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小島寛之の「環境と経済と幸福の関係」

数学エッセイストでもある経済学者が、経済学の視点から、環境問題、そして人の幸福 について考える。

環境を通じて経済をコントロールする〜社会的共通資本の理論

2008年1月 9日

(これまでの 小島寛之の「環境と経済と幸福の関係」は こちら

 あけましておめでとうございます。今年も、もうしばらくの間、引き続きこのブログをご愛読お願いいたします。

 新年といって思い出すのは、少し昔の日経新聞である。この新聞では、ある時期、「やさしい経済学」というコーナーの新年の回はいつも宇沢弘文先生が担当していた。いってみるなら、宇沢先生の論説は「縁起もの」だったというわけなのだ。

 当時ぼくは、まだ経済学の道には進んでおらず、単に世田谷区の主催する市民講座で宇沢先生のゼミに参加していただけの一介の社会人だった。そして、毎年、新年の宇沢先生のこの論説を、それこそ「初詣のように」楽しみにしており、切り抜いてスクラップして何度も繰り返し読んだものだった。

 その頃の論説で先生が高く評価していた経済学者のアカロフとスティグリッツは、その後、めでたくノーベル経済学賞を受賞することになった。当時は、この2人の経済学者がどんな仕事をした人かは全く知らなかったが、多くの(とりわけ新古典派の)経済学者に辛口である宇沢先生が、手放しで褒めた名前だけに印象に強く残っていたのだ。経済学者となった今では、どちらの学者も遠くに燦然と輝く憧れの星となった。

 そんな新年の論説の最後に決まって論じられたのが、宇沢先生の主張する「社会的共通資本の理論」であった[*1]。今回から何回か、この理論について解説したいと思う。なぜなら、この理論は、ぼくが宇沢先生から直接に教えを受け、初めて「経済理論に惚れる」という経験をし、それがきっかけで経済学の道を志すことになった、それこそぼくの初心であり、いわば「縁起もの」だからだ。

 宇沢は、社会的共通資本というものを、「市民一人一人が人間的尊厳をまもり、魂の自立をはかり、市民的自由が最大限に保たれるような生活を営むために重要な役割を果たすような財」、と規定している。このような性質を持つため、これらの財は、私有や私的管理が認められず、社会の共通の財産として、社会的な基準にしたがって管理・維持されるものとされる。

社会的共通資本の代表例は、いうまでもなく「自然環境」である。宇沢はこれを「自然資本」と名付けて、社会的共通資本の最重要の財に位置づけている。

 「コモンズの悲劇〜共有地とオープンアクセスの問題」の回で解説したように、漁業や林業では、その生産の源となる水源や森林資源を「コモンズ」という制度によって、管理・維持してきた。その際に施行された「掟」こそが、まさに社会的共通資本の運用のルールの典型といっていいものである。

 宇沢は、自然環境の他に、道路・下水道・電気・橋・鉄道などのインフラを、「社会資本」と名付け、社会的共通資本の一種に分類している。これらの「社会資本」が、社会的共通資本と聞いた時の我々の日常的なイメージに合致するものだといっていいだろう。

 特筆すべきことは、その上さらに、医療制度・学校教育制度・司法制度・行政制度・金融制度などの諸制度を、「制度資本」と呼んで、社会的共通資本の中にとりこんでいることである。指摘されてみると、なるほど、医療機関や教育機関などの「基本的人権」に深く関与する組織はもとより、金融機関でさえも、その公益性の故、自由競争と私的利益追求の論理に身を委ねきってはならない、という論理はそれなり説得的である。これは、アメリカの住宅ローンに端を発し、現在世界中の金融機関を巻き込んでしまった金融不安に対しても示唆的な見解となるであろう。また、司法や行政など、一見すると経済システムの外側にあって、経済システムをコントロールする立場にあるようなものまで、経済システムのしもべに置いてしまう宇沢のスタンスは、非常にユニークである。

 これまでの経済学では、「環境」というのは、ある意味「やっかいもの」として扱われてきた。具体的にいうと、「コースの定理は、非人間的か?」の回で解説したように、「環境」の存在は経済システムを自律的な効率性から遠ざけてしまうものと見なされてきたのである。

 しかし、宇沢は、この社会的共通資本の理論を提出することによって、むしろ「自然資本」を含む社会的共通資本こそが、経済システムの不備と不安定性を補い、人間社会に豊かさをもたらすものだ、そう主張しようとしている。社会的共通資本の適切な管理・運用によって、経済システムは、十分な豊かさを与えながらも適切な節度を保つことが可能になる、そう論証するのである。そういう意味でこの理論は、経済学を閉塞させてきたある種の息苦しいドグマから飛翔させ、新しい地平に立たせることを可能とする、そんな新しいパラダイムだといっていいものなのだ。(少なくともぼく自身は、プロの経済学者となった今でも、そう信じている)。

 では、多少理論的な話は、次回に。


[*1] ぼくの論説は主に、宇沢弘文『経済解析〜展開編』岩波書店を参考文献にしているが、この理論は、宇沢の多くの著作で論じられているので、どの本を手にしてもかまわないと思う。手軽に読むには、例えば、宇沢弘文『社会的共通資本の理論』岩波新書がいいだろう。

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プロフィール

1958年生まれ。帝京大学経済学部経営学科准教授。数学エッセイスト。著書に『サイバー経済学』『確率的発想法』『文系のための数学教室』『エコロジストのための経済学』などがある。

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