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歌田明弘の「ネットと広告経済の行方」

ドラスティックに変化し続ける広告経済とネットの関わりを読み解く

コンテンツ・メーカーがコンテンツ流通・配信会社に勝てない理由

2009年10月19日

(これまでの 歌田明弘の「ネットと広告経済の行方」はこちら

 前回はウォルマートのような流通企業が価格決定権を握り、メーカーに対して強い立場に立つ「モノプソニー(買い手独占)」について書いた。こうした流通とメーカーの対立構造は、コンテンツについても起こっている。
 ネットのコンテンツ流通では、次のような図式が成り立つように思われる。

テレビ局、音楽会社<YouTube

新聞社<グーグルニュース

出版社<アマゾン

 「<」は右のほうが強いという意味だ。
 テレビ局や音楽会社は、著作権などの問題をめぐって、YouTubeとしばしば争いになった。また新聞社は、記事を無断使用しているとグーグルのニュース検索に反発した。さらに出版社も、オンライン書店が従来の流通網を脅かすと警戒した。
 しかし結局のところ、ネット企業の勢いを止めることはできなかった。
 日本でもアメリカでも、テレビ局は、ユーチューブの著作権侵害を問題にしてきたが、つい最近も、TBSとテレビ朝日が、ユーチューブと提携して動画配信を始め、融和的な姿勢に転じている。
 グーグルやアマゾンも、コンテンツ・メーカーに対する影響力を増大させている。
 グーグルは検索会社だが、検索を通して利用者がネット上のコンテンツにアクセスできるようにしているという意味では、コンテンツの流通・配信会社である。

 2007年2月にIBMは、「メディア・デバイドをナビゲートする──新しいビジネスモデルを改革し可能にする(‘Navigating the Media Divide: Innovating and Enabling New Business Models’)」と題したレポートを出した。そこで、「中長期的にはコンテンツ制作会社とコンテンツ流通・配信会社のあいだに亀裂が走ってメディア産業の構造が変わる」と予言した。
 コンテンツ・メーカーとコンテンツ流通・配信会社間に亀裂はたしかに走っている。亀裂が走っているばかりでなく、コンテンツ流通・配信をつかさどる企業は、コンテンツ制作会社よりもしばしば立場が強くなっている。

 その理由としては、次のようなことが考えられる。

(1)広告
 コンテンツ流通・配信会社は、膨大なコンテンツへのアクセスを可能にすることで、広告媒体としての力を増大させることができる。
 とくに今後、コンテンツへのアクセスやサービスの利用に応じて関心のありそうな広告を表示する「行動ターゲティング」と呼ばれる広告が広がるだろうことを思えば、たくさんのコンテンツへのアクセスを確保しているところはいよいよ有利になる。

(2)コンテンツの飽和状態
 コンテンツ・メーカーが唯一絶対のコンテンツを作成すれば、流通・配信会社に対して強い立場をとることができる。
 しかしネットでは、CGMのコンテンツがあふれ、多様なコンテンツが無料もしくは低価格で入手できる。必然的に、コンテンツ・メーカーの立場は弱くなる。有力なコンテンツも膨大なコンテンツ群のひとつに過ぎず、コンテンツそれぞれの相対的価値は、これまでより低下することが避けられない。

 このような力関係の問題以外に、ネットのトレンドも、コンテンツ・メーカーよりも流通・配信会社をバックアップしている。

(3)オープン化、オープンソース化のトレンド
 情報を隠すのではなくて、情報を出すことで価値を作り出す「オープン化」や、権利を確保するのではなく共有する「オープンソース」は、著作物の権利を担保にビジネスしてきたコンテンツ・メーカーの基盤を揺るがす。
 テレビ番組などは、広告を見せることでお金を取らずに視聴させてきたわけだが、それを持って「テレビはオープン化を成し遂げている」という人はいない。テレビ局がコンテンツの手綱を握っているからだ。手綱をゆるめなければオープン化はできない。ネットのトレンドとしては、コンテンツの手綱をゆるめ、オープン化する方向にある。

 トレンドとは漠然とした言い方だが、たとえばYouTubeのように、コンテンツ・メーカーが好むと好まざるとにかかわらず、ときに法的な規制もかいくぐり、コンテンツが流れる多様な経路が準備されている。またネットのイデオロギー的にも、コンテンツ・メーカーの支配を逃れることを「進歩」として歓迎する雰囲気が醸成されている。
 こうしたことをさして「トレンド」と呼んでいる。
 つまり、技術的にも思想的にも、また現実に進行していることを見ても、こうした流れが趨勢になっており、それはもはや変えられないと信じられている。
 こうしたトレンドは、市場でのコンテンツの売買モデルよりも、このブログ連載で「広告経済」と呼んでいる流れに親和性がある。

 こうしたトレンドにおいては、これから書くように、課金モデルよりも広告モデルのほうが優位に立ちやすい。

●広告vs課金

 課金収入を得るためには、多かれ少なかれ、コンテンツ・メーカーがコンテンツを支配している必要がある。広告収入の場合のように、どこの誰がどう見ようともかまわない、というわけにはいかない。見た人を同定しなければ代金を徴収することはできず、課金モデルでは、オープン化に限度がある。

 また、課金モデルが機能しているように見えても、実際は広告経済に支えられていることもある。
 YouTubeでは、音楽会社や動画制作会社のコンテンツを再利用した個人ではなく、YouTubeがコンテンツ・メーカーに利用料を払っている。たとえば、YouTubeの音楽会社が権利を持っている楽曲をバックミュージックとして使って利用者が動画を作った場合、使用料を払うのは、利用者ではなく、YouTubeである。そして、そのYouTubeの原資は広告収入だ。
 コンテンツ制作会社とYouTube間は料金徴収モデルで決済されているわけだが、こうした課金モデルは、広告経済に支えられている。

 さらに、有料課金と広告のどちらが利用者にとって好まれるかを考えると広告経済の優位性は明らかだ。
 利用者にとって、顕著な品質や利便性の差がなければ無料のほうがいいに決まっている。無料より強い訴求力を持つ商品以外は、無料モデルに負ける。
 無料より訴求力の強い商品は、荒っぽく言えば、金持ち向けの一部商品などを除いてそれほどはないだろう。

 もちろん、簡便で信用される小額決済がネットで広まれば、デジタル・コンテンツの売買も増加はしていくだろう。
 ニュース記事については、アメリカの新聞社が課金に踏み出そうとしている。実際にそうするかは、課金した場合のアクセスの減少や、どのような課金にするのか(記事をすべて課金するのか、一部を課金するのか、マイクロ・ペイメントなのかサブスクリプションなのか)といった検討をした上でのことで、どのような判断がなされるかは興味深いところだ。
 いずれ有料課金と広告が並列するようになってはいくと思うが、いずれにしても、ネットでは、広範なコンテンツのアグリゲーションに成功した流通・配信企業が、コンテンツ制作企業に対して相対的に強い立場に立てるという状況は変わらないのではないか。

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プロフィール

『ユリイカ』編集長をへて1993年より執筆活動。著書に『ネットはテレビをどう呑みこむのか』、『科学大国アメリカは原爆投下によって生まれた』、『「ネットの未来」探検ガイド』、『インターネットは未来を変えるか』、『本の未来はどうなるか』など。大学でメディア論などの授業もしている。週刊アスキーで「仮想報道」を連載。アーカイブはこちら 歌田明弘の「地球村の事件簿」

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