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歌田明弘の「ネットと広告経済の行方」

ドラスティックに変化し続ける広告経済とネットの関わりを読み解く

広告経済か無料経済か

2009年11月16日

(これまでの 歌田明弘の「ネットと広告経済の行方」はこちら

 米ワイアードの編集長クリス・アンダーソンが7月に出した『フリー──ラディカルな値付けの未来(Free: The Future of a Radical Price)』の内容は、本が出る前に彼のブログ記事などをもとに「広告経済と無料経済」と題した回でとりあげた。しかし、このブログ連載がもっとも問題にすべきなのは、より重要な変化は、広告にもとづいてコンテンツやサービスを提供する「広告経済」なのか、それとも「無料」というビジネス形態が生まれたことなのか、ということだろう。

 結論から言えば、どちらも重要ということになるが、メディアについて関心のある私には、広告経済のインパクトのほうが興味深いものに思われる。

 しかし、クリス・アンダーソンは、そうは考えていないようだ。「広告経済と無料経済」で書いたように、広告経済は、無料経済のなかのひとつで、フリーとプレミアム(有料)の融合型「フリーミアム」を広告モデルよりも重視している。
 それは次のような指摘からもわかる。

 ウェブの「フリー」についての最大の誤解のひとつは、もっぱら広告にもとづいていると見なすことだ。ウェブの初期に広告ベースのモデルが支配的だったことはたしかだが、今日は、フリーミアム──幾ばくかの人びとがお金を払い、まったく払わない多くの人びとをサポートする──が、急速にそれに匹敵するものになりつつある。

 たしかにオンライン・ゲームやウェブ・ベースのソフトなど、フリーミアムのモデルを採用するサービスは増えている。
 また、勝者がすべてをとるネットでは、小企業はやっていけないのではないかという疑問に対し、アンダーソンは、小企業のビジネスを広告で支えるのはむずかしいが、広告だけがビジネスモデルではないと次のようなことを言っている。

 ネットのコンテンツ配信によって、経費不要で不特定多数に届けることができるようになった。以前はありえなかったこうした状況が生まれたのだから、無数のウェブ利用者のうち、わずかだけでもお金を払ってくれれば、それで成り立つ小規模のビジネスが可能であるという。ウェブではなかなかサイフの口を開いてくれない個人や、多くの企業がターゲットにしている大企業は、小規模の企業が相手にしにくい。しかし、万人向けのソフトにも、簡単に使えないオープンソースのソフトにも不満な層をねらって成功した小さなソフトウェア企業があると例をあげている。

 こうした下りでわかるように、アンダーソンのいう無料経済は、ウェブの初期はもっぱら広告モデルだったものの、だんだんフリーミアムに変わってきたというわけだ。この本でもフリーミアムにかなりのページが割かれ、広告についての言及はそれに比べれば少ない。
 しかし、ウェブ上ではフリーミアムは比較的新しいモデルだとしても、このモデルは以前からあったものだ。
 有料と無料の組み合わせは、新聞の景品といったものから、「3つ買えばひとつオマケします」といったものまでかなり馴染みのもので、目新しくはない。こうした方法は、何とかものを売りたいと考えたときに、いわば自然発生的に思いつくことだろう。じつはアンダーソンの本がもっとも力点を置いているのも、無料経済というのが古くからあるモデルであるということだった。

 ほんとうに新しいのは、こうしたビジネスモデルをマーケッターが意識的に選択しなければならなくなったことのほうだろう。
 言うまでもないが、ただぼんやりと無料にしても成り立つはずはない。ターゲットにしている市場がどういうもので、それならばどういう方法があるのかを突っこんで考えたうえで、ときに無料にする。これまでなら非常識と思えるやり方さえもあえて選択しなければならなくなった。こうしたことのほうが新しい変化のように思われる。

 『フリー』の最終章では、ユーチューブやフェイスブック、ツイッター、ディグなど、膨大な利用者を獲得したもののマネタイズに到っていないサイトが列挙されている。アンダーソンも、「フリーが未来のビジネス」と言いながら、「成果をタダで譲り渡すことそのものがあなたを金持ちにするわけではない。無料によって勝ち得た評判や関心をいかにお金に換えるかについて独創的な考えをめぐらさなければならない。どの人もどのプロジェクトもこの難題に対して異なった答えが求められ、ときにはうまく行かないだろう」と書いている。

 無料で成功したビジネスはたしかにあるが、彼の言うとおり、「フリーからビジネスモデルを引っ張り出すのはいつも容易というわけではな」く、それが「無料によって勝ち得た評判や関心をいかにお金に換えるかについて独創的な考えをめぐら」した結果にすぎないのだとすれば、「フリーが未来のビジネス」とはたして言えるのか。そうした疑問も湧いてくる。

 フリーミアムのようなモデルが古くからあるのは、それが結局のところ、(自分ではないかもしれないが消費者の誰かが)お金を払って商品を買う商品経済の一形態にすぎないからだ。
 それに対し広告経済は、たとえばテレビであれば、テレビの視聴者ではなく、広告主がサービスの代価を払っている。サービスの利用者(消費者)が代価を払っているわけではないという一点において、商品経済の枠を超えている。そういう意味において、広告経済は(フリーミアムと違って)半世紀ほど前に生まれた比較的新しいビジネスモデルともいえる。その新規な商形態が、テレビの枠を超えて、急速にまた広範に広がり始めていることのほうがより興味深い変化なのではないかと思う。

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プロフィール

『ユリイカ』編集長をへて1993年より執筆活動。著書に『ネットはテレビをどう呑みこむのか』、『科学大国アメリカは原爆投下によって生まれた』、『「ネットの未来」探検ガイド』、『インターネットは未来を変えるか』、『本の未来はどうなるか』など。大学でメディア論などの授業もしている。週刊アスキーで「仮想報道」を連載。アーカイブはこちら 歌田明弘の「地球村の事件簿」

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