政大学社会学部准教授。専門は情報法、知的財産権法。著書にHotwired Japan連載をまとめた『インターネットの法と慣習』などがある。MIAU発起人。HPは、こちら

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