「広告経済」の潮流は変わらない
2010年1月18日
(これまでの 歌田明弘の「ネットと広告経済の行方」はこちら)
90年代、IT技術によって生産性が上がり、もはやインフレにはならず、経済の活況がいつまでも続くという議論があった。
グリーンスパンFRB議長は、「根拠なき熱狂」と批判し、このような主張に距離をとる姿勢を見せる一方で、こうした主張に惹きつけられてもいた。だからグリーンスパンは、バブルを阻止する策に積極的に打って出ず、ITバブルを膨らませて崩壊させた。さらに金利を歴史的低水準にとどめておき、住宅バブルも引き起こし、リーマン・ショックへと導いた。かつては絶妙な経済の舵取りをする「神の手」の使い手と絶賛されたグリーンスパンが、経済混乱の元凶と見られるまでに失墜した。
邦訳も好調な売れ行きらしいクリス・アンダーソンの新著『フリー』も、デジタル経済では、主要な原料である記憶容量・情報処理能力・伝送容量が劇的に安くなったため、ほとんど無料で少しだけ有料というのでもやっていけるようになったと主張している。かつてのIT経済の議論とどこか重なっているようにも見える。「だからおかしい」と言いたいわけではない。むしろ逆で、ITバブルや住宅バブルが崩壊しようとも、やはり情報技術によって経済は根本的に変わり、IT経済、デジタル経済といったものは生まれているのではないか。
そしてそのデジタル経済が強力に推し進めたのは、広告にもとづいてコンテンツやサービスを無料で提供するという「広告経済」だろう。こうした広告経済は、ラジオやテレビの世界で始まり、コンテンツ生産のあり方を、売買にもとづくモデルから一変させた。
コンテンツやサービスはお金を出して買うのが当たり前と思われているが、少なくともコンテンツに関して言えば、いつの時代もそうだったわけではない。
グーテンベルク以前のヨーロッパでは、コンテンツ生産は贈与経済に支えられていた。絵画でも音楽でもテキストでも、アーティストや作家が生み出した作品を王侯・貴族・大商人などに贈呈することによって、作者は生活の面倒を見てもらっていた。
15世紀半ばに発明されたグーテンベルク印刷術が大量生産・大量消費の幕を開いた。市場でのコンテンツ販売で再生産の原資を得るプロセスが、産業革命を経て19世紀に本格化していった。
こうしたコンテンツの売買モデルは物の売買モデル(市場経済)の雛形でもあった。コンテンツ市場というのは経済全体のなかのわずかなシェアを占めるにすぎないが、同時に、経済モデルのありようを一変させる起爆力を持ったものでもある。雛形としての意味は意外に大きい。
贈与経済から商品経済へと到るコンテンツをめぐる生産活動の変化は、このように歴史的に少なくとも一度はあった。だから、また新たな変化が起こることが絶対にないとは言えないだろう。
2年にわたって書いてきたこのブログ連載は、今回でいったん休止する。これまでのエントリに触れながら、広告経済の持つ可能性について書くことで、まとめの回としたい。
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ネットという格好の場所を得て、「広告経済」がどこまで広がる可能性があるのかというのが、このブログ連載の隠れた関心でもあった。
タダより強いものはない。しかしリーマン・ショック以後の混乱で、広告経済モデルは安定性を欠くことが顕在化した。景気がいいときには広告が集まるが、そうでないと苦しくなるということは、これまでにもあった。しかし、広告媒体のマスメディアに勢いがあったときには、それほど深刻な問題と見られずにきた。このところの経済混乱とマスメディアの衰退が重なったことで、問題が一挙に噴出することになった。
新聞社などがネットでコンテンツへの課金を模索しているというのは、そうしたことを受けてのことだ。ネットの広告経済を切り開いてきたグーグルでさえも、ニュース記事の課金サービスを検討していることを明らかにした。
とはいえグーグルは、課金がニュース記事の主たる収入源になるとは見ていない。やはり広告収入が中心で、課金はそれを補うものと位置づけている。その一方、ネットでサービスやコンテンツを提供している事業者は、とくに日本ではネット広告単価が低いこともあって、広告収入だけでまかなえるとは思わない人が増えている。
クリス・アンダーソンが言うように、今後、無料モデルと有料モデルが融合した「フリミアム」が重要なビジネスモデルになっていくとしても、「コンテンツ・メーカーがコンテンツ流通・配信会社に勝てない理由」で書いたように、ネットは、無料モデルと親和性が高い。課金モデルは補完的役割にとどまり、広告がニュース・コンテンツの主要な収入源であり続けるとグーグルが言うのは、そうしたネットの特性があるからだ。
「ニュース記事パクリOKの新広告戦略」で書いたように、コンテンツの無断コピーを認めるかわりに、コンテンツに付いた広告からの収入を集めるといったビジネスモデルも出てきている。これまでの「常識」とは大きく異なるものの、ネットの特性を考えたときには合理的である。広告収入を最大化するこうした試みは今後も次々と出てくることだろう。
さらに広告収入を最大化するのは、従来の広告概念を変え、広告と販売を一体のものとしてとらえ、それをコンテンツやサービスと組み合わせるビジネスモデルだろう。
「ネット広告の経済的影響力は、見積もられている市場規模よりずっと大きい」で書いたように、EC市場はネット広告市場よりもはるかに大きい。ネット広告だけではコンテンツやサービスの提供や再生産が難しいとしても、販売収入まで確保できれば、収入を何倍にも膨らませることができる。ファッション雑誌(とそのサイト)が商品を売ったり、テレビ局(とそのサイト)が自分たちのプロデュースした映像作品を販売したりといったやり方は今後どんどん拡大していくだろう。
小さなサイトでも、たとえば糸井重里氏がやっている「ほぼ日刊イトイ新聞」などはグッズの販売をし、早くからこうした方法をとっていた。
そのほか、ドロップシッピング的な簡便な販売システムも、さまざまなバリエーションを生み出しながら、個人からメディアサイトまで増えていくだろう。
課金コンテンツにしても、アフィリエイトのような形で販促が行なわれるだろうから、広義の広告収入の拡大につながる。電子書籍市場がもっと拡大すれば、書き手が電子書籍をそれぞれのブログで直販する出版社や書店が介在しない流通モデルが出てくるのはもはや時間の問題だ。
従来の広告概念と異なる広義の「広告」が拡大していく余地はこのように大きい。経済が混迷し、いまは広告逆境の時期かもしれないが、ここでいう「広告経済」が、コンテンツ市場を手始めに拡大していく潮流は変わらないと思われる。
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先に書いたように、このブログ連載は、今回でいったん休止します。できればこのブログやほかで書いたことなどもあわせて加筆し本にしたいと思っていて、お話しもいただいてはいるのですが、簡単にパブリッシュできるウェブのおかげもあって本を出す意欲が大幅に減退していることもあり、少々時間がかかる可能性も‥‥
本を出したとき、もしくは出すのをあきらめたとき、あるいはそれ以外の理由で再開または臨時で書くことはあるかもしれませんが、とりあえずはこれまで読んでいただき、さまざまな意見をいただいたことを感謝しつつ、しばしお別れとさせてください。
歌田明弘の「ネットと広告経済の行方」
過去の記事
- 「広告経済」の潮流は変わらない2010年1月18日
- あらゆるものが広告媒体になる2009年12月21日
- 広告経済か無料経済か2009年11月16日
- コンテンツ・メーカーがコンテンツ流通・配信会社に勝てない理由2009年10月19日
- ネットではより過激になりうる「買い手独占(モノプソニー)」2009年9月24日