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松浦晋也の「モビリティ・ビジョン」

今後、テクノロジーの発達に伴い大きく変化していく”乗り物”をちょっと違った角度から考え、体験する。

リカンベントに乗ってみようよ

2009年1月23日

(これまでの 松浦晋也の「モビリティ・ビジョン」はこちら

前回、陸上を走行するHPV(Human Powered Vehicle)の世界記録を持つ、「Varna Diablo III」を紹介した。普通の自転車とは大きく形状が異なる乗り物だった。一番大きな違いはライダーの乗車姿勢だ。通常の自転車では、基本的に人は“縦”に乗る。脚は下で頭は上。上半身の前傾の度合いは自転車の種類によって異なるが、体の下にペダルがあることには変わりない。

一方、「Varna Diablo III」では、ライダーが寝そべった姿で“横”に乗っている。脚は前で頭は後ろ、ペダルは体の前にある。「Varna Diablo III」のように寝そべった姿勢で乗る自転車のことをリカンベント(Recumbent)と呼ぶ。“recumbent”という単語を英和辞書で調べると「横になった, もたれた」という意味の形容詞だと出てくる。乗車姿勢を示す単語が乗り物の呼び名となったわけだ。

recumbentには「不活発な」という意味もある。が、実際のリカンベントは不活発どころではない。通常の自転車にはない利点をいくつも持つ、非常にアクティブな乗り物である。

リカンベント最大の利点は、寝そべった乗車姿勢なので、通常の自転車に比べて空気抵抗が小さいということだ。このため通常の自転車よりも高速を出すことができるし、同じ速度なら楽に維持できる。風の強い日に向かい風の状態で自転車で進むのは、とても骨の折れる、疲れることだが、リカンベントならば、向かい風に対しても自転車よりもかなり楽に進むことができる。また、基本的にリクライニングした椅子に座る乗車姿勢なので、小さなサドルの上に座る自転車に比べるとお尻が痛くなりにくい。

リカンベントの走行時に乗り手から見える視界は、爽快そのものだ。通常の自転車の場合は、空気抵抗を軽減しようとして姿勢を前傾させていくと、自ずと視線が路面を向くようになり、前方視界が悪くなる。これがリカンベントだと、目の前に進行方向と空とがパノラマになって開ける。

リカンベントにはアンダーシートハンドルタイプと言って、ハンドルがライダーの前ではなく、シートの下にあるタイプがある。シートに座ってだらりと腕を垂らすとそこにハンドルがあるわけだ。このタイプだと、前方視界を遮るものが全くない。素晴らしい視界を楽しみながら走ることができる。

実はリカンベントは最近になって出現した乗り物ではない。その歴史は自転車と同じぐらい古い。人間が脚で漕いでタイヤを回して進む乗り物が、いったいどんな形状をしていると一番便利なのか──リカンベントは、そんな試行錯誤の中から出てきた自転車の一形態なのである。実際、空気抵抗の小ささを生かして、初期の自転車レースではリカンベントが好成績を収めているのだそうだ。現在の自転車レースでは、条件をそろえるという観点から、リカンベントタイプの車両の参加は基本的に禁止されている。

私は2003年にリカンベントを手に入れ、ずいぶんと乗り回してきた。試乗会にも足を運び、かなりの種類のリカンベントにも乗った。その経験からすると、リカンベントには単なる自転車の変形亜種にとどまらない、魅力と利点がある。特に、向かい風の時の負担が少ないことと、大きく開けた視界を楽しめることは、この一見“変な自転車”にわざわざ乗る、積極的な理由となりうると感じている。

リカンベントの運転はそんなに難しくない。ただし、走り出しだけはちょっとしたコツが必要である。まず、変速機のギアを軽い段に入れておくこと。でないと、走り出しでよろけたりする。その上で大切なのは、頭を切り換えることだ。リカンベントでは、漕ぎ出すために脚を前に向けて突っ張ることになる。つまり前に進むために前に向かって押すことになる。普通は前に向かって押せば、自分は後ろに下がる。リカンベントの走り出しは、「前に進むために前へと押す」わけで、慣れないと感覚的に混乱する。座席に深々と座り、腰とペダルの間でつっぱる気持ちで、ペダルを一気に前に向けて踏ん張ると、リカンベントは一気に走り出す。

いったん走り出してしまえば、通常の自転車と同じだ。マニュアルミッションの自動車のように、その時々の速度に合わせてまめにギアを変速すると、スムーズに走ることができる。なるべくペダルを一定の回転数に保ち、速度の増減は変速機で行うようにすると、楽に走り続けることができる。

乗り方よりも、“変な自転車”と感じられるあたりがリカンベント普及の一番の妨げになるのかも知れない。今でこそ、街でもたまにリカンベントを見かけるようになってきたが、私が乗り始めた2003年頃は、走るたびに周囲の注目を集めたものだ。

じっと見つめ、なにか見てはいけないモノを見てしまったように目をそむける人がいる。見つめてはいけないとでも思っているのか、必死に目を向けないようにしつつ、なおかつ横目でちらちらと見る人がいる。子どもは大抵大喜びだ。「あー、すげえ!」「変な自転車、変な自転車だ!」と大声で騒ぐ。たまに「カッコイイ!」と言ってくれる子もいたな。おばちゃんの集団から「アレッ、アレッー」と大きな声と共に指さしされたときにはびっくりしたものである。

リカンベントにも欠点はある。まず、体を横にして乗る分、どうしても車体は通常の自転車よりも長くなる。駅の近くの駐輪場やスーパーの自転車置き場など、通常の自転車スペースに止めることは難しいかも知れない。その分フレームも、駆動用のチェーンも長くなるので、車体は重くなる。だいたい、通常の自転車プラス3kgといったところだ。小回りも利きにくい。ママチャリのように雑踏の中を通行人を避けつつ走るというような芸当は、リカンベントでは難しい。

また、風に強い一方で、リカンベントは上り坂に弱い。通常の自転車では腕でハンドルを引き寄せるようにして、腕や体幹の筋肉も使ってペダルを踏むことができるが、座りっぱなしのリカンベントではそのようなことはできない。大きく重い車体と相まって、上り坂はつらいものとなる。変速機をなるべく軽いギアに入れて、ひたすら脚をくるくる回すようにしながら登っていかなければならない。

フレームのサイズを自分の体格にきっちり合わせないと性能を発揮できないという問題もある。通常の自転車は、サドルの高さは前後の位置を調整すれば、わりと乗り手の体格に対して融通が利く。しかしリカンベントは、ペダルとシートの間の距離が乗り手の脚の長さにぴったり合っていなくてはならない。このため、リカンベントを購入する場合には、自分の身長と脚の長さに合わせたフレームサイズのものを買う必要がある。主なメーカーが欧州にあることもあって、市販のリカンベントのかなりの種類が「身長170cm以上向け」だったりする。小柄な人だと、自分の体格に合わせたフレームを特注することになる。

何よりも、今のところ大量生産されている製品は存在しないので、値段が高い。低価格のものでも7万円近くする。満足な走行性能を持つリカンベントを手に入れるつもりならば、20万円以上かかると思わねばならない。

リカンベントと一口にいっても、車高やペダルやハンドル、前輪の位置などで様々な種類が存在する。一番馴染みやすいのは、通常の自転車のペダルが若干前にでた形状のものだ。これらはセミ・リカンベントと呼ばれる。タルタルーガType R/Type Foldingなどがこの部類に入る。このタイプならば、通常の自転車から違和感なしに乗り換えることができる。

標準的なリカンベントでは、もう少しペダルが高い位置にある。車高は高いものから、「Varna Diablo III」のように地を這うかのように低いものまで様々だ。低くなるほど走行時の空気抵抗は小さくなるが、乗りにくくなる。また、あまり車高が低いと、公道では自動車からの視認性が悪くなるという問題も発生する。特に車高が低い車種は「ロー・レーサー」と呼ぶ。車高が高いものはサイクリング向け。車高が低くなるほどにスポーツ性を増して、レース用のロー・レーサーに至ると思えばいい。どのようなリカンベントが存在するかは、例えばオランダのメーカーChallengeカタログを見ると理解できるだろう。

「Recumbent/リカンベント」で検索をかけると、実に様々な車種が世界中で作られていることがわかる。ドイツ、オランダ、イギリス、アメリカ、オーストラリア、台湾、ロシア、日本──。その形状も様々だ。車高の高いもの、低いもの。前輪がペダルの後ろにあって全長を短く押さえたものもあれば、ペダルの前に前輪があるのっぺりと長いものもある。もちろんハンドルが目の前にある車種もあるし、シートの下にあるものもある。2輪だけではなく、3輪のリカンベントも存在する。前2輪後1輪のものも、前1輪後2輪のものもだ。さらには後輪ではなく前輪を駆動するものや、前輪がステアリングするのではなく、後輪がステアリングして進行方向を変えるという車種まで存在する。

通常の自転車は、長い歴史の中でどんな形状がもっとも効率がよいかの試行錯誤が続き、現在の形態に至った。このため、どの自転車も基本的に似た形状になっている。「今の形や仕組みからはずれた設計をしても、効率が悪くなるだけだ」ということが分かってしまっているわけだ。

一方リカンベントは、古くから存在する割には、あまり試行錯誤が進んでいない。どのような形状、どのような機構を採用すれば、もっとも効率的に人力を前進するエネルギーと変換することができるのか、どうすれば疲れずにより速く、快適に走ることができるのか──まだまだ混沌としている。現在進行形の試行錯誤の結果が、多種多様な形状となって現れている。

道具は用途を明確にしなければ、特質を十二分に発揮することはできない。リカンベントの利点と欠点を考え合わせるに、近所へちょっと買い物というような用途には向いていない。むしろ、日常生活の中ならば電車や自動車で移動するであろう、片道10~20km程度の中距離を移動するのに向いている。これはかなり微妙なところだ、片道20kmといえば、往復で40km。「マラソンの42.195kmと同じぐらい」と考えると、「自転車もどきでそんな長距離を走りたくはないよ」とめげる人が多いのではないだろうか。一方、自転車で走り慣れた人にとって40kmというのは「ちょっと物足りないけれども、まあ日常の中では十分走ったかな」という程度の距離である。

距離の感覚は、走り慣れることでずいぶんと変わってくる。もしもあなたが今まで自転車で20kmを走ったことがないのならば、20kmというのはずいぶんと長い距離だと思うことだろう。実際に走ってみても「うわあ、20kmというのはこんなに遠いんだ」と感じるはずである。

しかし、同じ道を2回、3回と走ると、やがて短く感じるようになる。徐々に感覚が走ることに慣れてくるにつれて、「なんて遠い20km」が「たったの20km」に変化していく。その上で、別の道で20kmを走ってみると、大した違和感も感じずにあっさり走りきることができるだろう。20kmという距離を、自分の身体感覚で「この程度」と理解できるようになったわけである。

自分が走ってみた実感で語るなら、平坦地ならばリカンベントで20km程度を走るのは、日常に刺激を与えるのにちょうど良い運動である。視界が開けているのでのんびりゆったりした爽快な気分で走ることができる。空気抵抗が小さいので、通常の自転車と同じ速度で走っても疲れが少ない。私の好みで言えば、リカンベントは必死に脚をくるくると回して速度を稼ぐのではなく、変速機を高めのギアに入れて、脚をゆっくりと回し、ゆったりとした気分で走るのが良い。空気抵抗が小さいことを生かして、あまり心拍数を上げずに乗るわけだ。

リカンベントには“必死”という言葉は似合わない。リラックスできる乗車姿勢で、目の前の道路から頭上の空までの広い視界を楽しみつつ、ゆったりと乗って、なおかつ適度に速いというのがリカンベントの楽しさであり、便利さでもある。

私は通常の自転車も好きだが、リカンベントも同じぐらい好ましい乗り物だと思っている。願わくばもう少しリカンベントの楽しみを知る人が増えてくれればうれしいのだが、現状では、リカンベントは「街でたまに見かけるヘンテコな自転車」と思っている人が多数だろう。いや、その存在すら知らない人のほうが多いかも知れない。

知人をリカンベントに乗せると、反応は2種類に分かれる。「これは面白い」、そして「怖そう」だ。「怖そう」とする人の中には、誘っても乗ろうとはしない人もいる。見かけほど変な乗り物ではなく、通常の自転車とは異なる楽しさがあるということを、どうやってアピールするか──リカンベント普及の鍵は、そのあたりにあるのかも知れない。

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プロフィール

ノンフィクションライター。1962年、東京都出身。日経BP社記者を経て、現在は主に航空宇宙分野で執筆活動を行っている。著書に火星探査機『のぞみ』の開発と運用を追った『恐るべき旅路』(朝日新聞社)、スペースシャトルの設計が抱える問題点を指摘した『スペースシャトルの落日』(エクスナレッジ)、桁外れの趣味人たちをレポートした『コダワリ人のおもちゃ箱』(エクスナレッジ)などがある。

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