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松浦晋也の「モビリティ・ビジョン」

今後、テクノロジーの発達に伴い大きく変化していく”乗り物”をちょっと違った角度から考え、体験する。

エキサイティングな3輪車トライクと、その可能性について

2009年4月16日

(これまでの 松浦晋也の「モビリティ・ビジョン」はこちら

 前回取り上げたビンディングペダルは、止まるときに意識しなくともペダルと脚とのかみ合わせをはずせるようになるために、いくらかの練習と慣れが必要だった。
 が、練習なしにビンディングペダルを使えるようになる、もう一つの方法がある。靴とペダルを替えるのではなく、自転車を替える──止まっても倒れない自転車に乗り換えてしまうのだ。
 親子3人乗りの安全のためにで紹介した、3人乗り用の3輪、4輪の自転車にビンディングペダルを使うというのも悪くはないだろう。主婦層は「自転車に乗るために、底に金具のついた専用の靴に履き替える」ということに拒否感を示すだろうけれども。
 子供が乗るような補助輪付きの自転車にする、というのもまあありかもしれない。大人向けの自転車に付く補助輪があるかどうかは知らないが。

 が、ここではもっとスポーティで潜在的可能性の大きな乗り物を紹介したい。リカンベントに乗ってみようよで、私は「2輪だけではなく、3輪のリカンベントも存在する。前2輪後1輪のものも、前1輪後2輪のものもだ。」と書いた。そう、3輪のリカンベントである。

 このカテゴリーのことは特に「トライク」ということが多い。トライクというと、最近では3車輪のバイクのことを指すことも多い。が、ここで扱うのは人力で走る3輪リカンベントのことだ。
 その姿は、子供が乗る三輪車とは全く異なる。地を這うように低く、アグレッシブだ。

 まずはリカンベント乗りの間で「この分野随一の傑作」といわれている「ウインドチータ」のスタイルを見てもらいたい。発売は20年以上昔なのだけれども、先鋭的ないかにも早そうなスタイリングは斬新である。このウインドチータが嚆矢となり、現在ではオーストラリアのGreenspeed、アメリカのCatrike、イギリスのINNESENTIKMX Kartsといったトライク専門のメーカーも出現している。日本に進出しているメーカーはKMX Kart(日本語サイト)だけだが、その他の車種もLOROのような販売店で購入することができる。
 ただし、値段はそれなりに張る。KMX Kartに10万円以下の入門機があるが、普通の機種だと30万円以上、車種によっては60万円以上を覚悟しておかなくてはならない。今のところのトライクは、高価格のために需要が増えず、需要が増えないために大量生産ができず、大量生産できないために値段が高止まりするという負の循環の中にある。

 トライク最大の特徴は、非常に低い乗車スタイルだ。地面から1m以下のところに頭が来る。あまりに姿勢が低いので、公道では自動車から見えにくいという問題が発生する。このため通常はシート後ろにポールを立てて視認性向上のための旗をなびかせる。
 2輪のリカンベントにもローレーサーと呼ばれる非常に車高の低い機種があるが、3輪の場合はほぼ全車種がローレーサー並みの低い車高を採用している。その理由は、おそらく転覆の可能性を減らすためだろう。2輪ならばコーナーリングの際に車体を傾けることができるが、3輪では不可能だ。このため、重心が高いと3輪車は転倒する危険性が大きくなる。転倒の危険性を小さくしつつコーナーリング性能を高めるためには、車体を低くして重心を下げるしかない。

 「こんな乗り物、あまりに危ないのではないか、公道を走ってもいいのか」という疑問を持つ人もいるだろう。トライクは道路交通法では、軽車両ということになり公道を走っても構わない。ただし、ほぼすべてのトライクは幅が60cmを超える。このため、一部の歩道において走行が許されている「普通自転車」の区分には入らない。
 実際問題として幅の大きいトライクで、日本の狭い歩道を走ることは現実的ではないだろう。
 日本の公道におけるトライク最大の問題点は、そもそもトライクなる乗り物がこの世に存在するということを知りもしないドライバーが圧倒的多数だということだろう。知らないものをあらかじめ「そんなものが走っているかも知れないぞ」と注意することはできない。また、走っているトライクが視界に入っても、それが乗り物であると認識するまで時間がかかるだろう。

 乗車姿勢が低い分空気抵抗が小さいので、トライクはかなりのスピードが出る。視線位置が低いので、速度感も相当なものだ。
 となれば、誰でも「長い坂を下れば、さぞやスリルがあって面白いだろう」と気が付く。YouTubeをr“Trike Downhill”で検索してみるとけっこうな速度で坂を下るトライクの画像が多数アップされている。これらの映像から、トライクが実にエキサイティングな乗り物であることが分かるだろう。

 私は数種類のトライクに試乗したことがあるが、その印象は強烈だった。一部のスポーツカー、例えばロータスの「セブン」系(現在日本の公道を走っているのはそのほとんどがケータハムを初めとしたコピーだ)の視線もかなり低いが、大抵のトライクはセブンよりも視線が低い位置に来る。これよりも視線の低い乗り物は、ウインタースポーツのリュージュやスケルトンぐらいではないだろうか。ほとんど地面に寝そべっているような感覚で道路を走ることになる。スポーツカーの世界では、「路面でタバコを消すことができる」というのが、車高の低さを象徴的に示す言葉だが、トライクはそれどころではない。路面に手が届くどころか、車種によってはシートに座ったまま、地面に肘が届きそうである。
 これはもう自転車とは全く異なる、新たなジャンルの乗り物であると考えたほうが良いだろう。

 「そんな危なげに見える乗り物をわざわざ公道で走らせる必要があるのか。所詮は遊びの道具ではないか」と思う方もいるだろう。しかし、私の見るところ、トライクには自転車や2輪のリカンベントが持っていない非常に大きな利点が存在する。

 それは「トータルで見た走行抵抗を非常に小さくできる」ということである。

 ここで「本当にそうか?」と思った方は、この連載をきちんと読んでくれているのだろう。バイコロジーの未来のために今できることで、HPV(Human Powered Vehicle)の陸上における速度記録を保持している「Varna Diablo II」というリカンベントを紹介した。「Varna Diablo II」は2輪車だ。
 ということは、もっとも走行抵抗が小さくなるのは3輪車ではなく、2輪車ではないだろうか。すこし考えてみても、3輪車は空気抵抗に大きく関係する全面投影面積が2輪車よりも大きくなる。走行抵抗を減らすという面では、3輪車は2輪車よりも不利なのではないだろうか──そのようにも考えられる。

 ところがそうでもないらしい。

 以前、私は、燃費を競うエコマラソンという競技で、何度も世界記録を樹立したチーム・ファンシーキャロルの中根久典さんから、2輪車と3輪車の違いについて面白い話をうかがったことがある。エコマラソンでは、いかに走行抵抗の少ない車体を作るかが勝負の鍵のひとつとなる。かつて中根さんは2輪車のほうが空気抵抗が小さくなるだろうと考え、ぎりぎりまで前面投影面積を減らした、小さな補助輪を持つ2輪のエコマラソン用の車両を開発したことがあった。ところが2輪にしたことによって、かえって燃費性能が悪化してしまったのだそうだ。
 その理由は走りの安定性にあった。2輪車はまっすぐ走っているように見えても小刻みに右に左にステアリングを切って車体が倒れないように安定を保っている。つまり進路は常に左右にぶれている。このぶれによって発生する走行抵抗がバカにならないのだそうだ。3輪車だと静止状態でも車体は転倒せずに安定しているので、走行時も左右へのステアリングは最小限ですむ。

 ここからは私の推測になる。空気抵抗には、速度に比例する成分と速度の二乗に比例する成分とがある。おそらく「Varna Diablo II」のように100km/hを超えるような高速域では、2輪車にすることで空気抵抗が減るメリットが、微妙な蛇行によって発生する損失よりも大きくなるのではないだろうか。一方エコマラソンは30km/h程度の速度で競技が行われる。この速度域では空気抵抗よりもステアリングが安定しているという3輪車のメリットのほうが大きくなると考え得る。
 我々は日常的に公道で出す速度は「Varna Diablo II」のような100km/h超ではない。一方、エコマラソンと同じ30km/h程度の速度で走行する機会は頻繁に存在する。つまり、我々が日常的に使用する速度域では、3輪車のほうが2輪車よりもトータルで見た走行抵抗を非常に小さくできるということになる。

 このことは、新たな乗り物を考える時に興味深い視点を提供してくれる。
 一切の抵抗の存在しない理想的な環境を想像してみよう。ニュートンの運動法則が示すところによれば、そのような環境では、どんなに小さな力でも物体は徐々に加速し、いくらでも高速で運動することができる。そして、いったん一定の速度に達したら、外からエネルギーを加えなくても、その速度で運動し続ける。
 乗り物にかかる様々な抵抗──空気抵抗、駆動系の摩擦による抵抗、タイヤの転がり抵抗などなどを極限まで減らしていけば、非常に小さな力で高速走行を可能にできるのである。とすると、この方向を追求していけば、人力で走るHPVでありながら、既存の自動車に近い利便性を持った乗り物を作り上げることができるのではないだろうか。そんな乗り物の基本形状として、トライクのような極端に背の低い3輪車は最適なのではないだろうか。

 もちろんそのような乗り物に乗るときには、ビンディングペダルを利用して、身体の筋肉をバランス良く、効率よく使用するわけである。

 自動車のようにガソリンを消費せず、なおかつ自動車に迫るほどのモビリティを提供する乗り物が、トライクの先には存在しうる。これはかなり魅力的な考えである。
 実は、そのような乗り物はすでに存在し、相当数が地球上を走り回っている。もちろんそれは理想の乗り物ではない。様々な欠点も抱えている。しかし、今後の可能性を考えると、トライクの先にある新たな乗り物は、決して無視して良いものではないだろう。

 その乗り物とは──というところで次回に続きます。

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プロフィール

ノンフィクションライター。1962年、東京都出身。日経BP社記者を経て、現在は主に航空宇宙分野で執筆活動を行っている。著書に火星探査機『のぞみ』の開発と運用を追った『恐るべき旅路』(朝日新聞社)、スペースシャトルの設計が抱える問題点を指摘した『スペースシャトルの落日』(エクスナレッジ)、桁外れの趣味人たちをレポートした『コダワリ人のおもちゃ箱』(エクスナレッジ)などがある。

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