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藤井敏彦の「CSRの本質」

企業の社会的責任(CSR)とは何なのか。欧米と日本を比較しつつ、その本質を問う。

ヨーロッパのアイデンティティとなった環境保護

2009年1月19日

(これまでの 藤井敏彦の「CSRの本質」はこちら

先日、ブラッセル時代に一緒に仕事をした友人が訪ねてきてくれました。ささやかながら歓待の宴。いつになく少し懐古的になったりして。

日本企業のインタレストを守るため力の限りを尽くした日々、最初の日本人ロビイストとしての使命感と困難。もう5年前のことになりました。改めて思います。仕事を通じて成長できることは幸運だと。かつては霧の中で眼を凝らすような思いに苛まれていたワタシ。2004年、東京に戻った時にはその後の職業生活の指針となる世界観と当面これ足りそうなくらいの自信を手に入れていました。

あの4年間がなければ、今頃「CSR?あほらしい。所詮、欧州の保護主義だよ。」と言い放っていたにちがいありません。にもかかわらず、尊大にも拙著「ヨーロッパのCSRと日本のCSR」の中で下記のようなこと口走ってます。公平を期すため自分のかつての立場も一応触れましたが、実際、当時のワタシは今のワタシが声高に批判しているヨーロッパ観を、そのような見方をしたり顔で標榜していたのです。

かつて欧州共同体(EC)が1992年を市場統合の目標年として掲げた際、(中略)市場統合は斜陽化するヨーロッパ産業が生き残りをかけて域内市場を囲い込もうとする動きであると解釈され、日本企業が市場から排除されるのではないかとの懸念が高まった。「要塞ヨーロッパ」説である。実はかくいう私自身、地域統合は競争に敗れた弱者連合の政策であり構造改革を進めることが先決だと考えていた。しかし、実際にヨーロッパに赴任して考えは180度変わった。アメリカや日本との経済競争のために長年慣れ親しんだ通貨の放棄までするであろうか?

ヨーロッパ統合は経済現象として説明される部分においても、核となる推進力は血に塗られたヨーロッパの歴史である。ヨーロッパ全体が運命共同体となり国家間の戦争の可能性を根絶するための仕掛けが市場統合である。平和理念を抜きに経済という側面だけではヨーロッパの統合に向けた強固な意思は説明できない。確かに平和が当然のものとなった今日、統合の推進はかつてよりも難しくなっている。しかし、EUは人権や民主主義という普遍的理念を平和の代理変数とすることによって純経済的な観点からは説明困難な東方への拡大を達成した。仮に市場統合が一部で保護主義的効果を持ったとしても、それは結果であって目的ではない。

ことある毎に日本国内で頭をもたげるヨーロッパ陰謀説は産業の視点のみからヨーロッパを割り切ろうとする日本の癖であり、同時に日本の過剰な自意識の産物でもあるとも言えるかもしれない。どこの国も自らのことを考えるに忙しい。

世界の心像だけではありません。もしあの4年間がなければ、今頃まだ確信が持てていなかったかもしれない。そもそも仕事を通じて自分は何を達成しようとしているのか。まあ、そうでもないかな。何かしら見つけてたかな、頑張って(笑)。ただブラッセルでの4年間は自分に「アイデンティティ」と表現することがもしかしたら可能なもの、そこまで積極的でないとすれば、少なくとも「アイデンティティ・クライシス」に陥ることを心配しなくてすむくらいの「安定した何か」を与えてくれたように思います。

そう、「identity」。人もそして国家も自らのidentityを求めてやまない存在なのかもしれませんね。くだんの歓迎の宴でこの邦訳しにくい言葉を友人は次のように使いました。

フジイ「こんところEUってCSRにも冷淡だし、『ベター・レギュレーション』とか言ってリベラル(市場主義的)な政策傾向だよね。環境も同じであんまり新しいイニシアティブは出てこないのかな。」

友人「社会的側面としてのCSRは確かに停滞しているのかもしれない。でも環境には当てはまらない。引き続きEUは新しい環境政策を打ち出し続けると思う。」

フジイ「ふぅむ。どうして社会と環境でちがうのだろう。」

友人「自分はこう考えている。社会的アジェンダは、まだ時々の加盟国の政権や欧州議会の議席分布に左右される。社会党なら労働者の権利といったイシューやCSRに政治的エネルギーが割かれるけど、クリスチャンデモクラットなら逆。でも、環境はヨーロッパにとって党派の別を超越するアジェンダになった。」

フジイ「具体的にはどういうこと?」

友人「例を挙げよう。欧州議会での排出権取引提案の審議の経緯聞いている? 欧州委員会提案をビジネス寄りに修正する提案がクリスチャンデモクラットの議員から出された。結果的にその修正提案は否決さたんだけど、その理由がすごい。クリスチャンデモクラットが割れて多くの議員が反対にまわった。ビジネスのインタレストを代表する政党にしてこれだからね。環境は企業活動の自由といった中道右派の伝統的アジェンダを時に重要性において上回るものとして認識されているということ。」

「一言で言えば、環境保護はEUのあり方に同化した。identityの一部になった。」

昔のフジイだったら「排出権取引は所詮ヨーロッパの金儲けの企みだよ。」って物知り顔で解説したでしょう。だから今も多くのヒトがそのように考えていることを批判する資格はありません。でも、それは少しちがうんだってことを伝える努力は続けたいと思います。より広い文脈の中に事象を置かないと。政策の修正を実現するためには、その政策を立案されるに至った動機を正確に把握することが必要です。それに、日本という国家がidentityを確立していく上でも、諸外国の努力に冷笑的姿勢をとることはあまり建設的に作用しないように思うのであります。

次回、ヨーロッパの新しい環境政策の具体例をとりあげたいと思います。久しぶりの環境ネタ。EU環境規制マニアの方、乞うご期待です。ではでは。

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プロフィール

1964年生まれ。経済産業研究所コンサルティングフェロー。経済産業省通商機構部参事官。著書に「ヨーロッパのCSRと日本のCSR-何が違い、何を学ぶのか」、共著に「グローバルCSR調達」がある。

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