このサイトは、2011年6月まで http://wiredvision.jp/ で公開されていたWIRED VISIONのコンテンツをアーカイブとして公開しているサイトです。

白田秀彰の「現実デバッグ」

社会システムのコーディングし直しを考えてみる。

No. 8 法律実行者 (公務員)

2008年1月 9日

(これまでの 白田秀彰の「現実デバッグ」はこちら。

欠点や言及していないことだらけだとは思うが、前回までの立法過程に関する話は、またやる(かもしれない)として、これからしばらく行政過程について考えてみる。

以前、ised@Glocom という公開研究会で私が述べたように、近代の行政というのは、プログラムである法律をバカみたいにそのまんま実行することが原則になっている。── ここまで書いて思い出したけど、ised@Glocom の内容が書籍になるはずで、校正までしたのだけど、いったいアレはどうなっているのだろうか。> 某社編集担当者

話をもとに戻せば、上記のような原則を専門用語で「法律による行政の原理」という。行政法をやれば真っ先に教わる基本的な話だ。このことについては、すでに『インターネットの法と慣習』のどこかで述べたはず。── ここまで書いて調べて びっくりしたけど、オンライン版の『インターネットの法と慣習』へアクセスできなくなってる。早く対応おねがいしますね。 > 江坂編集長 (※編集注:近日中に再掲載いたします)

さてまた話をもとに戻せば、原理原則から考えるに、行政こそ機械化するのに適切な部門ということになる。たとえば、申請を受け取る、事務を定型的に処理する、許認可を行う、国民や市民の個人情報を収集管理する... などの定型的行為は、法律の規定に基づいて一点の間違いなく処理が進まなければならないのだから、その判断にブレや誤りがある人間がそもそもやるべき仕事ではない。そこで、現在行政機関で行われている仕事を、つぎの三つに分類することが、最初の行政改革になると思う。

1. 機械化すべき仕事
2. 人間の判断が必要なプロセスを含む仕事
3. 人間にやらせないといけない仕事

法律に従って定型的に行われる業務は、全部機械化・コンピュータ化すべきだ。というか、もとより自然言語としての法律の形ではなく、コンピュータに対するプログラムとして記述すべきなのではないか。各種申請作業や登録作業がこれにあたる。行政が使用する住民の個人情報などは、基本的に情報主体すなわち本人に管理させればいい。いままで、コンピュータやネットワークがなかったため、それらの機械的仕事を人間がしなければならず、そうして取り扱われる情報のセキュリティ(秘密性、統合性、可用性)の問題から、個人に関する情報は、役所という物理的保管庫に集められ管理されたわけだ。

しかし、暗号技術や通信技術の発達によって、現在ではそうした作業をネットワーク上で分散的に行うことができるし、そうした分散して保持されている情報を、あたかも単一の仮想データベースのように取り扱うこともできる。ちゃんと管理しているのか疑わしい誰か他人よりも、情報主体が自分自身の個人情報を管理する方が安全だろうし、明白だろうし、大規模な漏洩事故も発生しにくいはずだ。こうして、もし、日本全国で行われている機械的事務をすべてコンピュータ化すれば、現在の公務員数を削減したり、2や3のもっと有意義な仕事に配置換えすることができるだろう。

公務員の仕事のなかには、裁量が認められているものもある。すなわち、一定の範囲に限定されるが、職員の判断で法律の適用状況を変更しても構わないとされているものだ。すると、そこには2で示すように、人間的な「判断」が入る余地があることになる。この裁量範囲については、行政関係法の運用において もっとも微妙で難しいところなので、一般的に言うことはできないが、ほとんどの場合、法律に規定された通り機械的に処理できる案件であって、公務員の判断が必要になる場面はむしろ例外処理であるはずだ。すると、これまたかなりの部分を機械化・コンピュータ化することができ、時として生じる例外案件だけ、一時的な担当者やチームが対応すればよいと考える。

こうして、公務員が担当すべき仕事として、人間にやらせないといけない仕事が残ることになる。教育や福祉や犯罪対策や司法等の「人間の幸福」や「正義」が対象となる仕事の領域だ。ここは決して機械化してはいけない。法律や制度を適用すれば、それでそのまま思い通りに動くほど、人間は単純な存在ではない。

この領域では、論理学的な正しさよりも、過程と結果を含めた全体としての、当事者の納得と周辺の第三者への説得可能性が重要になる。ここでは、担当者の肌目細やかで粘り強い案件への関与が、そうした納得と説得可能性を生み出すはずであるので、公務員の人的資源を可能な限り最大限に投入すべきだ。

逆に、プログラムというものは、具体的な目的が設定された課題に対して、その目的の実現への論理的に整合したステップを一つ一つ記述することで完成する。したがって、その目的が千変万化であり 流動的である人間の幸福と正義を実現する手段を達成する、確定した一つ一つのステップ、すなわちプログラムというものはありえない。(と私は考える)
上記のようなことを書くと、おそらく現在公務員である方から、「白田は、複雑な行政の実態が全くわかってない」というご批判を頂くと思う。実際そのとおりだろうから、反論はしない。しかし、もしその「行政の実態」なるものが、法律の授権なしに行われている現場での臨機応変の判断に基づく脱法行為であるのなら、それは本質的には違法なのだ、というのが近代の行政の原則であるはずだ。

フィードを登録する

前の記事

次の記事

白田秀彰の「現実デバッグ」

プロフィール

1968年生まれ。法政大学社会学部准教授。専門は情報法、知的財産権法。著書にHotwired Japan連載をまとめた『インターネットの法と慣習』などがある。MIAU発起人。HPは、こちら

過去の記事

月間アーカイブ