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小島寛之の「環境と経済と幸福の関係」

数学エッセイストでもある経済学者が、経済学の視点から、環境問題、そして人の幸福 について考える。

バブルの何がマズイのか?〜バブルと実体経済

2008年3月24日

(これまでの 小島寛之の「環境と経済と幸福の関係」は こちら
 
 今世界中で起きている株価の下落は、アメリカのサブプライムローンと呼ばれる住宅ローンの破綻に端を発している、と言われており、要は、アメリカの住宅価格バブルがはじけて起きた混乱、ということなのだ。そういう意味では、1980年代の日本に生じた土地価格バブル、それがはじけることで被った90年代以降の不況に、様相がとても似ている、といっていい。もしもそれが本当なら、これから世界不況がやってくる、という可能性は決して小さくはないだろう。

 このとき素朴な疑問として浮かんで来るのは、「バブルはなぜ生じるのか?」、そして「バブルがはじけるとなぜ不況になるのか?」というものだろう。今回と次回は、この問題を扱ってみたい。

 今回は、まず後者の疑問について考える。ところで、この後者の問題は、ぼくの知る限りにおいて、経済学の教科書できちんと説明しているものはなく、また定番的な学説もないようだ。したがって、以下に展開するのは、全くのぼくの持論であることをお断りしておく。

 バブルというのは、資産価格がその実態的な価値を越えて高騰してしまう現象のことである。歴史的には何度も起きており、「バブル」という名も18世紀イギリスの南海泡沫会社の株投機事件からついた名称だそうである。

 バブルという現象を理解するのに最適な例は、1634年から1637年にかけてオランダで起きたチューリップ・バブル事件だろう[*1]。この時期、オランダでは、モザイク病というウイルス病にかかることでできるチューリップの変種の球根への投機に熱狂した。それらの球根を、もっと高値で買ってくれる者がいるだろうと誰もが推論し、だから高値でも買う、という連鎖が起き、球根の値段はまたたくまに高騰した。それは、馬車一台と一個の球根が等価になるほどであった。こんな実話もあった。ある船乗りが、商人に船荷の到着を報告したとき、褒美としてふるまわれたニシンを食べる際、近くにあった「タマネギ」を薬味だと思いこんで食べてしまったのだが、それは船の乗組員全員を一年間養うことのできるほど高価なチューリップの球根だった。それでその船乗りは窃盗罪で数ヶ月も投獄されるはめとなった、という笑ってしまうような悲劇である。誰が考えても、チューリップの一個の球根が、一台の馬車や船の乗組員全員の一年分の給与と同額になったりすることは、一種の「狂気」だと思えるだろう。このように、モノの価格が、そのモノの実態的な価値を著しく逸脱して高騰してしまう現象がバブルなのである。

 バブルが問題なのは、それがいつか必ずはじけ、その崩壊後に、きわめて深刻な不況をもたらすからである。イギリス・南海泡沫会社バブル事件でも、オランダ・チューリップバブル事件でも、それがはじけたあと、長い不況にあえぐことになった。これらの歴史的教訓が活かされることなく、20世紀初頭のアメリカ・株バブル崩壊後の世界大恐慌でも繰り返され、また最近では、日本・土地バブル崩壊後の現在まで長引く不況にも見ることができる。

 実は、もしも、「資産に対する実態的な価値から乖離した取引」だけが行われているだけだとするなら、後に不況が発生する必然性はないのだ。バブルは単なる「所有資産の再配分」を実現させるだけのものにすぎず、経済全体には影響を与えない。このことを理解していただくために、簡単な喩え話を提供しよう。

 今、Aさんという人物が、金庫にお金を1000万円入れてカギをかけたが、いくらを入れたか忘れてしまったとしよう。金庫のカギはタイマーになっていて、一年後までは決して開かないものとする。お金が入り用になったAさんは、Bさんに中のお金を金庫ごと買ってくれないか、と持ちかけたとする。簡単化のため金庫それ自体の価値はゼロとしておく。さて、Bさんがこの金庫を1500万円で購入したいと申し出て、Aさんが承諾すれば、バブルが発生したことになる。なぜなら、この金庫の実態的な価値は中身の1000万円だからである。しかし、この取引は経済に実体的な影響は与えない。なぜなら、このことは単に、BさんからAさんに500万円の金銭移転が起きたことを意味し、要はAさんの資産が500万円増えてBさんの資産が500万円減っただけのことなのだ。二人を合わせた総資産は全く変化しておらず、経済全体を集計すれば実体的な変化はない。

 それでは、バブルが経済全体の実体的な問題につながるメカニズムは何であろうか。

 その一つは、資産の実態的な価値を見誤ったことがもたらす経済計画の失敗である。どんな人も、自分の資産と所得とをよくよく見比べて、現在と将来の生活を考え、消費と貯蓄との配分を決めるだろう。このとき、自分の資産の勘定を間違えてしまえば、そこから計画された消費や貯蓄は、もはや最適なものではなくなってしまう。「過剰消費」や「負の貯蓄」などが起きうるのである。

 前の例でいうなら、Bさんが金庫の中身をてっきり1500万円だとばかり信じて、自分の資産を1500万円だと錯誤した。だから、年収の500万円をすべて消費してしまったとしよう。このときのBさんの最適配分とは、合計1500+500=2000万円のお金を消費に500万円、貯蓄に1500万円と配分すること、というわけである。ところが1年後に金庫を開けてみたら、そこには1000万円しか入っていなかった。結果としてBさんは、合計1500万円を消費に500万円、貯蓄に1000万円と配分したことになる。しかし、仮にBさんが事前に所持金額を1500万円と知っていて、それを配分するなら、こうは配分しなかったに違いない。例えば、300万円を消費して1200万円を貯蓄したりしたことだろう。この場合は、バブルによってBさんは200万円の過剰消費をし、最適な貯蓄より200万円低い貯蓄に甘んじることになってしまったのだ。

 バブルというのは国家的な現象であるから、Bさんの喩え話が国家規模で起きることを想像してみなければならない。バブルという資産の実態的な価値への錯誤が、マクロ経済の実体を最適性から遠ざけ、国民の生活に大きな傷跡を残すメカニズムは、このように説明できるのである。(ただし、今の説明だけでは、深刻な不況や金融恐慌に至るメカニズムまでは描写できていない。これらを説明するには、もっと別の複雑なプロセスを導入する必要があるだろう)。このように、バブルという現象は、経済の最適な運営に対しては「疫病」のような存在だ、といってよく、阻止したいのはやまやまである。しかし、バブルを事前に察知し阻止するのは、理論的に非常に困難な仕事なのである。そのことは次回に考えることとしよう。

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[*1] バートン・マルキール『ウォール街のランダム・ウォーカー』日本経済新聞社
 

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プロフィール

1958年生まれ。帝京大学経済学部経営学科准教授。数学エッセイスト。著書に『サイバー経済学』『確率的発想法』『文系のための数学教室』『エコロジストのための経済学』などがある。

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