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歌田明弘の「ネットと広告経済の行方」

ドラスティックに変化し続ける広告経済とネットの関わりを読み解く

メディアと通販の「危険な関係」

2009年6月15日

(これまでの 歌田明弘の「ネットと広告経済の行方」はこちら

●新聞社連合の作ったECサイト

 前回、サイトに広告を載せるだけではそれほど儲からず、その収入でやっていこうとすれば「緊縮型・節約型」のビジネスモデルにならざるをえないが、広告経済にはもうひとつ広告なのか販促なのかあやふやな形でEC市場をとりこんでいく方向があると書いた。

 EC市場に接近したニュースメディアの例をひとつあげれは、「47NEWS」というサイトがある。「全国新聞ネット」という組織を母体に12月にサイトが立ち上がっている。
 もうひとつ似た名前の「47CLUB」というサイトがある。ページトップに「全国の地方新聞社厳選お取り寄せサイト」と謳っている。

 47CLUBのサイトそのものは07年4月からあったようだが、昨年7月に設立された株式会社47CLUB(よんななクラブ)という会社が現在は運営している。株主は、電通やサイバー・コミュニケーションズとともに「デジタルビジネスコンソーシアム」という団体で、このコンソーシアムは地方の新聞社で構成されている。
 47CLUBと47NEWSでは名前も似ているが、加わっている新聞社も大幅に重なっている。どうして47NEWS自身で47CLUBを運営しないのかと思うが、そうはしたくなかった理由があるのだろう。

 言うまでもなく、新聞社みずからが記事を書いて商品を売ったのでは、その記事の信頼性が疑われる。
 これまでの新聞ビジネスでは、報道部門と広告部門は別であるべき、という規範があった。企業を顧客にしている広告部門の影響下で記事を書くべきではない、というわけだ。
 こうしたことが「建て前」にすぎず、隠微な形で「圧力」が存在しているということは、たとえば大手新聞社出身の渡邉正裕氏の近著『やりがいのある仕事を市場原理のなかで実現する!』などは具体的に暴露しているが、ともかく建て前は存在している。

 昨年12月10日の日経MJによれば、47CLUBのサイトでは、新聞社は商品を探したり、紹介文や生産者インタビュー、メルマガの原稿を書いたりしているが、「地域が元気になれば、回り回って新聞社にその恩恵が巡ってくる」という考え方に立ち、いっさい収入を得ていないという。
 ただ新聞社のホームページからリンクを張って「そこからの誘導を狙って」はいるとのことで、売り上げは2年目を迎えた5月以降、前年同月比1・5倍から2・5倍。店舗数は約500店。取扱商品数は8000品になり「極めて順調に伸びている」そうだ。電通から来た47CLUBの社長は、目標は月間1000万ページビューで、現状は約150万なので「まだまだの状態」だが、「地域のこともトレンドも知っていて、取材力や表現力、文章力があるという武器が生きる」と語っている。

 さらに日経MJは、同サイトの強みは「地元に顔が利くこと」と「運営に新聞社が参加していること」で、「取り寄せてでも欲しいと思われる魅力を持ちながら、地域に埋もれている物を掘り起こしスポットを当てるのに、新聞社が絡んでいれば説得力が出る」と捕捉している。
 
●地方のニュース記事は地方の物産を売る方法としては適しているが‥‥

 47NEWSのほうは、共同通信の記事以外は冒頭だけで、全文は各新聞社のサイトに飛んで読まなければなければならない。47NEWSそのものも「誘導のための玄関サイト」になっている。利益だけを考えれば、記事全文を載せ、そのかたわらに47CLUBで売っているその地域の特産物の広告を載せるのがもっとも効果が大きいはずだ。しかし、ジャーナリズムの精神にもとるそうしたマネはしたくないということなのだろう。
 とはいえ、「全国の地方新聞社が商品を選び、第一線で活躍する記者が生産者らを取材、商品を紹介」しているという日経MJの(おそらく何の悪意もない)記事は、新聞規範のあやうい線上にあることを感じさせる。

 こうしたことは新聞だけにはかぎらない。というよりも新聞はまだ建て前が存在しているだけずっといい。
 ジャーナリズムをことさらに標榜する雑誌を除き、一般の雑誌では、そのような建て前さえなくなってしまっている。もはや広告と記事を区別する規範は事実上存在しない。

 またテレビも、以前は番組枠を通販会社に売りはしても、みずから手がけることまではしなかった。しかし、広告収入が頭うちで若者層のテレビ離れが進み苦しくなってきて、儲けも大きく将来的な伸びも期待できる通販という蜜ツボをテレビ局は放置することができなくなっている。
 先月14日にも、フジテレビの持ち株会社フジ・メディア・ホールディングスが、通販大手セシール買収のため株の公開買い付けをすることを発表しているが、テレビ局が子会社を使ってテレビ通販を手がけるのは、もはやふつうのことになってきた。

 ましてや、クリックすればただちに商品を買える特性を持ったウェブサイトだから、メディアはこの蜜ツボに手を出さない手はないともいえる。
 オールド・ジャーナリストたちにはこれは許し難い堕落にちがいないが、ウェブの特性を考えれば、こうしたことをしないのはまさに「武士は喰わねど高楊枝」で、「新聞崩壊」が語られるこの時代では高楊枝をくわえたまま餓死しかねないのかもしれない。

●ECに呑みこまれるウェブ

 以前書いたように、ウェブは、全体としてEC市場と見なすことが可能だ。「ウェブ上にはEC市場の付加的なサービスとしてブログがあったりSNSがあったりニュースが提供されている」という言い方ができる(もちろんウェブはまずコミュニティであって、そのコミュニティのひとつのサービスとしてECがあるという見方もできる。ウェブをどう見るかによって違ってくる)。

 いまや個人サイトもごくふつうにアドセンスやアフィリエイトなどを載せるようになってきたが、その利幅を大きくしたければ、以前書いたようにドロップシッピングのような形でよりECに近づいていくことになる。それは、新聞社やテレビ局が通販に魅力を感じてみずから手がけようとするのと同じだ。
 ウェブ全体がどんどんECに呑みこまれ始めている。そして呑みこまれる度合いが大きくなればなるほど、「貧乏くさい」緊縮型・節約型の広告モデルから離れ、潤沢な利益を手にできるようになる。

 もちろん、だからそうすべきだと言いたいわけではない。また逆に、それはジャーナリズム精神の衰退にほかならないからすべきではないと言いたいわけでもない。
 いい悪いはともかく、クリックひとつでモノが買えるウェブは、そうした強い誘惑にさらされている。そして商用利用が認められている以上、そのようにECが浸透していくのは避けられないことのように思われる。

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プロフィール

『ユリイカ』編集長をへて1993年より執筆活動。著書に『ネットはテレビをどう呑みこむのか』、『科学大国アメリカは原爆投下によって生まれた』、『「ネットの未来」探検ガイド』、『インターネットは未来を変えるか』、『本の未来はどうなるか』など。大学でメディア論などの授業もしている。週刊アスキーで「仮想報道」を連載。アーカイブはこちら 歌田明弘の「地球村の事件簿」

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