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白田秀彰の「現実デバッグ」

社会システムのコーディングし直しを考えてみる。

No. 5 プロジェクト主導者

2007年12月 5日

(これまでの 白田秀彰の「現実デバッグ」はこちら。

プロジェクトで主導権を握る人物(以下、「主導者」)は、プロジェクトの進行に対する「貢献の量」をもって評判を獲得し、コミュニティの中での漠然とした地位を獲得していく。もちろん、この貢献には金銭的対価は存在しない。経済的インセンティヴが無いのにも関わらず、なぜボランティアは貢献するのか? マズローの欲求段階説でいう、「集団帰属欲求」「認知欲求」「自己実現欲求」などの高度な欲求に基づいて行われている面もあるだろう。しかし、私自身が かつての Nifty Serve において、複数のオンライン・ソフトウェアの開発者利用者コミュニティに属していた経験から言えば、第一の動機は、「このバグを潰してほしい」「この機能を追加してほしい」「このように改善してほしい」という、プロジェクトが生み出す成果そのものに対する欲求だった。

黙っていると、自分の抱えた問題や改善欲求は解消されない。しかし、コミュニティで声を挙げて具体的に提案すれば、また、その提案が他の多くのボランティアの賛同を得ることができるならば、その問題は速やかに改善され、自らが愛しているソフトウェアが、自らの望む方向に発展した。ここがとても大事な点だ。この経験は、その後の私の思考行動様式にも強くポジティヴな影響を及ぼしている[1]。「求めよ、さらば与えられん」だ。

プロジェクトに積極的に関与し、その中で評価を高めていく参加者は、そのプロジェクト自体に強い利害を持っている人物だ。プロジェクトに強い利害を持っていて、改善提案できる人物は、当然に、そのプロジェクトに関して豊富な知識をもつだろうし、プロジェクトの方向について強力かつ具体的な構想を持っているだろう。こうした、プロジェクトそのものへの強い動機付けと関与、そしてコミュニティ構成員からの支持が作用することで、プロジェクトの主導者が自動的に選出される。

これを最終決定権者のもとで、日本国システムの個別プロジェクトの主導者を選び出す過程に類推してみよう。すると、大規模な電子掲示板システムさえあればいいような感じだ。雰囲気としては、「国営2ちゃんねる」ということかな。日本国民の国民性から判断するに、匿名発言を許したほうが国民の政治参加は活発になりそうだ。プロジェクト主導者が、有力なコミュニティ構成員と癒着したり、個人的な党派を形成しないようにするために(馴れ合い禁止)、むしろ全員「名無しさん」であることが望ましいかもしれない。「釣りや煽りはスルーの方向で」というリテラシーを教育する必要がありそうだけど(『インターネットの法と慣習』でのコテハン・顕名推奨との矛盾については、次回説明する)。

そこでは、選挙すら必要ない。議員に与える報酬も、経費も不用ということになりそうだ。どうしても、中心メンバーで直に相談しなければならないことがあれば、新宿あたりで匿名オフ会でもしてもらえばいい。あ、そうすると地方の有力メンバーとかが排除されるから、こういうときに議員無料パスとか国会議事堂とか議員宿舎を活用すればいいんだ! 「国会議事堂」を改称して「国立オフ会堂」にしたらどうだろう。

プロジェクトについて何らかの役職を設定し、その役職について報酬を払うとした場合、プロジェクトへの参加動機が、問題解決や改善提案ではなく、金銭的動機へと変化する可能性がある。金銭を目的としてプロジェクトに参加する人物は、プロジェクト自体の目的達成よりも、自らの地位の保全と、プロジェクトを永続化させることでの収益の確保を目的とするようになる危険が高い。従って、その本人が、プロジェクト自体への動機付けの範囲で活動するためには、報酬を支払わないほうがよいことになる。

報酬を支払わないのであれば、主導者はどうやって生活していけばいいのか?という疑問が出てくるが、ここでは「そんなの関係ねえ!」と言い切ってしまおう。もし、オンラインでのプロジェクトへの関与に必要な費用が、その人の生活を脅かす段階に至るなら、その人は遠慮なくプロジェクトから離脱する、という原則を立てたらどうだろう。つまり、日本国システム運営に関するプロジェクトすなわち政治参加は、全ての国民について、ヒマなときに片手間にやるということを原則にするわけだ。そうであれば、生活を維持しうる範囲で、そのプロジェクトに対して最も貢献する人物、すなわちもっとも資源を投入する人物が、プロジェクトの主導権を「買い取る」ということを意味する。

選挙を経由する現在の選出方法だと、主導的地位を獲得するにあたって、一種のギャンブルをすることになる。主導的地位を獲得するにあたって、選挙カーやらウグイス嬢やら後援団体やらウソくさい選挙ポスターやら弁当やら電話やら...と、果てしなくプロジェクト遂行に関係のない費用を準備せねばならず、しかも莫大な私費を投入したとしても、必ずしも主動的地位を買い取ることができるとは限らない。その費用と労力の無駄には莫大なものがあるだろう。一方、上記の電子掲示板での主導的地位の獲得方法であれば、主導的地位を買い取るに当たって、その人物は具体的にプロジェクトの遂行に貢献することになる。そこには無駄がない。

そして、貢献によって主導的地位を獲得した人物が、自らの抱えている問題や改善提案を達成したならば、もはやそのプロジェクトに関与するインセンティヴがないのだから、そのプロジェクトを去るだろう。そのプロジェクトが継続されるべきものなら、自動的にそのプロジェクトを継ぐ者が現れるはずだ。誰もプロジェクトを継続するものが現れないのであれば、そのプロジェクトは終了すべきことになる。休眠プロジェクトが何らかのきっかけで復活することもあるだろう。

さて、このように、個々のプロジェクトは、電子掲示板で全ての国民がワヤワヤと相談しながら進めていくという仕組みが示された。しかし、放っておくと複数のプロジェクト相互の連携がなくなり、日本国システムの機能不全の原因となりうる。するとプロジェクトの進行について、まとめたり、それを最終決定権者に報告したり、また、それぞれのプロジェクトの主導者間の調整をしたりする役割の人物が必要になりそうだ。この作業は、ボランティアによって担えるだろうか? どうもダメなのではないかと思う。

* * * * *
[1] 逆に、現在の日本国の政治は、「求めても、求めても... 無駄無駄無駄無駄ァァァ!」な感じなので、国民各層がすっかりあきらめているのではないかと思う。少なくとも若い人たちは、完全にあきらめている。国民から見放されたシステムが国民を支配しているのって、怖いよねぇ。

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プロフィール

1968年生まれ。法政大学社会学部准教授。専門は情報法、知的財産権法。著書にHotwired Japan連載をまとめた『インターネットの法と慣習』などがある。MIAU発起人。HPは、こちら

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