Web 2.0は我々の文化を殺すのか?(その1)
2007年9月12日
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「Web 2.0」という言葉ももはや手垢がつきまくっており、改めてその言葉を正面から論じるのにためらいを覚えますが、日本では梅田望夫氏の『ウェブ進化論』と西垣通氏の『ウェブ社会をどう生きるか』を両極として、ここ二年ほどで「Web 2.0」を主題に据えた数多くの書籍が刊行されました。
本国(?)アメリカでも、インターネットの情報伝達能力と双方向性に草の根ジャーナリズムの可能性を見るダン・ギルモアの『ブログ 世界を変える個人メディア』、ブログを通じた企業と顧客の対話の重要性を訴えるロバート・スコーブルらの『ブログスフィア アメリカ企業を変えた100人のブロガーたち』、そして企業が顧客を巻き込むオープンなマスコラボレーションを主題とするドン・タプスコットらの『ウィキノミクス マスコラボレーションによる開発・生産の世紀へ』など、Web 2.0 という概念を好意的に見、主張の拠り所とする書籍が多いのは日本と同様の傾向です。
それだけに、インターネットが可能にする個人のエンパワーメント、参加型メディア、集合知といったあたりをまとめて批判するという評判のアンドリュー・キーン『The Cult of the Amateur: How today's Internet is killing our culture』の刊行は、もちろん当方自身の立場とはかなり異なるとはいえ、個人的に楽しみでした。
「アマチュア崇拝」という題名は、能天気な Web 2.0 礼賛の風潮に冷や水を浴びせたニコラス・G・カーの The amorality of Web 2.0(日本語訳)の中から採られたもので、「今日のインターネットがいかに我々の文化を殺しつつあるか」という副題も強烈です。
その内容も題名に恥じない強硬なもので、要旨が Casual Thoughts に簡潔的確にまとまっているのでそのまま引用させてもらいます。
- アマチュアが生み出す、もしくは選び出す情報は信憑性・品質の両面で疑問が残り、プロの成果のただの模倣であることも多く、「ユーザ参加型」の有効性は大いに疑問が残る
- 「ユーザ参加型」というアマチュア崇拝の昨今の流れが新聞社、出版社といった伝統的なメディアの存在を脅かしていることは甚だ遺憾
- 伝統的なメディアは「高い専門性をもった才能」の育成機関としての機能も保持しており、それが失われる社会の損失はWEB 2.0が社会にもたらす利益よりはるかに大きい
- 不特定多数無限大の生み出した情報の氾濫は、真実と虚偽、専門家と素人の境界線をぼやかすだけで、それが望ましい世界をもたらすわけではない
本書は発売とともにその筋で話題となり、Amazon.com のページを見ると、刊行から3ヶ月ほどで50個(!)を超えるユーザレビューが書き込まれています。本書はまた、有名ブログにも数多く取り上げられましたが、予想通りというべきか(Amazon.com のユーザレビュー同様)その取り上げ方の多くは批判的なものでした。世界的に最も有名なブログである Boing Boing は、キーンの名前を出す場合その前に延々と悪罵の言葉を連ねるのが通例になっており、キーン自身そうした本書並びに著者に対する罵倒の言葉をつなげ、「それじゃオイラは、恥ずべきファシストのラッダイトのコミュニストのコントロールフリークの君主主義の失敗したドットコム起業家ってか?」とおどけるほどです。
『The Cult of the Amateur』がそれだけ強い反応を引き起こしたのは、その内容の強硬さが主因なのは言うまでもありませんが、著者自身過去デジタル音楽サイトで起業し、その後技術メディアで執筆してきた人間であるのも大きいでしょう。「ブロガー? パジャマ姿でパソコンの前に座ってる連中のことだろ?」といった端から認識がずれた印象論での批判とは異なり、ブログを書き、SNS で仲間とつながり、Wikipedia で調べものを済ませ、YouTube でテレビ番組のおいしいところをつまみ食いするインターネットユーザの痛いところ、漠然とした不安をついているところがあるからではないでしょうか。
集合知とは言うけれど、Wikipedia をはじめとしてその正真性に保証はない。「みんなの意見は案外正しい」とは限らないし、ネットのおかげでいろいろ便利になり、大量のコンテンツをほとんど無料で享受してるけど、その作り手に正当な対価が落ちているとはとても思えない。実際ウェブのせいで新聞は不振でどんどん人が切られてるし、ロングテール現象で多様性が実現するはずが、現実には売れるものがますます売れているだけじゃないのか? ネットの力だ Web 2.0 だと浮かれて、ユーザは自分たちの首を絞めているのでは……
おっと、キーンの主張に感情移入しすぎました。もちろんのこと、当方は彼の本に全面的に同意するつもりはないのですが、既に長くなってしまったので続きは次回とさせていただきます。
yomoyomoの「情報共有の未来」
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