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松浦晋也の「モビリティ・ビジョン」

今後、テクノロジーの発達に伴い大きく変化していく”乗り物”をちょっと違った角度から考え、体験する。

バイコロジーの未来のために今できること

2009年1月 9日

(これまでの 松浦晋也の「モビリティ・ビジョン」はこちら

バイコロジーという言葉をご存知だろうか。バイシクルとエコロジーを合成した言葉で、「自動車のようなガソリンを使う乗り物ではなく、自転車を使いましょう」という運動である。1971年にアメリカで始まり、日本にも第一次オイルショックがあった1973年頃に入ってきた。一時期は大きく盛り上がったのだが、原油価格の安定と共に、バイコロジーという言葉は社会の表舞台から消えていった。その後、あまりぱっとしなかったバイコロジーだが、私は今こそ、交通機関の中に自転車を正当に位置付け、バイコロジーを進める好機ではないかと思っている。

以下、まずはその理由をまとめよう。

自転車に限らず、人の力を動力とする乗り物をHPV(Human Powered Vehicle)と呼ぶ。この中には自転車を初めとして、ボードや人力飛行機、さらには人力潜水艦などというものまで含まれる。とりあえず、地上を車輪で走るHPVに限定して、いったい人間の力でどれほどのことができるのか調べてみよう。

HPVには、International Human Powered Association(HPVA)という国際組織が存在する。HPVAは様々な国際記録の基準を作り、認定している。IHPVA Official Speed Records INDEX of RECORDSを見ると、非常に細かくレギュレーションを規定して、様々な世界記録を公認していることが分かる。ここでは、一番速い速度を出す、LAND - MEN'S 200 METER FLYING START SPEED TRIAL(Single Rider)を見てみよう。男性1人が搭乗する陸上の乗り物で、助走をつけて200mの計測区間を走り、その速度を競うという部門だ。

現在の公式記録は「Varna Diablo II」という車体が出した、130.36km/hというものだ。時速130kmというと日本の高速道路でも30km/hオーバーの速度超過となるとんでもないスピードである。実はこの記録は最近になって破られた。まだ公認とはなっていないようなのだが、2008年9月に同じチームの「Varna Diablo III」が、132.5km/hを出している(WIRED NEWSでも取り上げられている)。この時の「Varna Diablo III」の走りは、YouTubeで見ることができる。極限まで空気抵抗を軽減した車体が、シャーッと空気を切り裂く音を響かせながら走る様は、とても人力で走っているとは思えない。

「だからどうした」と思うだろうか。「世界記録などというものは、鍛え上げたライダーが特別の車体に乗って、路面の状態の良い場所で、気温や湿度や風向きが良い時を見計らって出すものだろう。近所をママチャリで走っている自分には関係ない」と。

しかし、もう一度LAND - MEN'S 200 METER FLYING START SPEED TRIAL (Single Rider)を見てみよう。1970年代半ば、70km/hにも届かなかった記録は徐々に伸びて1986年には100km/hを突破、2001年には初代「Varna Diablo」が、“1/10音速”(海面での音速は340.29m/s=1225km/h)突破の129.64km/hを達成、現在の132.5km/hという記録にまで到達している。この間、もちろんトレーニング方法の改善はあったろうが、動力である人間の体力が一気に増強されたわけではない。タイヤ、動力伝達系、そして空気抵抗など、様々な高速走行を妨げる抵抗を低減する技術が発達したと見て間違いないだろう。

そして、それらの技術の一部は、普段我々が乗る自転車にも適用されているはずなのだ。世界記録が70km/hにも届かなかった時代からすでに40年近くが過ぎた。その間、普通の自転車の姿は大きく変化したわけではない。しかし、使用している部品のレベルでは、ずっと進歩している──HPVの速度記録は、私たちがすでにかつての自転車とは異なる、より高性能の自転車に乗っているということを示唆している。

先にバイコロジー運動は第一オイルショックの時に日本に入ってきたと述べた。しかし、この時のブームは長くは続かなかった。原油価格の安定と共に、自転車への熱狂は去り、ますます自動車が増えていくこととなった。オイルショック時のバイコロジーが消えてしまった理由を、私は道路の舗装率にあったと考えている。国土交通省の資料(pdfファイル)を見ると、第一次オイルショックが起きた1973年における日本の道路の舗装率は60%ほどだった。全国の道の半分弱は、舗装されていなかったのだ。

未舗装路を自転車で走るのは、舗装路に比べるとかなりの苦痛である。振動は多いし、タイヤもスムーズに転がってくれない。1970年代のバイコロジーが尻すぼみになった背景には、日本の道路の舗装率の低さがあったのではないだろうか。

その後、日本の道路の舗装率は向上し、今や97%を超えてほぼ100%に迫りつつある。もちろん国の政策としては、舗装率の向上は自動車のためのもので、自転車が快適に走れる道路を造るという視点はほとんど存在しなかった。ところが実際には、気が付いてみると自転車で快適に走れる舗装路が日本の津々浦々まで続いているという状況になりつつあるのだ。

自転車のようなHPVの技術は進歩している。そして、日本の道路の舗装率は100%に迫っており、自転車は、こと走行のスムーズさに関しては日本のほぼ全ての道を快適に走ることのできる環境が整いつつある。1970年代にはかけ声でしかなかったことが、今や実現できる状況になっているのだ。誰もが、排気ガスを出さずに手軽かつ健康的なモビリティを享受できる可能性はすぐ目の前に存在するのだ。

自転車の世界では、「腹の下の油田」などということをいうそうだ。世界中から原油を買い集めるのではなく、自分の腹についた脂肪を燃焼させて移動しようという意味である。厚生労働省が「メタボ」なる言葉を流行らせて成人病につながる肥満対策をすすめている昨今、もっと皆が自転車を使いやすい社会環境を実現する動きがでてもおかしくない。

にも関わらず、日本の現状はといえば、前々回前回と述べてきたように、街ではママチャリが人と競うようにして歩道を走り、肝心の自転車のマナーは非常に悪い。

いったいどうすればいいのか。

自転車や、自転車を含むHPVの未来のために、今なにができるのか。実はここ数回の連載で、すでに書いてきた。

「しっかり作られた、質の良い自転車を」「きちんと自分の体に合わせて調整の上、正しい整備をして」「交通法規とマナーを守って乗る」これだけなのだ。そうやって自転車に乗る人が増えれば行政は自ずと後を付いてくるようになる──私はそのように考えている。

まず、「しっかりと作られた、質の良い自転車」について。

お気づきの方もいるだろうが、ここまでの原稿では「ママチャリ」と「安いママチャリ」を意識して書き分けてきた。

ママチャリはそれなりに良くできた道具だ。これは間違いない。だが、質の悪いママチャリは、大きな問題である。部品の精度が悪くて走行抵抗が大きく、走りにくいぐらいならまだしも、フレームなど主要部品の強度が低く、走っている最中に破損する可能性すらある。事実、低品質の自転車の破損によって起きる事故は、自転車業界では大きな問題になっている。そして、質の低い自転車は、ほぼ間違いなく激安で売られている。これはママチャリに限ったことではなく、クロスバイクやマウンテンバイクといった車種でも同様である。

質の良い自転車を見分けて買う方法は2つある。一つは社団法人自転車協会が認定したBAAマークの付いた自転車を買うことだ。BAAマークは、主に中国から輸入されるノーブランド低品位の激安自転車に危惧感を抱いた自転車協会が、独自の安全基準を策定し、それに合格した自転車に付けているマークだ。BAAマークを付けた自転車ならば、それぞれの車種に応じた走行性能と安全性を確保していると思って間違いない。

BAAは国内の業界団体による任意の規格であり、輸入自転車などではそもそも認定を受けていないことも多い。この場合の見分け方は、価格ということになる。ごく大まかなところだが、大人向けで3万円を切っている自転車は「これ大丈夫?」と疑っておいてもそう大きな間違いはないだろう。安いものには安いだけのことはある。特に1万円を切るような自転車は安全面でも不安が残る。

このあたりは車種にもよる。例えば2万9800円の自転車でも、前後サスペンションと変速機構付きなどという場合には、「ひょっとして低品位?」と疑うべきである。安い価格で豪華装備を実現しているということは、どこかで手を抜いているということだからだ。2009年現在、ママチャリなら3万円以上、しっかりしたフレームと多段変速機構を持つクロスバイクならば5万円前後以上というのが、安心して乗れる自転車を選ぶ基準である。

自転車に乗るということは、その自転車に命を預けるということだ。私には、製造コストを削りに削ったことが明白な、激安自転車に安心して乗っているというほうが理解できない。「お店で売っているもの」即「安心で安全」というわけではないことは、昨今の食品偽装の例でも明らかだろう。しっかりしたものには、それだけコストがかかるものだし、安いものには安いだけの理由が存在するものなのだ。そのことを念頭に、私たちは買い物をする際に自衛しなくてはならない。

もう一つ重要なことがある。「量販店ではなく、自転車専門店で買う」ということだ。自転車は部品点数が少ないので各部の調整とメンテナンスで大きく性能が変化する。腕の良い整備エンジニアに整備をお願いできるかどうかで、自転車生活の快適さは大きく変化する。

量販店にも整備スタッフはいるが、すぐに異動したり退職したりでいなくなってしまうことが多い。1台の自転車を何年も使うことを考えると、固定スタッフがいる自転車専門店で購入して、メンテナンスもお願いするのが最上だ。量販店よりも自転車の価格こそ割高になるかも知れないが、その後の整備のことまで考えるとトータルでは割安になる。

専門店のスタッフでも腕前の巧拙は存在するので、店の選択は重要である。もちろん、なにかあったら直ぐに持ち込める近場に店がある、ということも大切だ。

最悪なのは「量販店で激安自転車を買って、ちょっと乗り心地が悪くなったら整備をせずに捨てて買い換える」という乗り方だ。不要自転車の処分は、ゴミ処理が抱える課題の一環として日本各地で問題になっている。自転車を買う段階から、きちんと整備をしつつ末永く乗れる環境を意識して作っていこう。

きちんと自分の体に合わせて調整する、ということは前々回述べた。調整に当たっては、自転車店の整備スタッフに相談するといいだろう。一方、タイヤの空気圧は自分で注意するしかないのだから、いつも意識しておくこと。

交通法規とマナーについては、前回の記述を読み返してもらいたい。「警察が取り締まらないから」守らない、ではなく、「自転車を快適に使える未来のために」交通法規やマナーを守ってもらいたい。特に、左側通行の厳重と、夜間の灯火点灯は、絶対に守ろう。この2つを皆が守るだけで、自転車を巡る環境は大きく改善するはずだ。

「個人に何ができるんだよ」「そんなことで世界が変わるかよ、おめでてーな」という声が聞こえてきそうだ。しかし、自転車技術と舗装率の両面で、1970年代よりも今のほうが自転車を使う環境は良くなっていることは間違いない。さらに、メタボ対策という形で今や時代の追い風すら吹いている。

「質の良い自転車を」「きちんと調整し、整備して」「交通法規とマナーを守って乗る」──私はそれで世界は変わると思っている。もちろん私の見込み違いかもしれない。実際にはなにも変わらないのかもしれない。しかし、世界は変わらなくとも、確実に変わるものがある。

これらを実行して自転車に乗るならば、確実に“腹の下の油田”は消費され、あなたはメタボとはほど遠い体型になることができるだろう。

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プロフィール

ノンフィクションライター。1962年、東京都出身。日経BP社記者を経て、現在は主に航空宇宙分野で執筆活動を行っている。著書に火星探査機『のぞみ』の開発と運用を追った『恐るべき旅路』(朝日新聞社)、スペースシャトルの設計が抱える問題点を指摘した『スペースシャトルの落日』(エクスナレッジ)、桁外れの趣味人たちをレポートした『コダワリ人のおもちゃ箱』(エクスナレッジ)などがある。

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