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藤井敏彦の「CSRの本質」

企業の社会的責任(CSR)とは何なのか。欧米と日本を比較しつつ、その本質を問う。

ようこそ2009年、こんにちは社会主義(前編)

2009年1月 5日

(これまでの 藤井敏彦の「CSRの本質」はこちら

新年明けましておめでとうございます。
本年も「CSRの本質」発奮奮闘執筆いたします。引き続きご愛顧いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

さて、読者の皆様にとって2009年、どんな年になりそうでしょうか。
小生、本業のWTO交渉が再起動。「ルール」と呼ばれる分野です。内容を語ろうとするととりあえず「アンチダンピング協定」と「補助金協定」の改訂交渉ってことになります。でも「一見さんお断り」的に聞こえて感じ悪い。省内でさえ我が「ルールチーム」は密教的呪文(“normal value”とか“benefit pass through”とか(注1))を操る秘密結社かなんかみたいに思われてる節があって。「幸福のダンピング価額」ってな感じ? いっそ魔法の壺でも売るか(笑)。

(注1)「お経」って英語で“mantra”(マントラ)って言います。「He repeated the word like a mantra.」(お経みたいに繰り返していた)とか。この手のややヒネリのきいた語彙をいくつか用意しておくと、相手がこちらの英語力を誤解してくれたりして便利(フジイの能力偽装単語シリーズその1)。

小生の場合、CSRもそうですけど、人にイマイチ説明しにくいもので社会との接点が成り立っている感があります。もちろん、「CSR」だって、「ダンピング」や「補助金」にしても、それぞれの言葉は人の頭の中に一定のイメージを想起させます。そこまでは難しくない。ただ、CSRが「倫理?」みたいな感じで終わるように、その先に進むことは容易ではない。概念を操作可能なものとして過不足なく相手に伝える疎通力の大切さを痛感しています。2009年の課題です。いずれにしても、今年は秘事と私事を努めて両立させなくちゃ。仕事と生活ね。

さてさて、両立と言えば、今年の経済論壇の焦点は「公正」と「自由」の両立ではないかと愚察する次第。というわけで年初のお題は気宇壮大に「ようこそ2009年。こんにちは社会主義」。実はタイトルの後段は借り物です。知り合いの金融機関の方からいただいた感想メールの中の気の利いたフレーズ。今の「空気」を言い得て妙だと思いませんか?

「蟹工船」がベストセラーになり、規制緩和の唱道者であられた中谷巌先生が転向をカミングアウトされる。山口二郎先生は竹中平蔵先生との改革同盟を解消。次のように規制緩和を推進した戦犯の批判をメディアに求めておられます。

水道管にわざと穴を空けておいて、今頃水が漏れていると大騒ぎするメディアは、善意かも知れないが、愚かである。例外なき規制緩和の旗を振った経済財政諮問会議や規制改革会議の連中は現状をどう思っているのだろう。竹中平蔵や宮内義彦にもし会う機会があれば、構造改革の成果が上がって嬉しいでしょうと言ってやりたい。もし政策が失敗したと思うなら、中谷巌のように素直に謝るべきである。

雇用危機も医療崩壊も、政策転換の結果であり、人災である。被害者に対する共感は必要だが、意図的に人災を作り出した連中には怒りが必要である。この七,八年を振り返り、そのような厳しい総括をすることこそ、メディアの役割ではないか。政策を決定した人々の固有名詞を挙げた議論こそ必要である。メディア自身も、規制緩和をどう論じてきたか、きちんと反省してほしい。(東京新聞12月22日)
(出所)http://yamaguchijiro.com/?day=20081222

この世情。世の経済学部で学問多様性維持の観点から保護の必要性が取りざたされている「マルクス経済学」講座に学生が溢れる、というところまでいくかどうかは別にして。気分はなんとなく社会主義。閑散とした都心、クラシックなビアンキ(注2)を駆ってそんな空気を胸いっぱい吸っていると政策的妄想もこれまた膨らむわけであります。ということで、フジイトシヒコ的2009年初夢想、オトソ気分の怠惰な助走を経てやっとここからスタートぉ。

(注2)イタリアの自転車ブランド。チェレステグリーンと呼ばれる独特の緑色のフレームで知られる。メッキで輝くフロントフォークとのコントラストは悶絶するほど美しい。大地震のとき持ち出すべき最初のアイテム。

これまで実施されてきた規制緩和については最近様々な論評がなされています。そして揺り戻しもきている。タクシーの参入規制の再強化とかね。小生、市場機能は大切だと思うのであります。ただ、過去の「規制緩和」はやや話を単純化し過ぎたようにも思います。今日はその点から2つ申し述べたいと思います。

今を遡ること10数年前。留学から戻って最初に与えられ仕事がG7サミットとかOECDとかの多国間フォーラムでした。当時日本がOECDでイニシアティブをとったプロジェクトが「Regulatory Reform」。日本語だと「規制制度改革」ってなります。詳細は省くとして、印象に残っているのが日本提案に対するヨーロッパ諸国の反応。彼らはこう言いました。「必要なのは『Deregulation(規制緩和)』ではない。『Regulatory Reform(規制制度改革)』だ。」実は小生が心許ない英語でしたためた原案は「Deregulation」のプロジェクトとなっていました。「なるほどぉ」っていうことで名称も内容も調整したのであります。一連のやりとり(小生は上司の後ろで聞いていただけなんですが)はなかなか興味深いものでした。そのエッセンスを雇用規制に当てはめてみます。

仮に雇用流動性をある程度高める、という政策目標を設定したとします。日本では非正規雇用に限って規制を緩和するという策がとられました。でも、雇用には正規雇用もあれば非正規雇用もある。正社員になるか派遣労働者として働くか、その分かれ目は本人の選択という面がないとは言えないけど、学校卒業した年の景気という「運」に大きく左右されるのが実態ではないでしょうか。そして、日本の特殊性なのですが、正規雇用の保護の強さ(厳しい解雇要件)は規制ではなく主に裁判判例に起因しています。

ベルギーに赴任して驚きました。夏のバカンス休暇が労働者の権利であるあのソシアルな国であっても、正規雇用の労働者の解雇は日本より簡単です。退職金の積み増しという「お金」の問題にはなりますが。日本で解雇が法的に難しいことも「自主退職」という形に追い込むために陰湿ないじめが横行する一因ではないかと思います。

司法判断が作り出した正規雇用の手厚い保護には手を着けず、存在した規制を緩和した。De-regulation。もちろん、その分「自由」度は高まりますが、その結果、学校を卒業した時のほんのわずかな運の差が後の職業人生における大きな「不公平」につながる事態に至っています。正規雇用と非正規雇用の間で歪みや不公平が生じないよう雇用全体の保護の水準を最適化する必要があった。そのためには、正規雇用の解雇要件を緩和する法規制を「導入」する必要もあったような気がします。必要であれば新しい規制を入れる。これは「今そこにある規制」を叩き壊すDe-regulationの発想では出てこない。Regulatory Reformの考え方が有効です。

ま、そんな感じの話を抽象的かつ一般論としてではありますが当時様々な国とやってました。まだ30になったばかりで英語が今にもまして怪しかったワタシは怖い上司の後ろに座って必死の形相でメモをとっていたわけです。

2点目ですが、これは人間の性というか。規制緩和のプラス面として自由な競争が企業の創意工夫を促し経済全体の生産性を向上させることが挙げられます。これは正しい。でも、おそらく同様に正しいことは、規制緩和によって競争が激化すればコスト削減のためにルール違反をする動機もまた作りだされるという点です。そうしなければ生き残れないとなれば、一部の会社は法令上の労働基準なんて無造作に無視します。もちろん、法令違反によって競争相手を出し抜こうとする誘因は規制緩和の有無にかかわらず常に存在します。でも、例えば自由化の結果料金競争になれば、サービス残業の強要などの違法な手段に訴えてでもコストを低減させようとする会社が出てくる可能性はおそらく高まるでしょう。トラックの運転手さんの状況ね。これからは法定最低賃金でさえ守られないケースも増加していくと思います。かくして監視されない「自由」は「不公正」をもたらしてしまう。こういう局面でCSRだから法令守ろう、なんて言ったって多分誰も聞いてくれません。法令遵守の文脈でCSRという言葉が使われなくなったのは自然なことだと思います。

さらに言えば、経済政策論である規制緩和が政治的な「小さな政府」論(もしくは行政府批判)と結びついたことはあまり建設的でなかったと思います。規制緩和はおそらく多くの場合むしろ「大きな政府」を必要とすると小生は考えています。霞が関で企画立案をする人員数は多少減るかもしれない。でも、基本的ルールの遵守を監視するために新たに必要となる現場の人員数はそれを遥かに上回るはず。現に金融市場の自由化に伴って金融監督機能は拡充されたのですが、どういうわけか市場自由化の影響を最も強く受ける労働市場の監督については180度逆の縮小方向がとられた。今でも。

小生が過去の規制緩和は「話を単純化し過ぎた」と申し上げたのは、こういうことです。「Clear and Present Regulations」をとにかく緩和すればいい、という思考は単純すぎる。なすべきは制度の全体的再設計であり、時に新しい規制を導入する必要もある。規制緩和が進んで血で血を洗う競争の中でも人々は諾々と法令を守る、という筋書きは人間というものを単純化しすぎている。日本の社会は、他のすべての社会と同様、別に聖人君子の集まりではないので。

二面性への配慮であります。全体性というかね。我々人間の一面の弱さやある意味での狡猾さも考慮した上で目標に照らし合理的に規制制度を改革する。小生、改革は不断に必要だと思うのであります。ただし、よくよく考えて。そして規制での対応に限界がある部分はCSRという方法も考える。

あ、スミマセン。新年早々長々と傲慢な論を。続きは次回に譲りたいと思いますが、鍵は二律背反をどう建設的に突破して前進するか。何事につけても。

公正と自由の両立は日本の社会全体の課題。軽さと強さの両立は自転車づくりの永遠の目標。不公正貿易への的確な対処と、対処に名を借りた保護主義の防止の両立はルール交渉の大原則。ダイエットと飲み会の両立はオトコの試練。仕事と生活の両立は、とりあえず頑張る。今の給与明細とビアンキもう一台の両立は。。。突破口はやっぱ、あれか。魔法の壺(笑)。

今年も週に一度お目にかかりましょう。ではまた。

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プロフィール

1964年生まれ。経済産業研究所コンサルティングフェロー。経済産業省通商機構部参事官。著書に「ヨーロッパのCSRと日本のCSR-何が違い、何を学ぶのか」、共著に「グローバルCSR調達」がある。

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