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白田秀彰の「現実デバッグ」

社会システムのコーディングし直しを考えてみる。

No. 10 紛争調停者

2008年1月23日

(これまでの 白田秀彰の「現実デバッグ」はこちら。

現在「司法」と呼ばれている領域もまた、 前回の「人間にやらせないといけない仕事」に該当する。べつに、法科大学院に集う諸君が高学歴ワーキングプアにならないように、というような配慮があって こう言っているわけではない。

さて、ここで私は、紛争調停者と法律解釈者という二つの職能を設定したい。私が「司法」と呼ばれる領域の仕事を二つに分けるのには、その両者の仕事が相反する能力を要求するからだ。

人と人の間の紛争は、極めて人間臭いものであって、紛争には一つとして同じものがない。その解決においては、法律論理や倫理や道徳だけではなく、当事者の納得と周辺の第三者への説得可能性が重要だ、ということは前回も書いた。こうした紛争の調停に携わる仕事というものは、たぶん、人生経験とか心理学とか人当たりとか思いやりとか、私がもっとも苦手とするような領域の能力に長けた人が望ましいだろう。すなわち、この紛争調停者には、現在では社会福祉などに携わっているような性格の人が向いていると私は考える。

私の想定では、この紛争調停者は、現在、民事訴訟で扱われている法律問題から、社会福祉領域の問題までを広く担当することになるからだ。ひろく「紛争」の相談に乗り、解決へむけて助言と提案を行うことを考えている。当然、こうした仕事は専門的な知識と見識が要求されるだろうから、何らかの資格試験によって選抜された人々を、公的に雇用して担当させるべきだろう。

つづいて、紛争調停者が公務員であるべき理由を述べる。

紛争当事者は、紛争調停者に対して金銭等の利益を提供することで有利な裁定を得ようとするだろう。常識的に考えて、紛争において問題となっている事項について、それぞれの当事者が評価する金額を上限として、紛争調停者を買収するために支出する動機が、それぞれの当事者に存在することになる。したがって民間事業として紛争調停をするならば、その両当事者から報酬を得ることになるはずだが、その額を、両当事者が支出しようとするだろう額の合計まで引き上げることが可能になる。その挙句に、紛争調停者が「公平に裁判します」とか言って、本当に公平に判断するとすれば、その公平な裁判は、ずいぶん高額になるだろう。

実は、はるか昔の欧州裁判官の一部は、ほんとうにこんな感じで仕事をしていた。さらに裁判に勝つために、紛争当事者は、弁護士も雇わなければならなかったわけだから、「裁判一発で家が破産」というのも冗談ではなかった。これでは、「紛争を調停する」という社会的に意義深いサービスの価格が、普通の人々には禁止的に高額になってしまう。したがって、どのような種類の紛争であっても、一定の基準に基づいた報酬しか認めない、という仕組みを導入する必要がある。すると、政府による事業認可制と公定価格の導入ということになるか、または公務員のみにそうした業務を許す官業かということになる。

仮に事業認可制と公定価格を導入しても、民間事業だと事業の繁盛が目的となるという問題が残る。すなわち、紛争調停を業務として行うのなら、世の中にはできる限りたくさんの紛争が存在したほうが嬉しいことになる。常識的に考えれば、もちろん世の中の紛争は少ないほうが嬉しいはずだ。まあ、紛争が全くなくなるということはないと思うけどね。こうして、私は、民間事業として紛争解決業は不適切だと考える。

すると、一定の基準に基づいた報酬のみしか与えられず、仮に紛争解決の件数が多くても少なくても報酬額に影響しないといった業務形態が望ましいことになる。すなわちそれは公務員としての仕事ということになるだろう。もちろん、紛争当事者からの利益供与など受けることを厳しく禁じる必要がある。

あ、今回は、制度とコンピュータやプログラムとの類推がなかった。「人間」が中心の話だからだな。

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プロフィール

1968年生まれ。法政大学社会学部准教授。専門は情報法、知的財産権法。著書にHotwired Japan連載をまとめた『インターネットの法と慣習』などがある。MIAU発起人。HPは、こちら

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