企業の有機体としての価値〜ペンローズ効果とトービンのq
2007年12月28日
(これまでの 小島寛之の「環境と経済と幸福の関係」は こちら)
前回は、投資の効率性を測る基準としてノーベル賞経済学者ジェームス・トービンの提出した基準「トービンのq」のことを解説した。それは、
(トービンのq)=(企業の株価総額)÷(企業の再取得費用)
という分数で表された。このトービンのqは一般には1より大きくなければならず、1+α(α>0)と書ける。このこと及びトービンのq の定義式の意味は、 前回を参照してほしい。残る問題はこのαがいったい何であるか、ということだ。今回はそれについて理論的な解説を試みる。
一つの安定した企業、つまり生産設備の固定された企業がどのくらいの量の商品を生産するのが最適か、という問題については古典的な定番の分析があった。それは、限界費用(あと1単位生産量を増やすために必要な費用)が市場価格と等しくなるような水準の生産量ということであった。(なぜなのかは、「ワリカン」システムのいたずらの回を再読して欲しい)。しかし、企業に対する設備投資、すなわち、どのくらい工場を建設するか、どのくらい機械を導入するか、といった問題については、長い間満足な(ミクロ理論的)解答が得られないままでいたのである。
そのような状況に一石を投じたのは、ジョルゲンソンの1960年代の仕事であった。ジョルゲンソンは、企業の設備投資の目的を、「企業の株価総額」最大化として設定し、「最適な資本量」という概念を導出した上で、それと現実の資本量とのギャップを「最適な投資量」としたのである。
しかし、この分析には、数学的整合性の面からも現実的整合性の面からも、深刻な問題点が指摘された。そのような不整合を批判的に分析した上で、別の投資理論を提出したのが、日本の経済学者・宇沢弘文であった。
宇沢が注目したのは、以下のような観点である。
企業が投資する、すなわち、工場を建設したり機械を設置したりするのは、利潤を獲得するためである。もし、投資に関して、建設費用や機械購入費用(つまり箱ものを作るのにかかる費用)だけしか必要がないのであったら、企業はいくらでも増資をしてしまうだろう。例えば、工場を1つ建設すると、その工場が最適生産量において正の利潤πを生むのであれば、経営者はN個の工場を建設することでN×πの利潤を得られるから、利潤最大化行動として無限に工場を増設してしまうことになる。これは明らかに現実と整合的ではない。とすれば、増設することに何かのトレードオフが存在しているはずで、そのトレードオフがどこかでブレーキをかけることになっているはずだろう。
それを思案していた宇沢がめぐりあったのが、経営学者イーデス・ペンローズの提出した「調整費用」という概念であった。ペンローズは、企業が事業を拡張する際に、箱ものを増設するための実物的な費用だけではなく、「有機体としての企業」を整備するための費用も必要だ、と考えた。それは、従業員間での生産プロセスや知識や技術の共有のためにかかる費用などである。これを「投資の調整費用」と呼んだ。宇沢は、投資にこのような物的費用以外の費用が必要である、という性質をペンローズ効果と名付けている。
そこで、この投資の調整費用という概念を数理的に展開してみることとしよう[*1]。
今、工場を1個増設するのに、yの物的費用がかかるものとする。これは、箱ものを作るためにかかる費用である。したがってN社の工場を増設するには、yNの物的費用がかかる。さらに、N社の工場を増設するにはこの物的費用以外の調整費用が必要であると仮定する。それは関数A( )に物的費用のyNをインプットしたA(yN)であるものとする[*2]。
企業が今期にyNの投資をして、工場N個分の資本を積みますと、来期には1社あたりπの利潤、N社合計でπNの利益が得られる。このとき、企業が建設する最適な工場の個数N*はいくつであろうか。これを解くには、 「ワリカン」システムのいたずらの回と全く同じロジックを使えばいい。最適な投資量N*においては、以下のようなことが成り立っているはずである。
(今期にN*からあと1個工場を増設して得られる来期の追加的利潤)
=(今期にN*からあと1個工場を増設するために追加的に必要な総費用を仮に
そうしないで金融市場で運用した時に来期に得られるであろう価値)
もしも左辺のほうが大きいなら、資金からyの分だけ工場にまわせば金融市場で運用するより増やせるし、逆に右辺が左辺より大きいならワリの悪い実物投資をしていることになるから、均衡では等式になるはずなのだ。
では、両辺を具体的に計算してみよう。
[左辺]=π
[右辺]={y+y×(N*から1単位増やすときに必要な追加的調整費用)}×(1+利子率)
である[*3]。ここで利子率が絡むのは、来期の価値を比べるからだ。
したがって、最適な生産量N*においては、
{π÷(1+利子率)}÷y=1+(N*から1単位増やすときに必要な追加的調整費用)
が満たされることになる。
ここで、{π÷(1+利子率)}は工場1個が生み出す利潤πの現在価値であり、単純化して[利潤=配当]と仮定すれば、これは工場1個分の株価だと考えることができる[*4]。また、工場の物的費用yは、要するに工場の再取得費用であるから、上式の左辺の割り算は、「トービンのq」に該当する。したがって、右辺の(N*から1単位増やすときに必要な追加的調整費用)は、まさに冒頭で問題にしたαを意味することになるのだ。
つまり、「(トービンのq)=1+α」と表したときのαは、ペンローズ効果を表す調整費用の追加的な変化(専門的には、限界調整費用と呼ぶ) を表しているわけである。このような投資の調整費用とトービンのqとの関係を発見し分析したのは、日本の経済学者、吉川洋や林文夫などであった。
以上で、前回は感覚的にだけ説明した「トービンのqが1より大きい分は、企業の有機体的な価値を表してるんだよ」ということを、ある程度きちんと数理的に裏付けることができた[*5]。
* * * * *
[*1] きちんとやるには、変分法が必要なので、ここでは簡易版でやる。
[*2] 調整費用の関数A( )は凸関数と仮定される。
[*3] 正確には、Nを連続量と考え、A( )の微分をA'( )としたとき、
[右辺]={y+y×A'(yN*)}×(1+利子率)
である。
[*4] 現在価値については、飯田さんの第5回これが元祖!経済学でライフ・ハックを参照して欲しい。
[*5] もう少し丁寧な解説が欲しい人は、拙著『MBAミクロ経済学』日経BP社を参照のこと。
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