特異点、精神的麻薬、社会的余剰(前編)
2008年7月16日
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現在オライリーのMake日本版のための翻訳作業を行なっているのですが、前回新作を取り上げたコリィ・ドクトロウの文章が少し考えさせられたので、紹介したいと思います。
SF作家というと未来予測に長けているというイメージがあるが、実際にSF作家が言い当てているのはむしろ「現在」である、とドクトロウは説きます。そして彼はウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』を例に挙げるのですが、実はワタシ自身10年ほど前に当のギブスンが、ドクトロウと同じ主張をしているインタビューをニューズウィークで読んだ覚えがあります(ギブソンが例として挙げていたのはジョージ・オーウェルの『1984年』でした)。
そしてドクトロウは、現在「特異点(Singularity)」について書かれるSFが多いことに触れ、どうして我々はテクノロジーにより人間という種自体をも超越する特異点の話を求めるのか、それは現在の何を反映しているのだろうと問いかけて彼の文章は終わります。現在への失望の裏返しなのか、それとも現在の生活の持続可能性に不安があるのか、あるいは我々を取り巻く新種の精神的麻薬にはしゃぎすぎて高揚してるだけなのか・・・。
この「特異点」という言葉になじみのない方は Wikipedia の「技術的特異点」のページが詳しいので参照ください。この言葉を広める上で大きな役割を果たしたのが著名な発明家レイ・カーツワイルで、ベストセラーとなった彼の著書『The Singularity is Near』は、日本でも『ポスト・ヒューマン誕生—コンピュータが人類の知性を超えるとき』として邦訳されました。
WIRED VISION でも「著名発明家のカーツワイル氏、自身の冷凍保存による延命を計画」、「著名発明家が予測「人類は最先端技術と『融合』する」」という過去のインタビュー記事が読めますが、カーツワイルの主張は極めて明快で、コンピュータを中心とする技術の飛躍的な進歩により人類はじきにまったく新しい進化の段階に突入し、今世紀の半ばには人間は不老不死も同然となると予測しています。
ドクトロウが書くように Singularity という言葉が注目を集めているのは確かなようで、一昨年、昨年と The Singularity Summit と題されたイベントが開かれていますし、最近の記事を見てもカーツワイルは迷いなくイケイケな未来予測を貫いています。
しかし、ワタシはどうしてもこれに懐疑的になってしまいます。そんな直線的に行くものか、と。実際、『ゲーデル、エッシャー、バッハ』の著者ダグラス・ホフスタッターは、新刊を受けたインタビューの中でカーツワイルについて聞かれ、手厳しいコメントを述べています。
レイ・カーツワイルは、自分が死ぬ運命にあるのを恐れるあまり、死を避けたくてたまらないのだと思う。彼の死への執着は私にも理解できるし、そのものすごいまでの強烈さには心動かされもするが、それが彼の洞察力をひどく歪めていると思うんだ。私の見るところ、カーツワイルの絶望的な望みは、彼の科学的客観性を深刻に曇らせている。
ケヴィン・ケリーの「マース=ガロー・ポイント」は、ホフスタッターの指摘を残酷に裏付けている文章に思えます。「特異点」が来ると予測する人たちを調査してみると、ほとんどの人が、自分が生まれて70年、つまり何とか寿命の範囲内の死ぬであろう直前の時期に集中しているというのです。
ぎりぎりで間に合う!彼らはみんな心の中では、自分は驚異的に幸運で、正しいときに正しい場所にいると思っている。
誰だって死ぬのは怖いですし、死の恐怖が原動力となった人類の進歩は確実にあるでしょう。しかし、死から逃れたいという望みが科学的客観性を歪めてよいことにはなりません。
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