「この不景気にCSRぅ?」にどう反論するか
2009年4月 8日
(これまでの 藤井敏彦の「CSRの本質」はこちら)
ご入学、ご入社の季節にCSR。ご存じのとおり先月から月イチになりました。お久しぶりです。考えてみますに、今日何にもまして知るべきこと。それは「身の丈」ではないでしょか。「身の丈」消費に「身の丈」思考、「身の丈」連載。
ただし、CSRそのものについては別。「身の丈CSR」は避けるべし。経済危機のただ中、CSRの行方はそれでなくても心許ない。ここで縮小均衡に向かうことは消滅への処方箋になりかねません。向こうを張って打って出ましょう。
最近会社の方からご相談にあずかることが増えました。社内で厳しい立場におかれて思案に暮れているご担当は今このブログを読んでくださっている貴殿、貴女だけではありません。もちろん、ワタシができることは一緒に首をかしげて唸ることくらいなのですが。でも、恥ずかしながら研究所の「コンサルティングフェロー」なる肩書きを持つワタシです。今回はCSR版“agony aunt”的な役回りに挑戦(随分前に「オトナCSR相談室」ってやって好評でしたし)。
(注)「アゴニー・アント」:直訳すれば「苦悩おばさん」。新聞の人生相談の回答者のことです。回答者に女性が多いというのが言葉の由来。フィナンシャルタイムスの“LUCY'S ANSWER”はお勧めできる人生相談欄。
いや真面目な話ですね、「CSRで飯が食えるのか」という現場の問いにきちんと答えられるかどうかは、企業が社会の持続的発展という理念に貢献できるかどうかの分かれ道です。拙著「アジアのCSRと日本のCSR」ではひとつの章を割いてオリジナリティあふれる考察をした(当社比)わけですが、今最大の研究テーマです。まとまった暁には本にしますのでお楽しみに〜。
で、まずCSRのビジネス・ケースの議論の歴史的発生と展開を振り返ってみましょう。まずそもそもCSRは人権の擁護、環境保護といった理念を出発点としています。当然、「やったら儲かりまっせ」なんて話ではなかった。ただ、この理念を受け止めて欧州の企業が喜々としてCSRに取り組んだか、というとそうでもなかった。大半の企業はNGOから攻撃を受けて、またそのような潜在的リスクに備えるためにCSRに取り組んだわけです。CSRは理念的に生まれ、恐怖心から実践された。
ここで問題になるのは、欧州であってもNGOとの衝突の恐怖を感じるのはごく一部の大企業に限定されるということです。ということはリスクを推進力としたCSRの拡がりには限界があるということです。
これじゃいかん、とCSRを推進したい欧州委員会が持ち出してきたのが「ビジネス・ケース」の議論です。「CSRは儲かる」という。ただね、この「ビジネス・ケース」の議論って、大半が「市場の進化」を前提とした議論だったわけです。ほら、よくCSRの本に出てくるでしょ。アンケート調査の結果。「環境に良い製品だったら同じ性能の製品よりも10%高い価格でも買う」と回答した人が○○%もいる、とか、ああいうやつね。「市場の進化」って要すれば、消費者は環境意識や人権意識をどんどん高めていくっていう「進化」。そのような前提に立てばCSRに取り組めば啓蒙された消費者をお客として取り込んでプレミアムをとれるから儲けにつながる。荒っぽく言えば。
小生はずっと懐疑的でした。で「ヨーロッパのCSRと日本のCSR」では「そんな消費者実際どこにいるの? アンケートに答えた人って期待されている答えを察して答えてくれただけじゃないの」的な可愛げのないこと書いたわけです。性格悪ぅ。
実際、「市場の進化」は少なくとも論者の方が言うような規模でも速度でも起こっていないと思います。そこにきてこの不況。市場の進化を前提とした「ビジネス・ケース」はさらに説得力を削がれた。「飯が食えるのか」という問いに答えるためには市場の進化を前提としない「新しい」ビジネス・ケースが必要だと思います。最新著の「アジアのCSRと日本のCSR」ではそれを「社内用の説明」と呼んだわけですが。
今日は一つの事例を使います。ただ事実関係が重要なのではなくて、CSRを社内で実践するために関係部署や経営陣をどのように説得するか、ロジックの立てかたに注目してください。小生講演するときとかに使う事例のひとつが動物実験です。ヨーロッパじゃ動物愛護ってすごく大きな社会課題です。モルモット殺すなってね。日本じゃあんま共感呼ばないけど。いつぞやの回でもご紹介しましたが、ある日本の製薬会社のCSR報告書がヨーロッパで「評価に値しない」という手厳しい評価を受けた理由は動物実験に触れていなかったから。ヨーロッパではCSRの大項目です。動物実験って製薬メーカーに限らず化粧品とかいろんな分野の企業がやっておられますから影響は想像以上にあります。
日本の会社で「動物愛護のために動物実験を削減しましょう」って幹部にいきなり言ったらどうなるか。「人の健康、お客様の健康とどちらが大切だと思ってるんだ!」て言われて、結局ヒエラルキーの上位にいる人の意見が結論になる。
欧州の企業も最初は同じでした。ただ彼らはNGOの抗議に直面して動物実験の削減に取り組まざるを得なかった。仕方なくね。基本的にコンピューターシュミレーションで代替していくわけですが、これが結果的には新薬開発の期間短縮とコスト削減をもたらします。かつて自動車メーカーは新車開発にあたって多数のモックアップをつくって衝突実験やっていましたが、時間とコストがすごくかかっていた。この過程をいち早くコンピューターシュミレーションで代替した日本メーカーはモデルチェンジのサイクルを早くできるなど大いに競争上の優位を得たわけです。新薬開発でも同じことが起こった。ただ、そのきっかけとなったのは社会的な圧力であって、そのような圧力を受けた一部の欧米企業がこのようなイノベーションに先行したわけです。
話はまだ終わりません。欧州では一部の製品ですでに動物実験の禁止がルール化されています。つまり、動物実験に頼っていた企業は市場から閉め出される事態に至った。
CSRを通じて明日の社会課題を把握し、課題を乗り越えるイノベーションをいち早く起こす。仕上げはルール化して遅れをとったライバルにとどめを刺す。このダイナミックな競争。これからの競争の形かもしれない。CSRを事業に活かして飯を食っている。
CSRを「倫理」や「愛」に言い換えることは、きっと本来あるべき姿なんだと思います。それこそが本質なのかもしれない。でも、そのような言い換えが現実にもたらしたものは形式としてのCSR、美しい報告書をまとめるCSRであったと思うんです。皆が敬愛して止まない多くのCSR専門家の方の高説も、結果的に企業サイドから見れば「動物実験をやめてイメージを高めれば御社の頭痛薬はもっと売れるようになります」的水準を大きく超えるものではなかったように思います。
「モルモットが可愛そう」では社内を通らない。ビジネスの言葉で事業戦略の合理性から必要性を語れるか、ライバルを押さえ込む、というところまで語れるか、です。
日本では動物愛護の圧力がないから、だからこそグローバルなステークホルダーと対話して課題を把握する必要が一層強いのです。そしてその先、ビジネス戦略を社会との関係でどこまでの大きさで構想できるかが、企業の競争力を左右する。スマートな「大きな競争」をしかけることができれば、日本の会社は良い意味で変わると思うんです。社員が過労死寸前まで働いているのに欧州企業に負けるって、ワタシ思うんですけど、競争の仕方にも問題の一端があるんじゃないかと。
社会の仕掛けを変えていく、そんなことできないよ、と思われるかもしれません。でも、動物愛護は社会のルールを変えたわけ。地球温暖化だけじゃないんです。ほかにも色々ある。CSRで問われる事柄って社会を変化させていく力だから、いかにその力を引き寄せて使えるか。柔道の極意みたいな。
経済情勢はいずれ反転します。「新しい大競争」の時代が来る。そのとき今までと同じ競争の仕方で日本は立ち向かうのでしょうか?
良い考えがあればお聞かせください。パクります(笑)。
ではまた〜。
藤井敏彦の「CSRの本質」
過去の記事
- 藤井敏彦のCSRの本質的最終回:「人権」2011年5月24日
- CSRの新しい軸"Keep integrated!"2011年5月10日
- 震災の教訓を、理念に昇華しよう2011年4月 5日
- あの社のすなるCSR調達といふものをわが社もしてみむとて2011年3月 1日
- エクアドル熱帯雨林「人質」作戦が問う「エコとカネ」2011年2月 1日