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藤井敏彦の「CSRの本質」

企業の社会的責任(CSR)とは何なのか。欧米と日本を比較しつつ、その本質を問う。

ISO26000をどう使うか

2011年1月 5日

(これまでの 藤井敏彦の「CSRの本質」はこちら

新年あけましておめでとうございます。本年も「CSRの本質」ご愛読いただきますよう、お願い申し上げます。本年が読者各位にとって実り多き一年となりますよう念じつつ筆を進めて参ります。

昨年後半ですが、「悪のCSR用語集」、「エコなヒットチャート」と2回ほど実験的スタイルを試みましたところ、思いの外ご好評をいただきました。ありがたいことです。今年も時折皆様の息抜きに供する文章もものしてみたいと思うのであります。ただ、何分、易きに流れやすい性格の故、調子に乗るとこのまま「お笑い!CSRの本質」って感じになってしまいかねません。自分への戒めも込め、今回は皆様のご関心が強いISO26000を再訪し、新年を迎え真面目で実用的な第一歩としようと思う次第であります。

ISO26000を最初に愚察しましたのは、昨年の4、5月と連載した「ISO26000私評」と「続ISO26000私評」でした。大雑把に申し上げれば、そこで2つのことを申し上げたわけであります。ひとつは、ISO26000は世界各国の産業界とその他のステークホルダーが一緒になって作り上げたもので、どの会社も「自分のものであるという感覚(sense of ownership)」を持てるもの、持つべきものであるということ、もうひとつは、入口も出口もない独特の構造の故、どの会社もISO26000に照らした説明責任から逃れられないこと、でありました。

今回は、ISO26000の使用法を中心に考えていきます。改めて通読してみたのですが、いやはや素晴らしいものができたなあと、感嘆しました。日本語訳の問題を除けばですが。

ISO26000の恩恵のひとつは、会社が体系的に、システマティックにCSRに取り組む助けになることではないかと思います。体系立ったアプローチの欠如が欧米の会社に比べたときの日本の会社の弱みではないかと思いますので、ISO26000はとりわけ日本の会社にとって福音となるものかもしれません。

考えてみてください。新商品を開発し市場化するにあたって社内でどこまで周到な準備がなされるかを。市場調査、ライバル企業のベンチマーキング、マーケティング戦略などなど。思い付きや偶然に委ねて事を運ぶことはないはずです。しかしながら、ことCSRとなると話は反対です。あるNPOから支援の要請があった、創業者のなにがしかの思い入れ(ないし思いこみ)ではじめた社会貢献等々、きっかけは概ね偶発的であり、そして、実施にさしたる組織的抵抗がないものというお手軽な理由で選ばれている。と言うと言い過ぎでしょうか。

ひとつのポイントは、CSRもビジネス同様「需要」に応えなければならないということです。「押しつけ」はまず成功しない。ただ、ビジネスと違いCSRの需要とは何か、一義的に明らかなものではありません。ISO26000はこう言っています。「社会的責任の目的は持続可能な開発に貢献することである」。自社のCSRへの「需要」とは、この目的に照らして把握されなければなりません。我が社は、持続可能な開発を実現するためにいかなる貢献をすべきか、できるのか、という問いから出発する必要があるわけです。もちろん、ISO26000はこの問いに特定の回答を用意してはくれません。会社に関する個別の状況によってかわってくるからです。しかし、ISO26000は回答にいたるための踏むべき考察のステップを明らかにしてくれています。

「コミュニティ」の項目を見てみましょう。コミュニティへの社会的責任は、企業のCSR報告書に記載されないことがまずない一般的な項目でありますが、同時に企業が現状肯定的でアドホックな対応に流れがちな項目でもあります。「何か」1つか2つ社会貢献をやっていればそれでいい、といった感じがにじみ出るとでも言いましょうか。みなさん、おわかりになると思いますが。

まず、「慈善活動(寄付)は、コミュニティ参画及び開発に代わるものではなく、それに代わることもできない」という記述に注意してください。慈善活動を行うことではコミュニティに対する社会的責任を果たすことにはならないのです。ここを押さえるだけでも随分ちがってきます。

また、「コミュニティ開発は・・・住民が権利を享受することを妨げる障害を克服するコミュニティ内部のプロセスである」としています。つまり、コミュニティに対する会社のCSRの取り組みは、会社がコミュニティの一員として、他のメンバーが直面している上記の「障害」を克服することを助けることに向けられるべきものだということになります。

したがって、まずコミュニティの住民が有していながら享受できていない権利とは何か、ということが特定されなければ、会社はコミュニティへのCSRに取り組みようがないことになります。

このような「そもそも論」から出発した結果、最善の選択肢はあるNPOとの協働という結論に至るかもしれません。そのようなNPOとの協働作業は、CSRのそもそもの目的に照らし、かつ体系的な思考を経て引き出されたものであるが故に色々な意味で「強い」ものとなるにちがいありません。経営陣への説明、従業員への参加の慫慂、他のNPOからの申し出に対する謝絶、様々な点においてです。そして結果的に企業のコミットメントは持続的なものになるはずです。

もちろん、これは極めて単純化した一例にすぎませんが、ここで申し上げたかったことは、ISO26000はチェックリストではないということです。より正確に言えば、チェックリストとして使うにしても、それだけにとどめては意義の大きな部分が失われるということです。ISO26000がなぜ認証対象となっていないのでしょうか。別に認証費用がかかるから嫌だとかそういう問題ではないわけです。ISO26000が、60項目のうち49項目は出来ているけど、あとは×、といったチェックをするためのものなら認証にも馴染むはずです。

コミュニティのメンバーの中で権利の享受に困難をきたしているグループはいないか、それはなぜ起きているのか、そのような事象が複数あるとすれば、そのうち自社はどの問題の改善に最も効果的に貢献できるのか、といった組織的思考のプロセスをガイドしてくれることに本質があるから認証には馴染まないと思うのです。

私、「アジアのCSRと日本のCSR」という本で「CSRとは企業の公共政策である」ということを様々な角度から論じました。ISO26000の言わんとしていることも同じであるように感じます。社会的責任とは、組織がそれぞれ公共政策を担うことです。持続的開発を可能にするという特定の公共政策を。公的組織はまだしも大半の民間組織は公共政策を実践することには慣れていません。だからガイダンスが必要になるわけです。

ISO26000は大部です。もしかすると冗長な印象を与えるかもしれません。しかし、私はそう思いません。行間を読む、というとオーバーかもしれませんが、是非一度じっくり向き合ってみてください。そこには世界中のステークホルダーが絞った知恵がつまっています。

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プロフィール

1964年生まれ。経済産業研究所コンサルティングフェロー。経済産業省通商機構部参事官。著書に「ヨーロッパのCSRと日本のCSR-何が違い、何を学ぶのか」、共著に「グローバルCSR調達」がある。

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