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yomoyomoの「情報共有の未来」

内外の最新動向をチェックしながら、情報共有によるコンテンツの未来を探る。

CODE 2.0とレッシグ2.0

2008年1月 9日

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以前にも書いたことがありますが、昨年秋、ローレンス・レッシグから Creative Commons への寄付を求めるメールが届きました。これはワタシがここ数年 CC に寄付をしているためで、昨年は既に CC-JP に寄付していたためスルーしようとも思いましたが、レッシグ教授のメールの行間から伝わる疲労感が不憫に思え、自身の懐具合も考えずに CC 本家にも寄付してしまいました。2007年は寄付の目標額を上回ったとのことで、当方も少しだけ貢献したことになります。

昨年末、Creative Commons は設立5周年を迎えました。それに先立ち Wikipedia のライセンスが CC 互換になる道筋ができたというニュースもあり、フリーカルチャーの広がりに関し疑問の余地はありません。改めてレッシグに対する感謝と尊敬の念が湧いてきます。

しかし、レッシグは著作権などの問題から新たな研究課題に活動をシフトすることを昨年夏に発表しています。その研究対象は「腐敗」なのですが、ワタシは最初彼のブログを読んで、これを彼の政界進出宣言と勘違いし、それを受けた文章を書いたところでその翻訳を読みひっくり返ったものです。

著作権保護期間延長問題をはじめとして、企業や業界団体からの献金とロビー活動により歪められる政治に立ち向かってきたレッシグの苦闘を知る人間としては、彼が「腐敗」に目を付けたことは不思議ではありません。

しかし、それと大きな成果が期待できることとは別で、個人的には献金とロビー活動による「腐敗」の普遍性(と書くとヘンですが)を考えた場合、それを正すところまでいくのは難しいと思いました。レクチャーのアルファ版が既に公開されていますが、それに付されたアーロン・シュワルツとのやり取りを見ても先の長さを感じさせます。

さて、今年の正月は Amazon から届いた『CODE Version 2.0』(翔泳社)を読んで過ごしました。原書刊行からおよそ一年経っての邦訳登場で、CC5周年に合わせたという側面もあるようです。

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原書の第二版に向けての作業が始まったとき、それが Wiki(当時は JotSpot がホストする Wiki で、現在 Socialtext がホストする Wiki に移っている)上で行われることが話題となりました。が、当方は書籍の執筆自体に Wiki を使うことに懐疑的です。もちろん誤記訂正や資料追加など原稿の質を上げる編集作業には有用ですが、執筆そのものとなると話は別です。ただレッシグは序文で Wiki の貢献者の名前を列挙してその仕事ぶりを賞賛しており、これは当方の見方が間違っているのかもしれませんが。

原書の第一版刊行から7年経っての改版ですが、『CODE Version 2.0』は、全面的に内容を刷新するものではありません。「商業と政府が手を組んで完全に規制可能なネットを構築する」は、本書において外れた予測の最たるものとして挙げられていますが、本当にそうでしょうか? 完全に規制可能なネットを野党が目論む国もあるくらいで、かつては国境なきインターネットと呼ばれたものが、中国を筆頭に政府とそれに協力する商業の力により国境を分ける規制は現実になりつつあります。

バージョン2.0と言いながら(もちろんこのネーミングは Web 2.0 に始まる一連の流れの延長なわけですが)新しい論点がないことに訳者の山形浩生は不満を表明していますが、むしろ本書がネット時代の規制、ガバナンスのあり方、そして自由と民主主義の価値の本質を突いた書籍であり、その軸を移す必要がなかったとも言えるでしょう。

本書における「コードは法である」というテーゼ、法、規範、市場、そしてアーキテクチャという4つの規制条件に始まり、2000年代のネットを巡る論説の多くがレッシグの影響下にあることを本書を読んで再確認しました。

そして当方が思い出したのは、かつてロバート・フリップがインタービューで語った言葉です(rockin' on 1993年2月号)。

例えば、プラトン、アリストテレス、ニーチェ、マルクス、これらの、あまりにも影響の大きい人たちの著作物を実際に読んだ人が君の周りにはどれくらいいるだろうか? こういったものはたいがいの人たちには読まれていないものなんだ。もちろん、だからといって何も僕はこういった思想家とキング・クリムゾンを同列に並べようとしているわけじゃないけれども、ただ、僕としては69年以来キング・クリムゾンの影響というものは直接大衆に及んできたわけではなかったと言いたいんだ。

これはレッシグの『CODE』にもこれは当てはまることです。これだけ大きな影響を与えた本でありながら、初版の邦訳がベストセラーになったという話は聞きません。ワタシ自身、レッシグを初めて読む人には『FREE CULTURE』を勧めます。しかし、レッシグの著作で最も優れており、後の世にも高い価値を持つのは『CODE』でしょう。本文を読んでいる人の多くも未読でしょうが、新版の刊行を機に手に取るネットユーザが増えればと思います。

なお、今回の邦訳の奥付を注意して読むと、本書がクリエイティブ・コモンズの表示-非営利-改変禁止で使用許諾されることが分かります。原書の表示-継承という最も強力なライセンスと比較されると制約が大きいですが、これにより例えば教育目的で本書のコピーをクラスに自由に配布できるようになるわけで、『CONTENT'S FUTURE』に続く翔泳社の決断を評価します。

上でレッシグの新しい課題について否定的なことを書きましたが、思えば CC にしても5年前にここまで来ることを予想した人は多くないでしょう。山形浩生は CC の活動を「『CODE』での主張から自然に導かれるもの」と書いていますが、当方は少なくとも当時はそのように捉えておらず、緊急声明的なものと考えていました。そうした意味で、レッシグの新しい研究テーマは、『CODE』のテーマの一つである「民主主義の価値、将来」に直結するもので、CC とはまた違った実践を見せてくれることを期待したいと思います。

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プロフィール

1973年生まれ。 ウェブサイトにおいて雑文書き、翻訳者として活動中。その鋭い視点での良質な論評に定評がある。訳書に『デジタル音楽の行方』、『Wiki Way』、『ウェブログ・ハンドブック』がある。

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