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yomoyomoの「情報共有の未来」

内外の最新動向をチェックしながら、情報共有によるコンテンツの未来を探る。

In Copies Begin Cultures 〜 著作権は何のために存在するのか

2008年12月 3日

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ワタシは肩書きに「翻訳者」を名乗ってますが、『デジタル音楽の行方』の刊行から3年経ち、以後『Make』日本版の翻訳に携わっているとはいえ、この肩書きを名乗ってよいものか疑問に思ったりします。

現在の生活が続く限り、書籍の翻訳をやることは難しく、実際本連載で取り上げたある本についていただいた翻訳の打診を泣く泣く断ったこともあったりしますが、それでもときどき「この本訳してみたいな…」と現実逃避したりします。

最近それを思った本に、コリィ・ドクトロウ(Cory Doctorow)『Content: Selected Essays on Technology, Creativity, Copyright, and the Future of the Future』があります。このブログでもドクトロウの仕事は『Little Brother』をはじめとして何度か取り上げていますが、『Content』は副題から分かる通り、電子フロンティア財団のコーディネータでもあった彼がテクノロジーと著作権関係の問題を扱ったエッセイを集めたものです。

彼のこれまでの単著同様、本書もクリエイティブ・コモンズの表示-非営利-継承ライセンスの元で公開されており、サポートサイトからダウンロード可能です。ワタシはこの本をぼちぼち訳して公開しようと密かに企んでいたのですが、余暇と能力の問題でそれすら無理そうなので、ここで紹介する次第です(どなたかやりません?)。

さて、そのドクトロウがローカス誌に「Why I Copyfight」という彼の著作権に対する考えを再確認できるエッセイを寄稿しています。Copyfight という単語を Wikipedia で引くと Anti-copyright にリダイレクトされてしまいますが、彼は著作権を一概に敵視しているわけではないにしろ、著作権のあり方に強い危機意識を持っています。

ドクトロウは、既存の著作権法は複製を稀な行為ととらえているが、インターネットでは複製は自動的に、つまり膨大な回数行なわれることをまず指摘した上で、著作権の存在理由を問います。

著作権はなぜ存在するのか? それは「文化」のためだ。著作権が存在するのは、文化が創作物の市場を生み出すからである。コンテンツが王様なのではなく、一番重要なのは「文化」だ、とドクトロウは説きます。

それなら文化とは何なのか? 文化に欠かせないのは情報を共有することである。つまり、文化とは共有された情報である。人々が創作物について語り合い、それを真似したり歌ったり演じたりして共有することでそれは文化になる。

そこでインターネットにおける複製が禁じられたら、ネットにおいて文化は死んでしまうし、それは著作権の存在理由を殺すことになる――と続くわけですが、ドクトロウのこうした文章は読んでて盛り上がるものがあり、ご一読をお勧めします。

一方でローレンス・レッシグの著作を読んだことがある人であれば、こうした議論は聞き飽きたと思うかもしれません。それでも、現行の著作権法を盾に複製が頭ごなしに禁止されるのはおかしいし、複製を禁止したり制限する管理技術は結果的に創作者の首を絞め、文化的損失につながる可能性が高いという認識はもっと広まってほしいところです。

また複製から文化がはじまる、というのは大げさな話でなく現実の話で、先月 NHK が NHK-FM の人気ラジオ番組だった「サウンドストリート」の録音テープをネット配信するサービス「NHK青春ラジカセ」を開始しましたが、この音源は NHK 自身によって保存されていたものではなくリスナーがエアチェックしたテープの提供を受けたものだったりします。

谷分章優氏が「私的複製が文化を残す例」において指摘するように、この話はネット時代の複製と文化の関わり、それこそドクトロウが書く複製と著作権と文化の関係性と重なります。

 いま世の中に発表される著作物の多くはインターネットの上にある。これらを保存するには、どこかのサーバーに複製しておく必要があるが、複製を禁じることで著作権を保護してきた今の法律とは真っ向からぶつかってしまう。

そして、この問題をもっと長期的にとらえるなら、八田真行氏が「記録するということ」で書くデジタルアーカイヴィングと「電子考古学」の重要性の話にもつながるでしょう。

11月28日の日本経済新聞夕刊に掲載された国立西洋美術館長の青柳正規氏のインタビューでも、大学研究者による小規模データベースが、情報が更新されず死屍累々であること、日本では情報の保存についてほとんど議論されていない実情を挙げて、デジタル情報の保存の問題が語られていましたが、ワタシとしては何より技術が複製に制約を課すためでなく、複製が長期的な保存に耐えるよう技術が活かされることを願って止みません。大げさにかけば、これは我々インターネット世代に課せられた文化的使命なのです。

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プロフィール

1973年生まれ。 ウェブサイトにおいて雑文書き、翻訳者として活動中。その鋭い視点での良質な論評に定評がある。訳書に『デジタル音楽の行方』、『Wiki Way』、『ウェブログ・ハンドブック』がある。

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