このサイトは、2011年6月まで http://wiredvision.jp/ で公開されていたWIRED VISIONのコンテンツをアーカイブとして公開しているサイトです。

山路達也の「エコ技術研究者に訊く」

地球と我々の未来の行方を左右するかもしれない、環境系技術研究の現場を訪ねる。

重イオンビームが生物進化を加速する(4)

2010年3月12日

  • 前のページ
  • 4/4

1年中咲くサクラや、耐塩性が高くて美味しいイネができた

──これまでに重イオンビームでどんな品種が生まれたのですか?

左から順に、新品種の「オリビア ピュアレホワイト」と、元品種の「オリビア レッドアイ」。新品種の「ワールド」と、元品種の「美榛」。

阿部:市販品種では、18品種の花が登録済みです。元々白い花弁に赤いリングがあったナデシコの「オリビア レッドアイ」を純白にした「オリビア ピュアレホワイト」(北興化学工業)、ピンクの切り花用ダリア「美榛」の花色を濃くして花弁の数を増加し大輪となった「ワールド」(広島市農林水産振興センター)が、特に私は気に入っています。

また、最新では、JFC石井農場の石井重久氏と共に「仁科乙女」という四季咲きサクラの品種改良に成功しました。敬翁桜の枝10本に重イオンビームを照射したところ、そのうち3本がすくすく育ち、うち2本は春にも秋にも咲くようになったのです。敬翁桜が開花するためには8℃以下1000時間という冬の寒さが必須ですが、仁科乙女では低温がなくても休眠を打破できるようになりました。そのため、仁科乙女は葉っぱといっしょに花も咲くのですが、葉っぱを間引くか、葉っぱが枯れる程度の低温にさらせば、一斉に開花します。このときは、敬翁桜の3倍くらいの花がいっぺんに咲きますよ。元々、敬翁桜は切り花によく用いられる品種で、お正月に出そうとすると冷蔵庫に保管するのですが、仁科乙女なら長時間の保管をする必要ありません。

新品種の「仁科乙女」(左)と、元品種(右)の「敬翁桜」。一成開花させた場合、元品種に比べて3倍の花が咲く。

──穀類や野菜ではどうでしょう?

阿部:「日本晴」というイネをモデル植物として耐塩性を高める研究を行っています。東北大学には塩害実験用の水田があり、ここで重イオンビームを照射した日本晴を育ててみました。普通の日本晴は、塩害が発生しているところだと実が白濁して小さくなり味も落ちます。私たちの耐塩性日本晴は、そういう環境の悪い場所でも実が大きいままで、味も落ちませんでした。このようなイネを実用化できたら、海洋農場を作ることもできるかも。

また、矮性(草丈が低いこと)の作物は、倒れにくく収穫しやすいというメリットがあるので、ソバやビーマンなどで実験を行っています。カンキツ類についてはトゲがなければ収穫しやすいという要望があり、みかんでトゲがない変異体を作ってみました。

このほか、南アフリカの研究機関と共同で矮性で倒れにくく収量も多い、ヒエやキビを研究中です。ヒエやキビと聞くと「いつの時代の話?」と思われるかもしれませんが、アフリカの気候ではイネよりも適しているんですね。その土地に適した作物をその土地の人が情熱を持って育種するのがベストです。

平野:これまでの歴史でも、突然変異によってある作物の収量が上がり、海外に輸出できるようになるということが起こってきました。突然変異は、ある国の農業や産業構造をがらりと変えてしまうこともありえるのです。

阿部:みんなのおなかがいっぱいになれば、もっと平和が訪れるかもしれない。そう思って研究をしています(笑)。

──動物については、研究を行われていないのですか?

阿部:90年代に、別のチームがマウスを使って実験していたことがあります。ただ、動物はオスとメスを交配させないといけませんから、なかなか変異体として固定するのが難しいのです。

──トカゲの中には、無性生殖を行う種類もいるそうですね。

阿部:そういう動物ならやりやすいかもしれません。個人的にかねがねやってみたいと思っているのは、金魚です。金魚は系統がしっかり作り込まれており、研究対象として興味があります。どの模様がどうやって入ってくるのか、ヒラヒラした尾びれがどうやってできるのか。低線量の重イオンビームは個体を殺しませんし、金魚ブリーダーと協力して研究してみたいですね。

──今後の研究予定としては、どのようなことを考えていますか?

阿部:どのような品種を作るのかを考えるのはユーザーの皆さんです。私たちはそれを行いやすい条件を科学的に明らかにしていきます。例えば、炭素の重イオンより、鉄を使った方がよいのではないか。どのくらい重イオンビームの速度を落とすのが効果的か。こうした条件が明らかになれば、ユーザーの皆さんもより少ない手間で新しい品種を作っていただけることになります。仮に変異率が倍になれば、苗を育成するための耕地も半分の面積で済むでしょう。

また、抗生物質や薬品、食品添加物を生産するための微生物についても突然変異誘発の依頼が増えてきていますので、こうした分野にも力を入れていこうと考えています。

研究者プロフィール

阿部知子(あべともこ)

東北大学大学院農学研究科修了 農学博士。日本学術振興会特別研究員、理化学研究所基礎科学特別研究員を経て、理化学研究所研究員。組織培養および細胞融合による品種改良、アスパラガスの性分化などの研究を経て加速器に出会う。2008年より仁科加速器研究センター生物照射チーム チームリーダー。趣味として解きたい謎は、花カマキリの進化。

平野智也(ひらのともなり)

千葉大学大学院自然科学研究科博士課程修了(博士(農学))。専門は、植物細胞工学、植物遺伝育種学。2007年〜2008年まで北海道大学創成科学共同研究機構研究員。2009年より理化学研究所仁科加速器研究センターに所属に移り、重イオンビームを用いた植物育種に関する研究に従事し、現在に至る。最近はまっている趣味は、ダーツ。

  • 前のページ
  • 4/4
フィードを登録する

前の記事

次の記事

山路達也の「エコ技術研究者に訊く」

プロフィール

1970年生まれ。雑誌編集者を経て、フリーの編集者・ライターとして独立。ネットカルチャー・IT・環境系解説記事などで活動中。『進化するケータイの科学』、『弾言』(小飼弾氏との共著、アスペクト)、『マグネシウム文明論』(矢部孝教授との共著、PHP新書)など。ブログは、こちら

過去の記事

月間アーカイブ