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小島寛之の「環境と経済と幸福の関係」

数学エッセイストでもある経済学者が、経済学の視点から、環境問題、そして人の幸福 について考える。

お金より環境でしょ〜社会的共通資本とミニマム・インカム

2008年1月17日

(これまでの 小島寛之の「環境と経済と幸福の関係」は こちら

 前回は、宇沢弘文の提唱する「社会的共通資本の理論」の概要を解説した。

 社会的共通資本とは、「市民一人一人が人間的尊厳をまもり、魂の自立をはかり、市民的自由が最大限に保たれるような生活を営むために重要な役割を果たすため、私有や私的管理が認められず、社会の共通の財産として、社会的な基準にしたがって管理・維持されるべき財」のことであった。具体的には、自然環境を中心とした「自然資本」、生活の根幹を支える電気・ガス・鉄道・下水道などのインフラとしての「社会資本」、さらには医療制度・学校教育制度・司法制度・行政制度・金融制度なども、「制度資本」と呼んで取り込んでいるのが特徴的なのであった。

 宇沢は、これらの社会的共通資本について、「自由競争による価格取引にさらされてはならない」、と論じている。つまり、個人個人が勝手気ままに生産や消費に利用することが許されず、なんらかの社会的管理とコントロールがなされなければならない、と主張しているのである。ここまでなら、通常の「環境に関する経済学」(外部性に関する経済学)が、市場取引には何らかの規制や課税が必要だ、とする論理と同じなのだが、宇沢の理論の特徴はその先にある。それは、「社会的共通資本の適切な供給と配分によって、自由競争市場社会よりもより人間的でより快適な社会を作ることができる」、と主張することである。これは、環境についての、全く新しいポジティブな捉え方なのだ。つまり、「環境」を、市場システムで最適化できない「やっかいもの」として扱うのではなく、むしろ逆に、市場システムが決して実現することのできないより魅力的な社会を生み出す源泉だと見なす、いわば「コペルニクス的転換」の理論だといっていい。

 この宇沢の考えを象徴するのが、以下の「ミニマム・インカムの理論」だ。
 一般に社会的共通資本は、生産量を簡単に増やしたりできず、また、価格が高騰したからといって、他の財で安易に消費を代替できないようなものである(空気や医療を思い浮かべてみればいい)。このことを経済学では、「生産や消費の価格弾力性が低い」、という。このような性質を持つ社会的共通資本は、インフレーション(物価の上昇)の継続する経済では、平均的なインフレ率を超えて価格が高騰することが容易に想像される。(ちゃんとした理論的説明は後半に行う) 。社会的共通資本は市民に法律で保障されている最低水準の生活に根本的に関わる財であるから、このようなインフレ経済のもとでは、最低限度の生活を保障するための金額(ミニマム・インカムと呼ばれる)は、平均所得の上昇に比べて高い上昇率を示すことになるだろう。したがって、インフレーションの恒常化する通常の経済においては、ミニマム・インカム以下の所得の市民が増加し、社会は不安定化する。そして、生活保障を貨幣による所得移転で行う現行制度では、貧困者の生活水準は次第に悪化をしていくことになる。したがって、社会の不安定化を防ぐためには、社会的共通資本の十分な公的供給と社会的管理が不可欠であり、市民の最低生活水準の保障は、金銭の給付ではなく社会的共通資本の充実によって行うべき。これが宇沢の主張である。

 これをぶっちゃけていうなら、「お金よりも環境の整備」、ということだ。
 つまり、生活保護をお金でもらう社会よりも、良好な空気・水資源を備え、下水道・鉄道等が整備され、人間として不可欠な教育や医療が十分に享受できる、そういう社会のがいいでしょ、そうことなのである。

 この考えは、ある意味、驚くべき逆説の理論だ。伝統的な厚生経済学では、最低生活保障は物資での供給ではなく、貨幣での供給のほうが望ましいとされる。なぜなら、その物資がいいならお金で買えばいいのだし、別の物資を好むならそれを購入することもできるからである。つまり、「貨幣」には「選択の自由」があるということだ。そのようないわば経済学的「常識」に、まっこうから挑戦的なスタンスを、宇沢はとっていることになる。

 ぼくは、この理論をレクチャーされたとき、生まれて初めて「魂を揺さぶられた」気分になった[*1]。なぜなら、このような主張が、思想・信条としてなされているのではなく、「(ある仮定のもとで)数学的に証明される事実」として論じられているからだ。それまで、自分の思想・信条を個人的な嗜好から大上段に押しつけてくる人たちにはやまほど出会った。正直いって、「社会科学」というのはそういった「嗜好のバトル」だと思っていた。そんなぼくは、数学を使った論証によってこのような議論を展開することができる、と知って驚愕したのである。この理論こそまさに、ぼくのそれまでの数学観を覆し、学問観も人生観もひっくり返し、ぼくを経済学の虜にしたものなのであった。

 というわけで、(啖呵を切ってしまった手前) 、最後にこの「ミニマム・インカムの理論」をおおざっぱに数理的な解説[*2]をすることにするが、数理的な関心のない人は、ここまで読んで感動できたなら(笑い) 、それで十分なので、ここでやめておくのが華である。

 では、証明しよう。
 今、財は2つだけあり、第1財が社会的共通資本、第2財は通常の財とする。
 財の消費の価格弾力性とは、価格が1パーセント上がると消費が何パーセント増えるかを表すものである(普通、消費は減るので、その場合はマイナスで表記する)。また、供給の価格弾力性とは、同じく価格が1パーセント高くなると供給が何パーセント増えるかを表すものとする。

 (第1財の消費量)=(第1財の生産量)という均衡式を、弾力性の式に直せば、
(第1財の第1財価格に対する消費弾力性)×(第1財のインフレ率)
+ (第1財の第2財価格に対する消費弾力性)×(第2財のインフレ率)
+(第1財の所得増加に対する消費弾力性)×(所得の成長率)
=(第1財の第1財価格に対する供給弾力性)×(第1財のインフレ率)
という式が成り立つ[*3]。

 今、社会的共通資本は、価格が変化しても簡単に増産できないし、消費も減らせない財である、と仮定しているので、消費弾力性も供給弾力性もほぼゼロだと考えていい。したがって、この式から、
(第2財のインフレ率)≒(所得の成長率)  ・・・(1)
が成り立つことがわかる[*4]。(「≒」は、「ほぼ等しい」の意味)

 他方、第2財の消費量と生産量の均衡から、同じく、
(第2財の第1財価格に対する消費弾力性)×(第1財のインフレ率)
+ (第2財の第2財価格に対する消費弾力性)×(第2財のインフレ率)
+(第2財の所得増加に対する消費弾力性)×(所得の成長率)
=(第2財の第2財価格に対する供給弾力性)×(第2財のインフレ率)
が得られるが、これに先ほど得られた結果(1)を代入すれば、
a×(第1財のインフレ率)≒(a+b)×(所得の成長率)
が得られる[*4]。ここでa=(第2財の第1財価格に対する消費弾力性)、b=(第2財の第2財価格に対する供給弾力性)である。

 この式によって、
(第1財のインフレ率)>(所得の成長率)≒(第2財のインフレ率)・・・(2)
がわかる。

 さて、ここで、市民として保障される最低限度の効用水準(消費の好ましさの水準)をuとしよう。また、現時点でのこの効用uを得るための最低の所得をmとし、仮にmのうち8割を第1財に2割を第2財に使うことで効用u を得ているとしよう。このとき、物価上昇下では、
(効用uを得るための最低所得の成長率)
=0.8×(第1財のインフレ率)+0.2×(第2財のインフレ率) ・・・(3)
が満たされなければならない[*3]。

 得られた(2)式と(3)式を合わせて眺めてみよう。(2)式の(第1財のインフレ率) のところを、(所得の成長率)に置き換えると、右辺は(所得の成長率)そのものとなり、明らかに左辺より小さくなる。したがって、(効用uを得るための最低所得の成長率)、つまり、ミニマム・インカムの成長率は、所得の成長率より大きいことが示されたことになるのだ[*5]。(がんばって読んだ人は、ご苦労さま) 。


[*1] 宇沢先生のゼミに参加していた頃の思い出は、ぼくの個人ブログの「宇沢師匠のこと」に書いた。
[*2] 完全な理解には、以下の文献を推奨する。
 ”Social Stability and Collective Public Consumption”(1982)
Hirofumi Uzawa, OPTIMALITY, EQUILIBRIUM, AND GROWTH,
 University of Tokyo Press所収
[*3] いわゆる偏微分に関するチェインルールである。
[*4] 需要関数が0次同次であることとチェインルールから、以下が常に成り立つ。
(第1財の第1財価格に対する消費弾力性)+ (第1財の第2財価格に対する消費弾力性)
+(第1財の所得増加に対する消費弾力性)=0
[*5] これは上級ミクロ経済学程度の議論であり、価格理論の基礎的な計算しか用いられていないので、決してトリッキーな議論ではない。

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プロフィール

1958年生まれ。帝京大学経済学部経営学科准教授。数学エッセイスト。著書に『サイバー経済学』『確率的発想法』『文系のための数学教室』『エコロジストのための経済学』などがある。

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