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白田秀彰の「現実デバッグ」

社会システムのコーディングし直しを考えてみる。

No. 17 教育制度批判 その前に その2

2008年3月12日

(これまでの 白田秀彰の「現実デバッグ」はこちら。

3. ペーパーテストは客観的だよ。

ペーパーテストを擁護する意見の中には、ペーパーテストでの評価が客観的だという指摘があった。確かに、出題された問題への答えの正答率を測るという点では、これ以上に客観的な方法はないだろう。

しかし、私は人間の全体的な能力や価値は客観的に測定される必要がまったくない、と思っているのですよ。個々の能力、たとえば計算が速いとか、漢字を良く知ってるとか、足が速いとか、そういうことなら客観的に評価されてしかるべきだし、我々は、可能な限り能力を高めるように努力すべきだと思う。だから、そういう個別能力の達成度評価にペーパーテストを用いることに反対するものではない。しかし、そうした個別能力の向上というものは、基礎教育の水準で考慮されるべきもので、それが、高等教育とくに大学教育における評価軸だとされていることを批判しているのです。

先の「評価軸の多様化」を是として考えれば、ある人Aさんにボロクソに叩かれている人物Xを、別の人Bさんが高く評価する社会のほうが、多様で安定していると私は考えている。私を除くみんなが「妄言暴言野郎白田氏ね」と言い出す社会。「えぇー、白田ってああ見えてけっこうイイ奴なんだぜ!」ということ自体が憚られる社会。全体主義っぽくて怖いじゃないですか。したがって、私は、A学校が「よい」と判断する学生と、B学校が「よい」と判断する学生は、可能な限りバラバラである方が望ましいと思う。

現在は、センター試験という一つの評価軸で、私立大学までが単線的な評価軸に並ぶ時代だ。正直、私はぐったりした気分になる。

学校の個性化というのなら、極右や極左の教育方針を掲げる学校があってもいいじゃないですか。古典教育しかしない学校、いいじゃないですか。 MITのようにイッてしまった技術オタクだらけの学校、いいじゃないですか。朝から晩までスポーツしかしてない学校、いいじゃないですか。全員が銀行員みたいなマジメ君の学校、いいじゃないですか。そうした多様な選択肢があって、それらの学校に能力を認められて、その大学の発行する学位をもらい、卒業した人たちが、どのように社会で活躍するのかしないのか、それによって学校の価値が自ずと淘汰されていけばよいではないですか。

そういう個性豊かな教育体制においては、当然、学校は *好きな学生を恣意的に選べばよい* のです。好きか嫌いかといった直感的総合判断によるとしても、選抜する側には何らかの言語化困難な主観的基準があるでしょう。その主観的基準の妥当性は、その卒業生を通じて、社会において総合的に評価されるのです。もちろん、恣意的な学生選抜の手法の一つとしてペーパーテストを用いることも全くかまわないと思う。それじゃ、ダメなんですかね。

4. 若者の無気力は教育制度のせいじゃないよ。

この見解の要旨は、「がんばって勉強したところで、社会にはオジサンやジイサンがワンサカいて、自分達の席をガッチリ守っているから、若い人には活躍の場がなくて、やる気が起きないんだよ」というものだ。うん、その気持ちは良く分かる。私ももう40歳だから、若い人たちの挑戦を受ける側に立っていると自覚している。

茶会ではいつも言ってるのだが、若い人には、遠慮なく私を倒して早く先へ進んでいただきたいと願っている。じゃないと心配じゃないか。若い人に言っておくが、若い君たちが先に進むジイサンたちを次々に倒し屍を踏み越えていくことが、ジイサンたちへの最大のはなむけなのだよ。そうすれば、ジイサンたちは世界が存続することを確信して安心して死ねるじゃないか。

で、ここでも先の「評価軸の多様化」を是として、私がいつも学生に言っていることを繰り返しておこう。誰かが通った道を辿ると、前に人がびっしり詰まってる。なんだか美味しそうなラーメン屋に行けば、人がズラリと並んでいる。日本人って、並ぶのスキだよな。そりゃ、誰かが作った道の先頭には「誰か」がいるさ。そりゃ、みんなが並びたがるところの列は長いだろう。それなら、並ぶのやめようよ。

誰も通ってない道を自分で作りなよ。自分が食べたラーメン屋に列を作らせる側に立ちなよ。Aという価値観を無に帰してみなよ。Bという価値観を作り出して普及してみなよ。世界は、君たちが思っているより簡単に一変するよ。オジサンやジイサンたちがガッチリ守ってる席がなんの意味もないことを明らかにしてみなよ。それこそが「創造」なんだよ。そういう意味で、私はサブカルチャーやオタクカルチャーを高く評価しているのだ。誰にも評価されないことで先頭にたつことの困難さと勇気を賞賛するのだ。

今のこの社会を作り上げている「思い込み」は狭くて脆い。ものすごくたくさんの「もう一つの世界」が可能性として存在していることに気がつくことが、私は人間の成長なんだと思う。そうした若い君たちがもつ「世界を変える力」を、安っぽい妄想や出来あいの夢に浪費しないようにと私は訴えたい。学校教育が君たちの多様な能力や夢を抑圧しているのは、社会を支えている「狭くて脆い思い込み」を壊されることが怖くて仕方がないからなんだよ。

まあ、その社会の脆さ故に、逆に「公民教育」が必須になるんだ、ということも付け加えておこう。破壊と創造の絶妙なバランスを保ちつづけることが教育行政の難しいところだ。

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プロフィール

1968年生まれ。法政大学社会学部准教授。専門は情報法、知的財産権法。著書にHotwired Japan連載をまとめた『インターネットの法と慣習』などがある。MIAU発起人。HPは、こちら

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