ドロップシッピングが物語っていること――商品販売と広告におけるリアリティの変化
2009年1月21日
(これまでの 歌田明弘の「ネットと広告経済の行方」はこちら)
バナー広告でも検索連動広告でも、あるいはコンテンツ連動広告でも、クリックして販売サイトにアクセスし、簡単な操作で購入するという仕組みになっているわけだが、これはほんとうに広告だろうか。
アフィリエイト広告の延長上のドロップシッピングというビジネスモデルを見ると、そうした疑問が強く感じられる。
ドロップシッピングというのは、辞書では「直送」などと訳されている。2年半ほど前に「額に汗しないでも儲かる方法」といういささか挑発的なタイトルでこの新手のネットビジネスを紹介したが、要するに、商品を顧客に直接送ってくれる業者を使って販売するビジネスだ。サイト運営者は、アフィリエイト広告をサイトに貼り付ける感覚で、ドロップシッピング業者が提供する商品の写真などをサイトに並べて、簡単に物販が始められる。在庫を持たず、直送してくれる業者に「注文伝票」を回すだけ。在庫リスクを抱えず、発送業務も不要だ。ただし売値は自分で決められるので、儲けはアフィリエイトよりも大きいとメリットが謳われている。
先の原稿を書いたころアメリカで流行り始め、日本にも入ってきていた。
現在は、ドロップシッピング業者が増える一方で、売り手の情報をきちんと出さずに売るのは法律上問題がある、といった議論も起きている。ドロップシッピングの問題点は、「簡単そうで難しい新手のネット小売り」と題してそのときにも続けて書いたが、一番の問題点は、誰が商品販売の責任を取るのかはっきりしない可能性があることだ。
消費者からすれば、商品を購入したサイトの運営者が売り手にほかならない。しかし、そのサイトの運営者は、商品を直接見ているわけでもない。発送された商品に問題があったとき、在庫を持っているわけではないので自分で商品を送り直すこともできない。直送業者がどこまで責任をとってきちんと対処してくれるのかにかかっている。それがはっきりしないと、消費者ばかりか、ドロップシッピング商品をサイトに載せた運営者も困ったことになる。
ドロップシッピング業者自体もほんとうに商品を持っているかどうかわからない。自分では在庫を持たず、顧客のサイトからまわってきた「注文伝票」をさらに別のドロップシッピング会社に送るだけ、などということもありうる。その場合は、サイト運営者は、マージンがどんどん上乗せされて割高な商品を売ることになる。
こうした問題はあるものの、このドロップシッピングというビジネスモデルは、ネットの特質をとらえている。
先に「注文伝票」と書いたが、客が入力した購入情報を転送するだけだから、実際は「注文伝票」というほどのものでもない。それを次々と回すことなどネットを使えばワケはない。
しかし、ドロップシッピングをやっているサイト運営者にとって「リアル」なのは、むしろこの「注文伝票」のほうかもしれない。商品そのものは、写真や宣伝文句を載せているだけなので、クレームがなければきちんと送られたのだろうと推測するまったくバーチャルな存在だ。だからドロップシッピングは、商品を販売するリアリティに欠けている。
こうしたビジネスを危ういと批判するのは簡単だし、実際、危ういところもあるとは思うが、バーチャルな世界は、大なり小なりこうした危うさを抱えている。
実際に在庫を抱えて売ってはいても、ネットの場合は、売り手がほんとうに商品を持っているかどうか購入者はわからない。お店に並んでいる商品を買って帰るわけではないのだから、自分で商品を持たずに売っているのではないかと疑おうと思えば疑える。怪しいと思えば、ネットの小売りはすべからく怪しく見えてしまい、その疑いを払拭することは不可能だ。
だからネットでは買わないという人もいるが、すでにネットで買い慣れていれば、商品を持っていなかったとしても、頼んだ商品がきちんと届けばそれでいい、と思う人もいるはずだ。であれば、ドロップシッピングについても、商品保証がきちんとされていればそれでかまわない、ということにもなりうる。
●広告と販売が一体化しているネット
ドロップシッピングにおける商品販売のこのリアリティのなさは、「広告」に近いのではないか。言うまでもなく、新聞でもテレビでも雑誌でも、自分たちで通販をやっているのでないかぎり、商品は持っていない。しかし、これらのメディアも、商品を告知し、販売につなげている。これは、ドロップシッピングと同じといえば同じである。
「いやいや、それでもやはり商品を販売しているのと広告は違う。販売するのであれば、商品について責任をとる必要がある」というのは正論だが、そのように強調されることこそが、ドロップシッピングがいかに商品販売のリアリティがないか、広告に近いかを逆に物語っている。
最終的には商品の輸送というリアルな過程があるはずだといくら言ってみても、それは虚しい。なぜかといえば、それはたまたまリアルな商品を送っているにすぎないからだ。
商品がデジタルなものであれば、輸送という過程はいらない。そして誤解を恐れず言えば、輸送しなければならない商品というのは、そもそも十分に進化していない商品であるということもできるかもしれない。
音楽や動画のように、デジタルな形で商品を送り、購入者の側でそれが再生できれば、輸送する必要はない。
ここから先はSF的世界だが、机でも椅子でもパソコンでも、これら商品のデジタル情報を送って各家庭の再生装置を通せば、机や椅子となって現われる‥‥。
まあ、ドラえもんの世界ではないのだから、そんなことは永遠に無理だという言葉にあえて反論するつもりはないけれど、ドロップシッピングというビジネス形態が暗黙に語っているのは、商品販売と広告の世界における「リアリティ」のあり方が根本的に変わっているということだ。
広告と商品販売の境目があやふやというのは、ドロップシッピングだけのことではない。ネットではもはや、広告と販売の境目はあやふやなものになってしまっている。購入者からすれば、広告と販売の違いは、(広告を)ひとつクリックして違うサイト(つまり販売サイト)に移行して買うか、広告が載っているサイトでそのまま買うかの違いしかない。問題が起こって販売したのがどこの誰かを追及する必要が起こらないかぎり、誰が販売しているかは重要でもない。となれば、それが広告なのかあるいは商品販売のための表示なのかも、とりあえず意識していない場合もあるだろう。
ドロップシッピングは、こうしたネットのありようを反映している。だから、ドロップシッピングを法律によって封じこめたとしても、「ドロップシッピング的なもの」はなくならないだろう。ネットあるいはウェブがなくならないかぎり、第二、第三のドロップシッピング的なビジネスモデルが出てくるにちがいない。
こうして広告と商品販売の表示がネットではもはや同じようなものになってしまっているといっても、法的には、広告と表示は大きく違う。
法律の領分は問題が起こったときにどうするかだから、「広告も表示も同じようなもの」といってすますわけにはいかない。
次回は、そうしたことをとりあげる。
歌田明弘の「ネットと広告経済の行方」
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