日本でママチャリが発達した理由
2008年12月 5日
(これまでの 松浦晋也の「モビリティ・ビジョン」はこちら)
前回、安いママチャリは、事実上「誰もがろくに自転車を整備せず、調整もせず、正しい乗り方もしない」ことを前提に製造、販売されている、と書いた。なぜそんなものが売られているのか、なぜそんな製品に多くの人が疑問にも思わずに乗っているのか。それは、日本の道路交通がそのような乗り方を許しているからだ。
道路交通法を読んでみよう。自転車は道路交通法によって「軽車両である」と規定されている(第二条の十一)。軽車両は車両の一種であって。道路のどこを通行するかについては第十七条に規定がある。
第十七条 車両は、歩道又は路側帯(以下この条において「歩道等」という。)と車道の区別のある道路においては、車道を通行しなければならない。
ただし軽車両は、歩行者の通行を妨げないことを条件に、路側帯の通行が認められている(第十七条の二)。つまり自転車は、基本的に車道を走るべきものと法律で定められている。ところが特例が存在する。
第六十三条の四 普通自転車は、次に掲げるときは、第十七条第一項の規定にかかわらず、歩道を通行することができる。ただし、警察官等が歩行者の安全を確保するため必要があると認めて当該歩道を通行してはならない旨を指示したときは、この限りでない。
一 道路標識等により普通自転車が当該歩道を通行することができることとされているとき。
二 当該普通自転車の運転者が、児童、幼児その他の普通自転車により車道を通行することが危険であると認められるものとして政令で定める者であるとき。
三 前二号に掲げるもののほか、車道又は交通の状況に照らして当該普通自転車の通行の安全を確保するため当該普通自転車が歩道を通行することがやむを得ないと認められるとき。
つまり、自転車は、ある条件を満たせば歩道を走行することが認められている。実はこの条文は2008年6月1日に改訂されており、それ以前は以下のような文章だった。
第六十三条の四 普通自転車は、第十七条第一項の規定にかかわらず、道路標識等により通行することができることとされている歩道を通行することができる。
なぜこのような条文が制定されたかの経緯はWikipediaの普通自転車の項目が詳しい。1970年以前、自転車は車道を走ることになっており、歩道走行は法的に認められていなかった。それが1970年の道路交通法改正で「公安委員会が歩道又は交通の状況により支障がないと認めて指定した区間の歩道を通行することができる(第十七条の三)」となり、さらに1978年の法改正で、上に示した六十三条の四が加わって、本格的に歩道走行が認められるようになった。
これは当時交通事故の多発により、自動車と自転車の走行を分離する必要に迫られての法改正だった。だが、そもそも歩道は、歩行者と車両を分離するために造られたものだ。そこに軽車両とはいえ、車両である自転車を乗せるというのは、歩行者という交通弱者の保護の面からすれば逆行なのだ。欧米では、自転車の歩道走行は歩行者にとって危険であるとして、ほとんど認められていない。
本質的には、もっとも交通における強者である自動車になんらかの規制を加えると同時に、自動車、自転車、歩行者にそれぞれ専用のレーンを与えるような道路作りを進めるべきだった。しかし、警察庁は1978年の段階で、交通事故対策として自転車を歩道に上げるという、極めて安易な方法を採用してしまったのである。
そうなるに当たっては様々な事情が存在したのだろう。例えば交通行政は警察庁の管轄だが、道路整備は建設省(現国土交通省)、運輸行政は運輸省(現国土交通省)という縦割り行政も影響したはずである。警察庁が自分の権限の範囲内のみで事故を減らす方策を模索した結果が、「自転車を歩道に乗せる」であったとも推察できる。ともあれ、1978年に道路交通法第六十三条の四が制定されたことにより、日本の自転車は世界に類のない奇妙な進化をすることとなった。
自転車は乗り物だ。乗り物はより少ないエネルギーでより高速に移動できることが好ましい。ところが、歩道を走る自転車は、そもそも速度を出すことができない。速度を出さないのならば、速度を出さないことを前提に設計したほうが良い。速度を出さないのだから、がっちりとしたフレームも、よく効くブレーキも、走行抵抗の少ないタイヤも必要ない。その分コストダウンを進めるべきということになる。速度を出さないから用途は自ずと近距離の買い物や駅までの移動ということになる。すると大きな買い物カゴがついているほうが便利だ。こうして、ママチャリという特異な車種は、日本の道路状況に適応した自転車として成立したのである。
同時に人々の自転車に対する意識も変化していった。道路交通法では「自転車は本来車道を走るものであり、歩道を走ることもできる」という規定だった。ところが、自動車の増加につれて「自転車は歩道を走った方が安全」となり、やがて「自転車は歩道を走るべき」「自転車は歩道を走って当然」という意識が定着していった。自動車のドライバーの中には、車道を自転車が走っていると「なにあぶないことしていやがる」と舌打ちをし、あまつさえ幅寄せして嫌がらせをするような輩も現れるようになった。
それでも、日本の自転車メーカーが日本の交通事情に適応したママチャリを開発し、街の自転車専門店を通じて販売している間はまだ良かった。1980年代までは、ママチャリといえども3万円程度はしていた。それだけのコストをかけた、丁寧に設計・製造されたママチャリが供給されていたのである。
ところが1990年代に入ってから、量販店が1万円を割り込むような低価格で、中国製の安いママチャリの販売を始めた。低価格の中国製ママチャリは、強度、材質、加工精度など、自転車に必要な性能のすべてが日本メーカーのママチャリに比べて劣っていた。しかし、歩道をゆっくり走る分には、性能の差は分かりにくいものだ。
「自転車は歩道を走るもの」という意識は、いつしか「自転車はゆっくり走るものだ」という認識を形成していった。ゆっくり走るなら、フレームのたわみも、ブレーキ性能の低さも気にならない。耐久性のなさも「壊れたら新品に買い換えればいいや」ということで問題とはならない(おそらく低価格は、出来心からの自転車泥棒の敷居も下げたはずである)。消費者からは低価格というメリットだけが見える道理となる。
安価な中国製ママチャリは、市場を席巻し、やがて多くの人々は、きちんと自転車本来の乗り方をするには多分に問題を持つ中国製ママチャリこそ、自転車そのものであると思うようになった。
と同時に、自転車は日々メンテナンスするものであり、乗るにあたっては自分の体に合わせて調整するものだという“常識”は忘れ去られるようになった。歩道をゆっくり走る限りは、タイヤの空気が抜けていても大して気にならないし、体に合わないサドル位置でもまあまあ走ることができる。それが普通になってしまうと、きちんと空気の入ったタイヤは「堅くて乗り心地が悪い」「ぽんぽん弾んで怖い」ということにもなるし、体に合わないサドル位置も「すぐに足がついて便利」ということになる。
今の交通の状況に適応し、便利なのだからそれでいい、という考え方もあるだろう。
だが、それは自転車という、その気になれば一日で100km以上を移動できるだけの可能性を持つ乗り物を、ほんの数km以内の移動に使う道具と限定するということだ。大したことに使えるわけではないけれど、そこそこ便利で安く買える――道路交通法第六十三条の四の結果、自転車はママチャリへと変化し、さらには中国製の安価なママチャリを市場に呼び込み、それまでの自転車とは大きく異なる、より限定された乗り物となったのである。
2008年6月の道路交通法改正以降、警察庁は、各地で自転車専用レーンを整備する試みを開始した。自転車と歩行者の間の事故が増加傾向にあるので、歩行者と自転車が歩道上で混合交通を、もう一度分離しようというのだ。
しかし、私の見るところ、2008年に入ってから設定された自転車専用レーンは、そのほとんどが幅が狭すぎたり障害物があったりと、自転車にとって走りにくい構造となっている。私は警察関係者もまた、「今の安価なママチャリこそが自転車であり、自転車とはそもそもゆっくり歩道を走るものだ」とする誤った観念に毒されているのではないか、と邪推している。
松浦晋也の「モビリティ・ビジョン」
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