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歌田明弘の「ネットと広告経済の行方」

ドラスティックに変化し続ける広告経済とネットの関わりを読み解く

あらゆるものが広告媒体になる

2009年12月21日

(これまでの 歌田明弘の「ネットと広告経済の行方」はこちら

 民放のテレビ放送は広告で成り立っているのが当たり前になったが、テレビ誕生の直前、違うビジネスモデルでやりくりしようというアイデアもあった。

 日本のテレビ放送開始にあたって、NHKと日本テレビが第1号の栄誉をめぐって争ったことは知られている。日本テレビは、アメリカの上院議員カール・ムントの支援を受けたが、ムントは、後援企業のテレビ・メーカーRCAから支援メンバーを日本に送りこんだ。日本に来た彼らが次のような忠告をしたと、『電通の正体』という本には書かれている。

「テレビ局は儲からない。儲かるのはテレビ受像機を製造する会社である。だからテレビ局を作ると同時に、その会社も始めるべきだ」。

 RCA傘下のテレビ局NBCは5年間赤字が続いたが、親会社が莫大な利益を得ていたので、赤字が許された。開局当初の困難な時期、アメリカと同じビジネスモデルを採用することを勧めたわけだ。

 しかし、日本テレビの誕生に力を注いだ読売グループのドン正力松太郎の参謀・柴田秀利は、その勧告を受け入れず、テレビの誕生によってエレクトロニクス産業が発展する土壌をととのえるだけにとどめた。とはいえ、米国製のテレビの値段では日本の家庭は購入できない。テレビが普及しなければ広告収入を得られず、テレビ局が成り立たない。そこで考え出されたのが、「街頭テレビ」のアイデアだった。

 銀座の街頭などに置かれたテレビの前に黒だかりの人が集まっている写真は、戦後のメディアの歴史をたどった本などでよく見かける。このアイデアは正力松太郎が考えたとされてきたが、アメリカ滞在中に柴田がアメリカのエンジニアから教示されたものだと、柴田の自伝『戦後マスコミ回遊記』で明かされている。
 この「街頭テレビ」は、デパートの客寄せや、テレビの宣伝のためだけにやられたわけではない。家庭にテレビが入っていなくても、街頭で視聴者を獲得し、広告主を獲得するための仕掛けだった。

 日本の民放テレビは、このように最初から広告媒体として出発したわけだ。
 しかし、民放のテレビ放送が広告と一体のものであることが当たり前になっているいま、興味深いのはむしろ、RCAの発想のほうだ。
 十分に広告収入を得られないため仕方なくということではあったのだろうが、RCAの少なくとも当初の発想では、「テレビ放送はテレビ受像機を売るため」だったわけだ。
 いまはテレビ番組とCMがカップリングされて販売されている。しかしRCAは、テレビ番組とテレビ受像機を対にしてビジネスの発想をしていたことになる。このことは、コンテンツとCMをカップリングさせるのが唯一絶対のビジネスモデルではないことを示唆している。

 テレビの広告モデルだけをとっても、録画視聴によってCMがスキップされるいま、たとえば、こういうことも考えられるのではないか。
 テレビ受像機のハードそのものに広告を表示する。テレビ画面の下にテロップが流れる電子掲示板を作っておき、スイッチを入れたとき、何分かCMを表示する。そのかわり、テレビを低価格で販売する。

 広告を表示するかわりに、無料もしくは低価格、あるいは何らかの特典をつけるビジネスモデルはすでに存在している。
 広告を見るかわりに、ドリンクが安く買える販売機が登場したし、コピー用紙の裏面に広告を刷っておき、そのかわりに無料で使えるコピー機が、大学などに設置された。また、映画の広告バナーをクルマに貼れば、ガソリン料金が安くなるサービスなどもあった。
 それと同様、広告を表示することでテレビを安く売るという発想もありえないことではない。

 この場合、テレビ局ではなく、松下やソニーといったテレビメーカーが広告を集めることになるのだろう。新興国の企業との競争で、テレビを作っても薄利で売らなければならなくなっているが、テレビ受像機そのものを広告媒体にすれば、テレビメーカーは新たな収入源を得られる。これらの会社は、いままでのように広告主ではなくて、広告会社としての機能を果たすことになる。

 テレビメーカーが実際に乗り出すかどうかはともかく、ハードと広告をカップリングさせるビジネスモデルはいろいろ考えられる。
 携帯電話でもいい。
 ドコモやKDDI、ソフトバンクが、広告を表示するかわりに、端末や通信料金を引き下げる。これらの通信会社は、いまはコンテンツやサービスを提供する会社と契約し、それらの会社が広告を載せて、得た利益を通信会社に分配しているわけだが、こうした間接的な広告料金の徴収ではなく、通信会社が直接に広告を配信する手もある。

 あるいは、米アマゾンが読書端末を出して成功しているが、こうした読書端末に広告を載せることで、安く販売することも考えられる。キンドルのスイッチをつけたとたん数秒間だけ広告を表示する、といったぐあいだ。電子機器だけではなく、潜在的にはあらゆるものが広告媒体になりうる。

 以前のように、多くの人がお茶の間で同じテレビ番組を見るという時代は去りつつある。マスに情報を届けるためには、多様な媒体に広く薄く広告を載せる必要があるし、実際あらゆる場所に広告を表示することが可能になってきている。いま注目されている「デジタル・サイネージ」なども、そうした仕組みだ。

 広告は、あらゆる商品と結びつきうる。そして、それによって商品価格を引き下げることができる。広告は、まだかなり狭い範囲でしかとらえられていないのではないか。

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プロフィール

『ユリイカ』編集長をへて1993年より執筆活動。著書に『ネットはテレビをどう呑みこむのか』、『科学大国アメリカは原爆投下によって生まれた』、『「ネットの未来」探検ガイド』、『インターネットは未来を変えるか』、『本の未来はどうなるか』など。大学でメディア論などの授業もしている。週刊アスキーで「仮想報道」を連載。アーカイブはこちら 歌田明弘の「地球村の事件簿」

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