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山路達也の「エコ技術研究者に訊く」

地球と我々の未来の行方を左右するかもしれない、環境系技術研究の現場を訪ねる。

臭いアンモニアから、明るい未来が見えてくる(3)

2011年1月28日

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アンモニアをベースにした社会を目指す

──現在、アンモニアは主に窒素肥料の材料として使われているわけですが、燃料としても使える可能性があると主張されていますね。

これは僕らだけの主張ではなく、燃料としてのアンモニアの可能性については多くの科学者が指摘してきました。アンモニアは、環境に与える負荷が少なく、エネルギー、資源といったいろんな問題を全部一挙に解決できる、究極のエネルギー媒体になるのではないかと考えています。

──アンモニアの利点はなんでしょう?

従来のエネルギー媒体である石油や石炭、天然ガスといった化石燃料は炭化水素ですから、燃料として利用すれば二酸化炭素が排出されます。二酸化炭素が地球温暖化にどれくらいの影響を与えているのかはまだ不確かな点も多いですが、化石燃料がいずれ枯渇するであろうことは確実です。

次世代のエネルギー媒体として、水素を用いるという考え方もあります。水素を燃やして出るのは水ですから、環境には理想的ですが、一番の問題は貯蔵と運搬です。はたして、何百気圧もの水素ボンベを積んだ自動車を走らせることができるのでしょうか? 事故が起こったら、おそらく周囲数十メートルが吹っ飛ぶことになるでしょう。貯蔵・運搬の問題を解決しないと水素は使えません。

それを解決するのがアンモニアではないかと考えています。アンモニアの化学式はNH₃で、水素の割合が多いですし、室温でも8.5気圧程度加圧すれば簡単に液化します。液化すれば、ガソリンと同じように貯蔵・運搬も容易です。また、アンモニアは空気中に含まれる窒素から合成されるわけですから、資源が枯渇する心配もありません。

今回の共同研究者である荒芝和也氏(東京大学特任研究員)が実験を行っている様子。

──単純にアンモニアを燃料として使えるんでしょうか?

アンモニアは高温高圧のハーバー・ボッシュ法で作られていますが、逆に言えばそれだけのエネルギーを持っている化合物ということでもあります。アンモニアの分解反応はとても簡単です。窒素と水素に分解する際にエネルギーを取り出せますし、水素自体もエネルギー源になります。

アンモニアを酸素で燃やすと、NOxが出ると言われていますが、今はかなり有効な触媒が開発されています。窒素ガスと水だけしか出さないようにする触媒も存在します。今すぐ実用化できるかといえば課題もありますが、NOxを出さないプロセスを作るのはそれほど難しくはないでしょう。

実際、工学院大学では、液化アンモニアを使った燃料電池自動車も研究されています。

──これまで燃料としてアンモニアが注目されてこなかったのは、アンモニアを作るためにエネルギーが掛かりすぎていたからなんですね。

アンモニアは窒素肥料の原料として使われることがほとんどで、肥料というのはイコール食料です。ハーバー・ボッシュ法のままアンモニアを燃料として使うと、先進国はともかく、発展途上国では食料不足に陥ることになります。食料価格を高騰させたバイオエタノールの二の舞は避けるには、エネルギー消費の少ないプロセスの開発は長期的に見て必須でしょう。

──ハーバー・ボッシュ法は高温高圧を使うため、工場の設備はどうしても大がかりになります。常温常圧でアンモニアが合成できるようになれば、一家に一台アンモニア合成装置を置くということも可能になるんでしょうか?

それは可能だと思います。反応効率を上げるためには多少加圧加熱した方がよいでしょうが、それでも現在のように数百度、数百気圧ということにはなりません。太陽光などを利用して、アンモニアを合成できるようになればベストでしょう。

──実用化する上での課題としてはほかにどのようなことがありますか?

今回の手法は、今まで化学量論反応しかなかった世界で、触媒反応が開発できることを示したことに意義があります。しかし、これで終着点ではなくて、工業化するためにはまだまだ解決しなければならない課題はたくさんあります。プロトン源として特殊な物質を使っているようではダメで、水を使えるようにしたいですし、触媒の寿命ももっと長くしなければなりません。もう一つ、窒素をアンモニアに変換する過程では還元剤、つまり電子の供給源が必要なのですが、現在はコバルトセンという物質を使っています。還元についても、こうした特殊な物質を使うのではなく、電気で行えるようにする必要があります。

究極的には、窒素と水と光からアンモニアを合成できるようにしたいですね。

──ベランダにおいて太陽光を当てておけば、アンモニアが出てくるというイメージでしょうか。何だか、人工光合成を連想します。

確かに、人工光合成に近い反応であると言えます。

開発に成功した触媒的アンモニア生成反応の触媒サイクル(反応機構)。従来法であるハーバー・ボッシュ法とは大きく異なっている。

──アンモニアを化石燃料の代わりに使う社会のイメージはどのようなものでしょうか?

アンモニアは、電気の貯蔵にも使えるのではないかと考えています。電気を蓄えるためには充電池が使われますが、100%溜められるわけではないし放電も起こります。先ほどコバルトセンの代わりに電気で還元できるようにしたいと言いましたが、一番よいのは発電した電気エネルギーでアンモニアを合成して、エネルギー源として蓄える方法でしょう。放電のロスがなくなりますし、貯蔵や運搬も容易になります。

自動車に関しては、ガソリンステーションがアンモニアステーションになるでしょう。そして太陽光を利用して、各家庭でアンモニアが合成される、自分が使う燃料は自分で作るということになるかもしれません。太陽光を使えれば、半永久的かつ低コストなプロセスになるはずです。燃料としてアンモニアを使えば、二酸化炭素も排出されず、クリーンな社会を実現できます。エネルギーや環境の問題も解決するのではないでしょうか。

──アンモニアは劇物ですが、これについてはいかがでしょう?

劇物ではありますが、二酸化炭素をまったく排出しないことを考えれば、代替燃料としてかなり有望だと思います。ガソリンが現在燃料として使用されていることを考えると、アンモニアを使用するのは許容範囲ではないかと考えています。

──どれくらいのタイムスパンで研究を進展させたいとお考えですか?

今回の成果はまだ取っかかりですから、1、2年で工業用の合成プロセスを完成させるのは難しいと思います。早ければ、10年程度で工業的な利用も視野に入るレベルには達するのではないでしょうか。私たちが行っているのはあくまで基礎研究ですが、長期的なスパンで政府や企業レベルが本腰を入れて取り組めば、研究ももう少し早く進むかもしれません。

──ハーバー・ボッシュ法に変わるアンモニア合成法を確立できたら、ノーベル賞ものでしょう。

次世代のフリッツ・ハーバー博士(ハーバー・ボッシュ法は、フリッツ・ハーバーが基本原理を開発し、カール・ボッシュが工業プロセス化を行った)になれたら素晴らしいですね。化石燃料に頼っている世界はいずれ終わりを迎えますから、新しい技術で世界を変えていかなければなりません。人類の役に立つプロセスを開発することが、アカデミックな領域にいる科学者の役割でしょう。技術立国である日本は、もっとこうした研究を武器にして、発展途上国に貢献するといった取り組みを行っていく必要があります。


研究者プロフィール

西林 仁昭(にしばやし よしあき)

1968年大阪生まれ。1995年京都大学大学院博士課程短縮修了。京都大学博士(工学)。東京大学大学院助手及び京都大学大学院助手を経て、2005年東京大学大学院工学研究科長主導の次世代の工学を担う世界のトップを走る研究者の育成を目的とした「若手育成プログラム(スーパー准教授任用プログラム)」の助教授に採用されて、現在に至る。2001年日本化学会進歩賞、2005年文部科学大臣表彰若手科学者賞を受賞。趣味は野球。

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プロフィール

1970年生まれ。雑誌編集者を経て、フリーの編集者・ライターとして独立。ネットカルチャー・IT・環境系解説記事などで活動中。『進化するケータイの科学』、『弾言』(小飼弾氏との共著、アスペクト)、『マグネシウム文明論』(矢部孝教授との共著、PHP新書)など。ブログは、こちら

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