音楽税はそれほどバカげたアイデアだろうか?
2008年4月 2日
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音楽業界をめぐる現状においてもっとも不幸なのは、レコード会社、ミュージシャン、そしてファンの三者が敵視し合う場面が多々みられることです。そんなの昔からじゃないかと言われそうですが、ミュージシャンとファンの間でさえそうした敵意、失望が見られるのは悲しいことです。
MTV News は、ポール・マッカートニーやマドンナのメジャーレーベルからの離脱、プリンスのアルバム無料配布、レディオヘッドのアルバムのダウンロード販売など主要なトピックを振り返り、2007年を音楽産業が壊れた年と位置づけましたが、インターネットをはじめとするデジタル技術がもたらす破壊、そしてそれに起因する軋轢は今もいろんなところで見られます。
TechCrunch のマイケル・アーリントンがビリー・ブラッグを指して、「録音された音楽でいつまでも昔どおりの金が取れると思っているミュージシャンは頭がおかしいんじゃないのか?」と罵倒したのは最近の一例でしょうか。
以前にも書いたことがありますが、マイケル・アーリントンの音楽ビジネス論は我田引水的で気に食わないところがあり、このエントリにしても話の流れは理解できるものの極端に走っているので、ニコラス・G・カーが The saddest, stupidest sentence I've ever read と爆発しているのを読み溜飲を下げたものです。
確かにパッケージ商品がこれまで通りのお金を生み出さなくなるのは間違いないでしょう。しかし、「録音された音楽は、アーチストの認知を高めるためのマーケティング素材でしかない」と言い切れるわけがない。本当に「音楽の価格は無料に下がり続けるしかない」なら(無料でダウンロードできるはずの音楽を売る)iTunes が全米第2位の音楽小売業者になるわけもないでしょうに。
さて、そのマイケル・アーリントンが強硬に反発しているのが、音楽業界の一部から出ている「音楽税」の計画です。
こうした音楽業界の動きをまとめて「俺たちからまだお金を毟ろうとするのか!」と毒づくなり冷笑しておけば頭良く見えるのかもしれませんが、ワタシ自身は以前にも書いていますが、これをそれほど筋の悪いアイデアとは思いません。ワタシはニコラス・G・カー先生のような毒舌の才能はありませんが、ネット的には受けが悪かろうが、バカにされるのを承知で Web 2.0界隈の代表的アルファブロガーの逆を張らせてもらいます。
津田大介氏も書く通り、「税」という言葉の印象が悪すぎるというのがあるので、包括ライセンス、強制ライセンスといった言葉を使ったほうがよいとは思いますが、テリー・フィッシャーが『Promises to Keep』で、デヴィッド・クセックらが『デジタル音楽の行方——音楽産業の死と再生、音楽はネットを越える』で経済合理性を論じた音楽産業に対する代替補償システムは、YouTube と包括契約を結ぶ著作権管理会社のニュースを見ても、おかしなアイデアではないと当方は考えます。
一方でP2Pとかその辺のお話@はてなの「音楽税にブチ切れる人たち」を読むと、ISP で課金を行うことによる選択の余地なく全員に加入を強要するという問題点が浮かびあがります。これは当方にも理解できます。
また『デジタル音楽の行方』においても、集めたお金を分配する側の公平性、透明性が確保されることを前提としていますが、その点においてもリスナーの理解を得るのが難しいのは想像に難くありません。
マイケル・アーリントンは、音楽税がどんなタイプや品質の楽曲を出そうが売上規模を一定にし、革新的なことをするインセンティブを消滅させると説きますが、代替補償システムは飽くまでリスナーに音楽を行き渡らせる基盤部分を担えばよいだけで、あとはマーチャンダイジングなり広告収入なりプレミア戦略なり、収入源がそれだけに限定される必要はありません。
個人的に面白いと思うのは、TechCrunch の「音楽税—音楽産業、新たな強請りタカリを計画中」でヤリ玉にあげられているジム・グリフィンが、『デジタル音楽の行方』の謝辞に名前を連ねていており、彼の主張は上記の通り『デジタル音楽の行方』からそう遠くはありません。
もちろん『デジタル音楽の行方』は多面的で、IT技術の影響をポジティブに活かして音楽産業全体を栄えさせるアイデアを数多く含む、変化を志向する人を勇気付ける本です。ただ一方で解説において津田大介氏が「アーティストは全員この本を読むべし。レコード会社の人間は絶対に読んじゃいけません」と書いた本なのを考えると、音楽業界が現在かなり切羽詰った状態なのを痛感しますし、またレコード業界の死が音楽産業の死ではない、という冷徹な事実を改めて思います。
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