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藤井敏彦の「CSRの本質」

企業の社会的責任(CSR)とは何なのか。欧米と日本を比較しつつ、その本質を問う。

CSR、「パブリック・リレーションズって宣伝?」じゃダメなんです

2009年5月 8日

(これまでの 藤井敏彦の「CSRの本質」はこちら

5月です。小生今月45歳という人生最長不倒距離の自己新記録を達成(予定)。しかし、ワタシが空中姿勢の維持に腐心している間にこの世界にも若くて切れる人がたくさん出てきました。負けじと頑張ります。若い皆様の才能を吸い取りながら。かのマイルスディビス先生曰く「新しい音楽をやりたければ若いやつと組め」。

そしてCSRの議論も随分と変容してきました。前回申し上げましたが、

(1)社会・環境問題解決という「理念」への企業の貢献
(2)NGOとの衝突リスクへの対処などの「リスク管理」
(3)「啓蒙された顧客」を前提としたビジネス・ケース

こんな感じできて、小生は新しいフェーズ、つまり

(4)「顧客が啓蒙されなくてもやっぱり儲かる『新』ビジネス・ケース」

を考えなくてはいけない段階に入るのではないかと考えているわけです。知的には公共政策論と企業経営論の二つの円が重なる部分みたいな感じでしょうか。

加えてですね、CSRは今後日本企業に「パブリック・リレーションズ」もしくは「コーポレート・コミュニケーション」と言ってもいいかもしれませんが、のあり方に再考を迫るのではないかと思うのです。なんと言っても、21世紀も早最初の10年の終盤を迎えている今日、我が日本国では未だに「パブリック・リレーションズ」=「PR」=「広告宣伝」、という前時代的認識が根強い。ワタシ憂慮しております。別に「広告宣伝」が悪いんじゃないですよ。でも、「パブリック・リレーションズ」という概念を広告宣伝に縛り付けているのは、「法令遵守」を漬け物石にしてCSRを閉じこめたことに似ている。もちろん、皆様ご存じのとおり我々ニッポンジンって概念を操ることが嫌いなわけですが、それにしてもね。新しい概念に出会うと我々何をするか。どこからか似たような言葉を探し出して、それに重ね合わせてお仕舞いにする。

名付けて、必殺「『○○ったって、要は××だろ』論法」

この「要は」がくせ者。○○という新しい概念が有する新しい意味はこの一言で捨て去られて古い××と等値にされるわけです。「キミィ、『CSR』ったって、要は社会の決まりをきっちり守る、ってことだろ」。

妙に説得力あるから困るよね。

ま、とにかく。パブリック・リレーションズです。色々な本がありますが、一番良いと思った「体系パブリック・リレーションズ」(ピアソン・エデュケーション社)による定義です。

「パブリック・リレーションズとは、組織体とその存続を左右するパブリックとの間に、相互に利益をもたらす関係性を構築し、維持するマネジメント機能である。」

ね、CSRがいかにパブリック・リレーションズと密接に関係あるか、おわかりいただけるかと。ポイントはですね、パブリック・リレーションズを理解し、活動をしている会社と、「PRって要は宣伝でしょ」っていうことで、「組織体とその存続を左右するパブリックとの間に、相互に利益をもたらす関係性を構築し、維持するマネジメント機能」の重要性の理解をしない会社でCSRの見方や取り組みは大きく違ってくるのではないか、という点です。もし会社が「組織体とその存続を左右するパブリックとの間に、相互に利益をもたらす関係性を構築し、維持する」ことの重要性を理解していたら、CSRを単なる法令遵守とは考えないはずです。NGOや政府が提示する公的な価値観と企業活動との関係をより広くとらえようとするはず。

さらに、前回申し上げたような将来の「ゲームのルール」という視点でCSRをとらえ、単に「お客様満足」にとどまらない多変数の競争をしかけるためにもパブリック・リレーションズの活動が不可欠です。例えば、前回例に挙げた動物実験の件もそうですが、ルールを自らのインタレストに沿う形に仕上げていく過程においては世論に対する働きかけや政策立案者に対するロビー活動が欠かせない。パブリシティ戦略やロビー活動はいずれもパブリック・リレーションズの柱。パブリック・リレーションズはお上が決めたことを守ることではなく「関係性を構築する」という能動的行為ですから。つまり、CSRに戦略的に取り組むためにはパブリック・リレーションズ活動が前提になるわけです。

パブリック・リレーションズの理解と実施能力はCSRに関して二重の意味で必要です。まず、CSRを理解する上で必要。そして、CSRを事業に統合して経営上のプラスに結び付けていく上でも必要。

小生のパブリック・リレーションズへの思い入れは、行政官としての経験に根ざしています。もちろん、ブラッセルでロビイストとして活動したということはあります。ヨーロッパのパブリック・リレーションズの世界の中にいたから。ただ原体験はもっと遡ります。米国留学から戻ってきて最初に「課長補佐」という肩書きを与えられた仕事。入省8年目にして初めて国際的な仕事(一日17時間、土日ほとんどなしで働きましたが、無給でもやるぜって感じでした!ホント)。印象に残っているのがMAI(Multilateral Agreement on Investment)という多国間投資協定の交渉です。そうそうたるグローバル企業でも、日本の会社はこの手の話(国際的ルール)に関心を持たないという事実。他方、米国企業はMAIに日本市場攻略に必要な要素を盛り込むようUSTR(米国通商代表部)に強力に働きかけていました。例えば外国企業が政府を訴えることができるメカニズムとか。

一般化すれば、パブリックなものに対して企業がどこまで経営上の価値を認めるか、という問いになります。この問いに対する答えの如何は、国際的な公共政策の場合、国益もかかります。最大のステークを持っている産業界の関心がなければ何が「国益」か明確にならないし、交渉者たる政府は孤立する。つまり、企業のパブリック・リレーションズ活動は国益の一部を構成する。

CSRも通商ルールづくりも本質はそれほど変わりません。環境保護と貿易自由化はいずれも国際社会の共通目標です。その実現に企業がどのように貢献し、かつ自らの事業に役立てるのか。いずれにしても公共政策課題を一部企業が引き受けることに他なりません。

拙著「アジアのCSRと日本のCSR」で「CSRは企業の公共政策である」との論を展開したのには、こんな背景がありました。公共政策課題の解決に貢献しつつどうすれば同時に経営のプラスにしていけるか? ココが考えどころ。

確実に言えること。それはパブリック・リレーションズを広告宣伝だと考えてしまえば、肝心の「考えどころ」で思考停止に陥るということです。大半の日本の会社は長らくそうだったように思うのです。みんなで変えていきましょう。日本のパブリック・リレーションズを。Change!

では、今回はこのヘンで。

あ、そうそう、編集部からですね、小生のブログ公開は原則毎月第一月曜日、ってご連絡がありました。来月6月は1日ですね。じゃ、それまでみなさんお元気で。

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プロフィール

1964年生まれ。経済産業研究所コンサルティングフェロー。経済産業省通商機構部参事官。著書に「ヨーロッパのCSRと日本のCSR-何が違い、何を学ぶのか」、共著に「グローバルCSR調達」がある。

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