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藤井敏彦の「CSRの本質」

企業の社会的責任(CSR)とは何なのか。欧米と日本を比較しつつ、その本質を問う。

CSRの新しい軸"Keep integrated!"

2011年5月10日

(これまでの 藤井敏彦の「CSRの本質」はこちら

私は考え込む質である。子供の頃からそうだった。中学の先生に「フジイ、自殺すんなよ」と言われた。真顔で。類は友を呼ぶものであるので、この文章を読んでいるあなたももしかすると同じタイプかもしれない。意識の中にすべてを包含しようとしてしまう人間にとって、この世の中は複雑に過ぎる。このこと同類の方はよくご存知のとおりである。私が40数年にわたるスランプの挙げ句にたどり着いた脱出法は書くことである。文字にしてまとめてしまう。実は最近、次の本の原稿を出版社に渡した。掃除機の紙パックを交換したような感じである。

ということでまた考える余地ができた。今は誰もが震災復興に知恵を絞っている。振り返るとその前にTPPがあった。その前はレアアースが世間の関心事だった。CSRは一貫して世の中の関心事ではないが、私の関心事である。CSRもモンロー主義というわけにはいかないので、世の中の変化を反映する。では、CSRはこれからどうフレーミングすべきだろうか。

企業の社会的責任という概念は社会と企業の間に様々あるリンケージのひとつの切り口である。「企業の市場的責任」とか「企業の経済的責任」とか言わないのは、「市場的責任」や「経済的責任」については企業があらためて自覚的ではなくても自ずから果たされるものだからだろう。もちろん、これは市場メカニズムのお陰である。「社会的責任」はそうでないので、ことさらに言われるわけである。「企業の社会的責任」とは、企業が無自覚でいればそれなりに通り過ぎてしまう類の責任なのである。「製品の欠陥率を下げること」をCSRだと言ったりするのは、こう考えてみるとなんか変じゃないかということになる。

だからCSRについて考えるときには「あえて自覚的にならなくては見過ごしてしまうことは何か」と自問してみることが有用だと思う。ISO26000は「見過ごしてしまうこと」が山ほど書いてあるので良い手引きである。

で、話を戻して「レアアース」、「TPP」、「震災」と3つを並べてみよう。共通する要素は何か。「サプライチェーン」である。中国のレアアース対日禁輸の一件は、希少鉱物の供給が人為的、政治的要素によっていつ何時でも途絶しえることを明らかにした。TPPの大きなテーマはアジア太平洋地域におけるサプライチェーンをより円滑なものにするルールづくりである。そして今回の震災では、部品生産の停止が世界中に影響を及ぼす様子を目の当たりにし、多くの人が「ああ、サプライチェーンは本当にグローバルなんだ」とあらためて思い知った。いずれも企業のサプライチェーンのマネジメントに様々な影響を及ぼしていくことになるだろう。ひとつにはジャストインタイム的な効率性(leanness)を至上とする管理方法は修正され、外的ショックに対する回復力(resilience)の確保に今までよりも大きな優先度が与えられるだろう。個人的には非常に興味がひかれるテーマである。

ここで先に述べた「社会的責任」と「経済的・市場的責任」の別を導入してみたい。サプライチェーンマネジメントを新しい状況の下で変更する主たる目的はお客様に製品を安定供給することであるが、これはあきらかに「欠陥率を下げる」ことと同じ類型に属する。できなければ最終的には市場から退出させられるという意味で企業は市場規律に応えているのである。CSRなんてことをわざわざ持ち出すまでもない。たとえば、加工委託先を被災地域にあった工場から海外の複数の国の工場に移すことによって「お客様への長期安定的供給」は実現されるかもしれない。そうであれば企業は経済的・市場的責任を果たしたことになる。

しかし「社会的責任」というコンセプトを導入すれば話は少しちがってくる。被災地域の雇用創出という社会的課題に企業としてどのように応えるのか、という別の問いが立つ。海外に加工先を移すことによって経済的・市場的責任は果たせるが、被災地の雇用問題に関する社会的責任はじつはなおざりにされているとも言えるからである。

偉そうなことを言っているが、もちろん現実は簡単ではない。「お客様への安定供給」という経済的・市場的責任と「被災地域の雇用創出」という社会的責任は、少なくともある局面では相反する可能性があるからである。経済的責任と社会的責任が相反する可能性を別の例で考えてみよう。「お客様の安心を最優先するために被災地域でつくられたあらゆる商品を販売しない」という方針を小売店が採ったとすれば、この方針には両者の衝突が見て取れるのではないだろうか。

CSRは企業とステークホルダーが有機的につながっている状態を創り出すことに貢献する。真面目に使えば、被災地と国全体が、被災した日本と世界が、引き続き一体であることに役に立つと思うのである。"integration"はCSRのこれからのフレーミングの軸になるように思う。しかしintegrationのCSRが実のあるものとなるためには、個別の事象に立ち入り、あえて「社会的責任」という言葉を使う積極的意義に意識的であるべきだと思うのである。

ああ、いけない。これはやはり考えすぎである。

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プロフィール

1964年生まれ。経済産業研究所コンサルティングフェロー。経済産業省通商機構部参事官。著書に「ヨーロッパのCSRと日本のCSR-何が違い、何を学ぶのか」、共著に「グローバルCSR調達」がある。

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