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藤井敏彦の「CSRの本質」

企業の社会的責任(CSR)とは何なのか。欧米と日本を比較しつつ、その本質を問う。

続・社会的責任ISO26000私評:ガイダンスという名の規格

2010年4月 5日

(これまでの 藤井敏彦の「CSRの本質」はこちら

この原稿が公開される4月の第一月曜日、小生世界一周出張から東京に戻っているはず。東に移動する度に幾何級数的に増幅された時差ボケでボケ〜としているか、はたまた睡眠誘導剤の濫用で人格に変調をきたしているか。。。西回りならまだ楽なのですが。

基本的に「仕事の本番=日本の外」である小生、欠かせないのが機内対策。最新型のノイズキャンセリング・ヘッドフォーン、ワインをこぼしても心の平穏が乱されないユニクロ謹製シャツ、乱気流の中でも信ずる者をお救いくださる寒川神社の道中安全お守りで防御を固めております。

さて、ISO26000私評の続きです。

前回、ISO26000は二重の意味で特殊だと申し上げました。一つは内容そのものが日本企業に馴染みのないものであること。もう一つは「国際標準化機関」という名前の組織の国際規格であるにもかかわらず「標準化」の力をもたないことであります。

今日は後者のポイントを出発点にしたいと思います。読者各位には意外かもしれませんがワタシはISO26000を高く評価しています。その理由はなにか。たくさんあるのですが最も大きな理由はISO26000が「認証」の対象とならないこと。しかし、それは認証行為が避けがたくもたらす形式化という罠に落ち込む危険がないから、ということにはとどまりません。いわんや認証費用が節約できるからということではまったくありません。

企業が参加するCSRの国際文書は様々あります。例えば「国連グローバルコンパクト」や「赤道原則」もその例ですが、私の知る限り当該規約への企業のコミットメントは、企業が能動的に署名することによって有効となり裏付けられます。署名した企業が署名文書の内容にもとる行為をすれば批判の対象になります。しかし、例えば国連グローバルコンパクトに署名していない企業に対してグローバルコンパクトの名に照らし批判が投げかけられることはありません。なぜならばコミットしていないから。

このように既存のCSRに関する様々な国際的イニシアティブの有効性は、企業側の個別能動的な参加表明を前提としています。このことには当然プラスもあればマイナスもあります。プラス面のひとつは参加企業の当事者意識が強いものになること。他方、マイナス面としては、署名企業は必然的に限られた数にとどまることが挙げられます。大半の企業は「そんなもん知らないよ」と言える立場に身を置く。

他方、ISO26000は認証という一種の「署名確認行為」を排しています。これは私の個人的な予想にすぎないのですが、この構造のインプリケーションは一般に考えられているよりも大きいのではないかと思うのです。つまり、署名という能動的行為を抜きにしてあらゆる企業、組織がISO26000を理解し、またISO26000にコミットメントしていることが前提視されることになるのではないでしょうか。

このことはISO(国際標準化機関)という組織の構造と密接に関係します。ISOは各国の産業の代表をメンバーとする組織です。日本産業の代表はISO26000の策定過程に深く参加し、そして最終原案に賛成しました(コメントを付したうえであるが)。これは日本の産業界がその総意をもってISO26000の指し示す諸原則に賛成したことを意味します(意味してしまう)。もしかしたら読者の中には「代表性」について異論がある方がいらっしゃるかもしれません。仮にそうだとしても、それは日本の内部問題です。

ISO26000に「認証」という個別能動的な参加行為が組み込まれていれば、個別企業、組織のコミットメントの有無は「認証」の有無によって判断されるでしょう。しかし、yes, noの個別表明は前提とされていません。個別合意スキームをなくすことに合意したため、ISO参加国の産業全体として、その内容に合意したとの一種の擬制がより強く成り立つと私は見ます。

言葉足らずで分かりにくいかもしれないので、具体的な例をあげましょう。あえて日本企業の不得意分野である人権の項目から二つ。

CSRを考える上で難しい問題の一つに「共謀」の問題があります。内容の詳細には立ち入りませんが、ISO26000原案は「共謀の回避」を人権に関する課題の一つとし、「共謀」の範疇にはいる行為として「直接的な共謀」、「受益的な共謀」、「暗黙の共謀」の三類型を挙げています。しかし、例えば「暗黙の共謀」については微妙な問題をはらみます。「暗黙の共謀」をも同義的責任の対象にすることについて異論を持つ企業もあるかもしれません。しかし、実際に問題が起こったとき、ISO26000の存在は「そもそも暗黙の共謀など企業が責任を負える問題でなない」と反論する余地を限定的なものにしてしまうでしょう。理由はすでに述べたとおりです。

もうひとつの例として人権に関する苦情処理の条項を見てみましょう。「組織は、自ら、及びそのステークホルダーが利用するための救済制度を定めるべきである」と規定されている。あくまで「定めるべきである」であって「定めなければならない」ではありません。したがって、仮に企業がそのような救済制度を有していないとしてもそれ自体で責を問われることはありません。しかし、「救済制度を定めるべき」であることに合意している以上、なぜ救済制度を持っていないのかについて説明する責任を負うことになるでしょう。

ISO26000はそもそも義務を規定していないため内容的に自己認証にも第三者認証にもなじみません。数あるISO規格の中でも26000は「標準化」の力は極めて弱いかほとんどない。しかし、CSRに関する様々な国際規約の中に置いてみると、特有の潜在力が見えてくるのです。

おそらくISO26000は既存の多くのCSR関連の国際的イニシアティブとは異なる位置づけを与えられるべきではないかと思います。キーワードはsense of ownership(自分のものという感覚)。参加各国の産業界およびその他のステークホルダーの代表が合意したものであり、企業(組織)単位の能動的個別参加というスキーム(逆にいえば受動的個別不参加のスキーム)を前提としていない。ISO26000が指し示す諸原則について世界の産業界、市民団体、労働組合及び政府の間でsense of ownershipが醸成されるのではないでしょうか。小生はそのような観点からもISO26000を評価し、また期待もするのであります。

次にISO26000が発効した暁に重要になるであろうと考えることなのですが、ひとつは「日本の事情にあわせた微調整」への誘惑に抗すること。もう一つは「日本の国内問題」に照らして考えることです。

CSRに関する海外の諸イニシアティブを「和風」に調整して自前のスキームにすることがあります。例えば持続可能な森林に関する認証などもその例ですね。私の知る限り「日本国情に合わせる=要件の緩和」です。結果として「和風」スキームは一歩日本の外に出ると影響力を持たない。わざわざ費用をかけて日本を世界から切り離すだけの結果に終わっているように見えます。ISO26000についても同様に、日本の事情により適合するようにチューニングしたいという声が上がる可能性はあるかもしれません。しかし、これには抗するべきであります。

次にISO26000は国際文書であるが故に、主に海外の問題に適用されるべきものととらえられるかもしれません。しかし、それではもったいない。日本の国内にも多くの問題があります。実際のところ外国企業のCSR調達上の問題として近年赤丸急上昇しているのが日本なのです。この点についてはまた別の機会に考えてみたいのですが、ISO26000が日本企業の海外事業活動をより持続可能なものとするのみならず、日本の社会をより良いものにすることに貢献すれば素晴らしいことではないでしょうか。

国際的共通理解を文書にする交渉に携わることは並大抵なことではありません。一言一句に参加者の利害関係が錯綜します。最後になってしまいましたが、各ステークホルダーの日本代表としてこの難しいプロセスに参加された方々の献身とその成果に心から敬意と感謝を表したいと思います。日本の社会の諸問題の解決に向けて、また日本の企業が責任ある形でグローバルビジネスを展開することに対してISO26000が建設的意味を持つことになれば、関係各位の努力も報われるのではないでしょうか。そして、この新しく登場する国際規格をそのように活かすことは、我々CSRに携わる者の責務ではないかとも思うのであります。

追記

ISO26000と何の関係もないのですが、小生インドを訪れたときの印象を取り上げさせていただいたことがあります(「職場のダイバーシティ(男女平等)がニッポンを救う」)。つい先日になるのですが、インド政府への働きかけが結実し、ある関税の撤廃が実現しました。日本の産業界には年に何十億円という関税支払が削減されることになります。政府間交渉を支えてくださった産業界の方々のご協力、ご支援の賜物です。

日本の社会は産業界と政府を引き離してきました。私は間違いだったと思っています。グローバルな時代、諸事象がグローバルになればなるほど官民が一体となり難局に当たる必要があるのではないでしょうか。そして国際的公共問題に企業が能動的な姿勢をとるべきであるという点において、通商問題とCSRは私の中でつながるのです。

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プロフィール

1964年生まれ。経済産業研究所コンサルティングフェロー。経済産業省通商機構部参事官。著書に「ヨーロッパのCSRと日本のCSR-何が違い、何を学ぶのか」、共著に「グローバルCSR調達」がある。

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