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白田秀彰の「現実デバッグ」

社会システムのコーディングし直しを考えてみる。

No. 11 法律解釈者

2008年1月31日

(これまでの 白田秀彰の「現実デバッグ」はこちら

さて、人と人の紛争のなかには、さまざまな視点からの調停では もはや解決不能なほどこじれるものが出てくる。そのときに初めて現実から離れた(浮世離れした)法理論が役立つ。私たちの社会における一般的な「正義」を論理的に記述しているものが民法 civil code だ。したがって、法律以外の方法による調停が不能になった場合、最後の判断のよりどころが法律の規定ということになる。さて、そこで問題になるのが、ある具体的な事件が、どの法律の規定にどの程度適合するのかという「当てはめ」の問題だ。

問題がこの段階にきたときには、当事者への思いやりとか、複雑な背景事情とか、社会的背景等は、もはや考慮の背後に退かなければならない。ある問題を冷めた視点から評価して、法律の条文に当てはめていく冷徹な作業が必要になる。すると、前回述べた紛争調停者としての性格は、法律の解釈と当てはめにおいては、それらを歪める危険があると私は考える。また、法律の解釈においては、高度な法律言語運用能力が要求されるだろう。

「No. 5 プロジェクト主導者」では、法律の素養のある素人がワラワラと集まってきて、ワヤワヤと議論しながら法律を作成していくという、かなりナゲヤリな方針が示されていたわけだが、法律解釈者は、人工言語で組み立てられた法律と 複雑で曖昧な現実との当てはめをムリヤリ行うわけであるから、どうしたって権威主義的に処理せざる得ない。もともと かなり困難なことを「エイヤッ」と決めるという決断が要求される。ということは、法律解釈者には法律言語に関する能力試験を課すことは当然として、その最優秀の人から法律解釈者に任命しなければならないことになる。また、前回の紛争調停者と同様の理由によって、当然のこと公務員であることになる。

もちろん、法律解釈者の解釈は、どこかの掲示板において、そうした問題について興味関心のある素人たちの遠慮会釈のない批判や賞賛に晒されることになる。そういう厳しい批判を越えて権威を確立する人、というのは真に偉大な人であるだろう。私のようなガラスの心臓をもつ人間だったら、数日で神経や胃を痛めて引退することになるだろうな。

ところが実際には、高度な専門職である法律解釈者の判断の善し悪しを判断できる人たちっていうのは、結局、先輩や同僚達になる。すると法律解釈者たちには、一種の同業者によるソサエティが形成されてしまいそうだ。法律解釈者のギルドということか。これはあまり良いことではない。うーん、どうすればいいんだろう。この点については、法律解釈者たちの自覚と良心に期待するしかないんだろうか。しかし、閉鎖的な同業者の集団が形成されたら、かならず腐敗することは歴史が証明しているしな。

そういう時の方法は、これしかない。分離して孤立させて相互監視させることだ。業務外での同僚との交流を禁じて、同僚の法律解釈に関して常に批判的に監視するような人事管理を行うしかないだろう。法律解釈者の仕事は、ずいぶん孤独で辛いものになりそうだ。これに耐えられる人材を確保し養成する仕組みを想定しなければならない。

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プロフィール

1968年生まれ。法政大学社会学部准教授。専門は情報法、知的財産権法。著書にHotwired Japan連載をまとめた『インターネットの法と慣習』などがある。MIAU発起人。HPは、こちら

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