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藤井敏彦の「CSRの本質」

企業の社会的責任(CSR)とは何なのか。欧米と日本を比較しつつ、その本質を問う。

ファッションバイヤー氏と語る派遣、戦争、日本の将来

2009年2月 2日

(これまでの 藤井敏彦の「CSRの本質」はこちら

エアフランスの機中です。仕事といえばスイスの寒村ジュネーブへの超長距離通勤ばかりの感があるワタシ、今回は珍しくパリ。一日だけですが心なしか気持ちが軽い。旅行で行くヨーロッパはどこも似たりよったりに見えるものですが、ブラッセルに住んでるとき「お上りさん」するとパリの段違いの美しさが目にしみたものです。色彩とか。今でも大好きな街。パリでの休暇とカナリー諸島での休暇、どちらか選ぶとしたら、うーんどちらかな。もっとも、今はそんな設問自体非現実的だけど。

機中、服飾業界に身を置いておられる方とご一緒させていただきました。お仕事で頻繁に欧州に渡られるということ。袖振り合うもなんとかということでいろいろ話を伺うことができました。大変勉強になったらものですから読者各位にもお裾分け(笑)。

で、この方、派遣切りにあった人たちを援助するボランティアをされているとのこと。その観察が面白い。助けを必要としている人の中には所持金が1000円とかいう人たちも多いそうです。しかし、なぜ1000円しか?というのはあるわけです。派遣といっても給料はそれなりにあったはず。二つのグループがあるそうです。一生懸命働いて家族に仕送りして切り詰めた生活をしていた、という人たち。他方で、寮に住みながら給料は全部パチンコ、っていう人たちも。

うーむ、自己責任と社会的救済と、どう考えるか。難しいですね。すべてが「社会のせい」ではないし、とはいえ、すべてが「自己責任」でもない。皆さんはどう思いますか。小生はやはり派遣労働者に対する社会的セーフティネットの極端な弱さが根本にあるとは思うのです。ただ「派遣切り=可哀想」というステレオタイプを作ってしまうと、そこにもたれかかる向きもでてくるだろうとは思います。メディアは「弱者」と「強者」を峻別する。そして「弱者」は決して批判の対象にならない。派遣村の取材でね、「いや〜、お金貯めとけばよかったんですけど、競馬好きで、ハハハ」なんてコメントがあっても決して紙面には載らない。新聞はある意図をもって現実の一面を報じるわけです。そして政治はそのような単純化された構図に乗る。でも現実はもっと多面的。この辺のバランス感覚、常に持っていたい。

派遣に関する小生の考えを聞かれて、小生、「ようこそ2009年、こんにちは社会主義(前編)」の回で書いたようなことでご返事したのですが、先輩は「今の若い人は甘えている」とおしゃって。突き放すのではなくてボランティアで活動されている方の言葉だけに、重さを持って真実の一面をついていると思った次第です。

同時にお話していて今の経済状況が非常に厳しいものであることを改めて実感しました。ワタシには手の届かない高価なブランド品を扱ってこられた同氏、バブル崩壊のときも含めて過去40年の間、つい昨年の11月までは景気が悪いと感じたことは一度もなかったそうです。

「どんな時も波に乗っている成功者って必ずいるんですよ。そういう人は高価な服飾品を求める。そういうコミュニティがあるわけです。でも、ここ数年、メンバーの入れ替わりが激しい。去年ポルシェに乗っていた人が今年には消えているみたいな感じ。」

「でも、とにかく今でも宝石をちりばめたロレックスを求める人はそれなりにいます。入れ替わったとしてもね。消えてしまった購買層は、ローン組んでシャネル買っていたお客さん。」

この非連続性は戦後の日本が初めて経験するものではないかとのことでした。お話を伺いながらワタシが思い出していたのは、ある英語メディアの「歴史の休暇」というコラム。

先進国と呼ばれる国の市民である我々は長い間「繁栄と平和」を当然視してきました。しかし、このように長期にわたる繁栄と平和の時期は歴史上例がありません。過去半世紀、人々は「歴史の休暇」を楽しんでいただけなのかもしれないという論です。「休暇」である以上、いずれ終わる。しかし「休暇」に過剰順応した我々は新しい事態に効果的に対処できなくなっているのではないかと。年始にある会社の方と話していて「社内はパニック状態です。」と仰っておられた。

100年に一度と言われる経済危機と戦争の関係にも話が及びました。「戦争は必ず誰かを経済的に利する。」との指摘。実際、大恐慌後アメリカ経済の回復は最終的に戦争を通じて達成されたわけです。戦争はなんといっても最大の「公共事業」ですから。もちろん、歴史の単純な当てはめには慎重たるべきです。小生、戦争っていうのはないと思います。でも、様々な可能性を考えておく必要があるとは思うんです。現に今世界中で様々な保護貿易的動きがあることが指摘されています。つい先日までは経済自由化こそ成長の処方箋というのが「常識」だった。政府は企業から距離をとることが正しいとされた。そんな常識はもしかすると「休暇」の終焉とともに意外にあっさり失われるのかもしれない。

将来の日本、どうなるか。日本は何を持っていて、持っていないのか。「日本ってこの道一筋の職人さんの技とか、すばらしいものがまだたくさんありますよね。」と仰っていました。そうですね。そういう「徹した生き方」への社会的評価は、ある意味西欧社会がブランドを生んだ背景とは反対のものかもしれません。彼の地では身につけているもので自己の社会的属性を示すことが必要。だからこそブランドが成長したわけです。日本のように黙っていてもその人の生き方が相手に伝わる、というだけの社会的文化的共通性があればあえて身を飾る必要はあまりない。日本の素晴らしいところだと思います。でも、「陰徳」は残念ながら同質的社会の外には伝わりにくい。

前々回、「概念」の重要さみたいなことを申し述べましたが、人知れずこつこつと努力することを尊しとする我々の価値観と、「主義主張」で世界を変えようとする欧米。「不言実行」の日本と「有言」を重んじ「不実行」をあまり恥じない西欧。なかなか接点がない。結果的にえてして欧米の主義主張に引っ張られてしまう我々。性能良いのに買い叩かれる日本の電気製品と「欲しければ売ってあげます」式のヨーロッパのブランド品のちがいにも通じる。なんだか割り切れないけど、割り切れなさを糧にしてじっくり考えていくしかないです。自己責任と社会全体の責任をどうバランスさせるのか、政府と企業の関係、企業と社会の関係をどう考えるのか、市場に何を委ね、何を委ねないのか、そんなこと一つ一つを。

お奨めのブランドとかも教えていただいたんですが、せっかくのアドバイスを活かす機会は当面なさそう。まずは「歴史の休暇」が続くことが何より大切。微力ながら今の仕事で頑張ろうと思います。でも、もし将来パリかカナリア諸島での休暇があれば、その時はいただいたアドバイスを思い出してみようかと思います。

あ、着陸態勢に入るそうです。ではまた。

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プロフィール

1964年生まれ。経済産業研究所コンサルティングフェロー。経済産業省通商機構部参事官。著書に「ヨーロッパのCSRと日本のCSR-何が違い、何を学ぶのか」、共著に「グローバルCSR調達」がある。

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