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藤井敏彦の「CSRの本質」

企業の社会的責任(CSR)とは何なのか。欧米と日本を比較しつつ、その本質を問う。

エクアドル熱帯雨林「人質」作戦が問う「エコとカネ」

2011年2月 1日

(これまでの 藤井敏彦の「CSRの本質」はこちら

みなさん、こんにちは。とても寒い日が続きますが、お変わりありませんか。私、今日1月最後の日曜をブラッセルのホテルで原稿書いてすごしています。土曜日にスイスのダボスで開かれたWTO非公式閣僚会合に出席する大臣に随行。チューリッヒ空港で一行を見送った後、EUの「首都」の土を久しぶり踏みました。さ、サ・ブ・イ・・・。ブラッセルってこんなに寒かったっけ、と驚いたのですが、聞けば10年ぶりの寒波だそう。今回は昨今世界中に蔓延しつつある輸出規制の問題についてEU側と意見交換します。WTOドーハラウンド交渉も動き始めましたし、様々な新しい通商問題も浮き彫りになってきました。通商ルールを仕事とする身には腕のなるところ。寒さに負けずにガムバリます。

さて、閑話休題。日照時間が短く天気も悪い北ヨーロッパの冬。数少ない楽しみのひとつが食です。「はまる」対象一番手はなんといってもワインでしょうか。ソムリエの資格をとる本格派もいらっしゃいますが、私はさっぱり。銘柄、ビンテージはもちろん葡萄の種類もわかりません。ただ、歴史的には面白いなと思います。ローマ帝国の国境は葡萄の栽培限界と重なっています。それだけローマ人にとってワインは大切なものだったのかもしれません。

お酒と言えば、最近ふとしたきっかけでアイリッシュ・ウィスキーに親しむようになりました。アイルランドはケルトの血の濃い土地。ケルト人は歴史に記録されている最古の「ヨーロッパ人」です。ローマ帝国が北進し、続いてゲルマン民族が東進。次第にヨーロッパの北東の隅に追い込まれていった彼らの文化や実態は依然謎に包まれています。ローマンなワインかケルティッシュなウィスキーか、どちらがお好みでしょう。むしろご贔屓はゲルマンなビールでしょうか。私はウィスキー党に転向です。

久しぶりにヨーロピア〜ンな雰囲気ではじめた今回ですが、本題は打って変わってトロピカル。FTさんに興味深い記事をみつけました。ヘッドラインは"Ecuador's novel plan to save rain forest(熱帯雨林を救うためのエクアドルの斬新な計画)"。この記事を出発点に「エコとカネ」の問題について考察をする所存であります。舞台はヨーロッパから南米に飛びます。

詳細に立ち入るまえに少し準備の勉強をしておきましょう。

舞台のエクアドルは、南アメリカ大陸の西海岸に面する小さな国です。赤道は英語で「イクエイター」ですが(そうだっけ、って人は「悪のCSR用語集」の「イ」の欄にて復習ありたし)。国名がスペイン語の「赤道」に由来する同国、南北に長い南アメリカ大陸の中で緯度的にしかるべきところに位置しています。最近では、日本からはるばるエコツアーにお出かけになる方もいらっしゃるようで、ネットに「世界一美しい熱帯雨林」に感嘆する声が寄せられています。

一方、エクアドルにはもうひとつ別の顔があります。同国はOPECに加盟している産油国です。「世界一美しい熱帯雨林」の国での油田開発は、茫漠とした砂漠の真ん中で原油をくみ上げればこと済む中東湾岸諸国の場合と事情が随分ちがうだろうことも、また、想像に難くないところです。

実際、エクアドルにおける石油開発はこれまでにも様々な社会問題、環境問題をひきおこしてきています。たとえば、約3万人の住民が、熱帯雨林を破壊し、住民の健康を阻害したとしてアメリカの石油メジャーを訴えています。有毒な排水や原油を廃棄し続け、その結果熱帯雨林、農作物や家畜に被害が及び、住民の間にガンの発病が増加したと原告側は主張しています。

さて、これで必要な予備知識が頭に入りました。

エクアドル政府が発表した、FTさんが言うところの「斬新な計画(novel plan)」の概要は以下のとおりです。

  • (世界一美しい熱帯雨林と言われる)ヤスニ国立公園の地下に埋蔵されている8億4600万バレルの石油を掘削すれば72億ドルの収入が政府に入ることが見込まれる。
  • しかし、外国が今後13年間の間に、その半分の額、つまり36億ドルをエクアドル政府に支払うなら、将来にわたって石油開発は行わず熱帯雨林を保護することを保証する。
  • ただし、最初の1億ドルが今年の末までに振り込まれなければ、この提案は無効となり石油開発に着手する。

さあ、どうでしょう。みなさんどう思いますか。私、考え込んでしまいました。ちなみに国連の既存のスキームにエクアドル政府の提案に合致するものはありません。国際社会の反応も、今のところ芳しいものではありません。この計画は昨年7月に発表されたのですが、これまで表明された支援は、スペインが130万ドル、チリが10万ドル、ベルギーのワロン地方政府(ベルギーのフランス語圏の政府)が30万ドルと、いずれもお付き合い程度。この調子では年末までに1億ドル集まるかどうか定かではありません。この手の話に一般に前向きなノルウェイでさえ、政府スポークスマンは「エクアドル政府の提案は注意深く検討されているが、今の段階ではノルウェイが財政支援をする予定はない」とつれない。

さて、このエクアドルの提案、自国の熱帯雨林を人質にして国際社会を「ゆする」よからぬ企てと批判することも可能ですし、石油開発で得られる半分を諦めても熱帯雨林を保護しようという見上げたエコ政策と評することも、これまた出来るわけです。ただ、私は、否定的、肯定的いずれの評定を下すべきかにあまり興味をそそられません。おそらく、それ以上のものがあるのではないかと思うのです。

世の中「価格」がつかないものはない

入省5年目にシアトルのワシントン大学に留学したときのことです。ミクロ経済学の最初の授業のこと、担当教官はライス先生という同大学MBAコースの名物教授でした。同先生は口の悪さでも知られ、あるとき痛烈な日本批判を展開。私は意を決し反論を試みたものの英語力不足でかえって先生にやりこめられてしまいました。深く根に持った私は臥薪嘗胆、来るべき復習、いや復讐の日に備え日夜英語の勉強に取り組みました。今、通商の仕事をなんとかこなせているのも先生のお陰です。

で、そのライス教授は最初の授業で「すべてのものには価格がある」ことをつぎのように説いたのです。

──「人の命に値段はつけられない」といったことを言う向きもあるが、まちがいである。級友が人質になったとしよう。身代金としてクラス全員に一人500ドルずつ要求されたならおそらく皆支払うだろう。しかし、5万ドルいや100万ドルではどうだろう。1000万ドルだとすれば誰も支払わないかもしれない。もしそうだとすれば、人質になった人間の命の値段は500ドルと1000万ドルの間のどこかにあるのである。世の中に値段のつかないものはない。

ライス先生の言うとおり「世界一美しい」エクアドルの熱帯森林雨林にも値がつけられたわけです。取引が成立しなければ森林は失われてしまう。級友の命より熱帯雨林の例のほうが講義で使うにはPC (politically correct)かもしれないですね。ともかく、「エコの沙汰も金次第」であります。

「幸福指数」的発想

熱帯雨林にプライスタグがつくという現実には、難しいアイロニーが潜んでいるように思うのです。環境保護論に熱心な方々の間ではかねてより「くたばれGNP」的主張がされてきました。アンチ経済成長論には常に一定の支持者がいます。最近だと、サルコジさが「幸福指数」にご執着の様子。今年はフランスがG8、G20の議長国なので流行するかもしれません。

でも、たとえば、エクアドル政府にこう言ってみたらどうでしょう。

「お金と貴重な熱帯雨林を取引するなど良いことではありません。豊かな自然に恵まれた貴国の国民幸福指数は、日本(もしくはフランス)よりも高いのです。しかし、もし熱帯雨林を開発してしまえば、貴国の幸福指数は○○%も下落してしまいます」

果たしてエクアドル政府が首肯して、開発を断念してくれるかどうかは定かではありません。「幸せ」という抽象概念の指数が、価値の共通の尺度として機能するかどうかは不透明です。

たとえ国際的な指標とするのは困難であっても、国内政策のガイダンスには使えるのではないかという議論があるでしょう。それはそうだと思います。ただ本件に限って言えば、先方が納得してくれなければ、熱帯雨林を守るためにはお金を渡すしかない。お金は経済成長しない限り生まれてこないものです。「貧しくても幸せ」であることになんの異議も呈するものではありません。私もあまりお金はないけれど幸せです。が、「貧しくても幸せ」な国は熱帯雨林を守ることはできない、という厳しい一面を我々は見ているのではないかと思うのです。

増える自然とお金の「取引」の申し出

エクアドルの提案をさらに考えてみましょう。石油開発から得られると想定される収入の半分というのが彼らの言い値ですが、そもそも熱帯雨林の価値とその下に眠っている石油の価値はなんの関係もありません。もし、エクアドルの議論が正しいとすれば、天然資源が下に埋まっていない熱帯雨林の価値はゼロということになってしまいます。もちろん、これはおかしい。熱帯雨林にはそれ独自の価値があるからです。エクアドルはたまたま石油を価格付けの根拠にもってきただけです。

他の国がエクアドルの前例を踏襲する必然性はありません。熱帯雨林の「プライシング」はいかようにも可能なのです。熱帯雨林であろうが、湿原であろうが、河川であっても、価格をつければ金銭と交換が可能になります。これからエクアドルと同じような取引をオファーする国はおそらく増えると思うのです。

究極的な解は「南北問題の解消」

仮定の話ですが、もしエクアドルが日本と同じくらい経済的に豊かな国であれば、今回のようなことは起こったでしょうか? 断定はできませんが、おそらく熱帯雨林を開発しようとはしなかったのではないでしょうか。もし、エクアドルが日本と同じくらいの一人あたりGNPを誇っていれば、幸福指数的発想をしたかもしれない。突き詰めれば、美しい自然も幸福指数も、豊かな国だけが享受できる「ラグジュアリー」という一面があることがわかります。貧しい側に立てば見え方はちがう。

「環境問題は開発問題」だとつくづく思うのです。気候変動問題にしても熱帯雨林の保護にしても、世界中の国が環境保護に同様の価値を見いだすには、本当は世界がある程度均質な経済的状況に至ることが必要なのだろうと思います。貧しい国が貧しいままである限り、地球環境保護にむけて世界が足並みをそろえることには常に困難が伴います。

持続可能な開発

ここで立ちはだかる難問は、「地球環境保護」のためには発展途上国の「経済発展」が必要であるという、一種の逆説です。逆説と申し上げたのは、発展途上国の経済成長は、地球環境保護にむけて国際社会が足並みをそろえるために必要なものでありますが、同時に発展途上国の経済成長はそれ自体が地球環境の大きな脅威ともなるからです。

そうです、「持続可能な開発」という当たり前の議論に立ち戻ってきてしまいました。聞き飽きた陳腐な言葉かもしれません。でも、「持続可能な開発」がなぜ必要なのか、改めて考えるきっかけをエクアドルのnovel planは与えてくれるような気がするのです。エクアドルは経済成長をしなければならないし、究極的には同国が経済的に豊かになることで「世界一美しい熱帯雨林」が確実に守られると思うのです。地球環境保護のために考えなければいけないことは環境のことだけではないかもしれません。

いや〜、世の中難しいことばかりですね〜。でも、その分考え甲斐ありますよね。是非皆様のお考えもお聞かせください。

それではまた次回。お元気で〜。
Au revoir!

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プロフィール

1964年生まれ。経済産業研究所コンサルティングフェロー。経済産業省通商機構部参事官。著書に「ヨーロッパのCSRと日本のCSR-何が違い、何を学ぶのか」、共著に「グローバルCSR調達」がある。

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