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白田秀彰の「現実デバッグ」

社会システムのコーディングし直しを考えてみる。

No. 6 No. 5への長い註釈

2007年12月12日

(これまでの 白田秀彰の「現実デバッグ」はこちら。

私は『インターネットの法と慣習』の中で、ネットワークにおいて責任ある公論を生み出すために、固定ハンドル(コテハン=一貫した筆名)あるいは顕名での発言を必須条件として主張した。ところがここでは、国政に関する議論の場において、匿名発言を私が推奨する理由について説明しておく。

私が一般のオンライン言論について、コテハンあるいは顕名を推奨した理由は、無責任な発言、虚偽や誤謬、誹謗や中傷を抑制するためだった。誰が発言したのかが明らかであれば、その発言がなんらかの根拠を持つ発言であるのか、それとも単なるタワゴトなのかを、受け手は発言者に問い合わせたり判断したりしうる。また、ある人物の過去の発言記録は、現在の彼の発言の信憑性を測る手掛かりになる。さらに、オンラインで培ってきた信用や友人関係が人的社会的資産として機能するので、コテハンあるいは顕名での発言者は、それらの資産を維持増加させるために、そうでない場合よりも熟慮をもって穏やかな表現の発言をするだろうと期待できる。こうすることで、市民間での無用な誹謗中傷合戦は、かなり減少すると私は考えた。

ところが、国政に関わる真剣な議論においては──少なくとも議会制民主主義についての私の個人的な理想像においては── 突飛かつ社会に受け入れにくいアイデアであってもバンバン出てきて欲しいし、社会が漠然と受け入れている虚偽や誤謬をバンバン暴いて叩いてもらいたいし、「慇懃無礼」や「上品な皮肉」や「華麗な中傷」というイヤらしい言語技能を高度に発揮していただきたい。

『インターネットの法と慣習』で私が指摘したように、民主制における議会とは「世界のあり方」をめぐる革命や内戦の代替物なのだから、そこには遠慮が無い方がいい。たとえば「しらた氏は、大学の先生なのだから、彼への暴言は慎もう」と考えること自体が、すでに民主政治で要求される討議ルールに違反している。同書において私は、リアル議会のルールとして存在する「議院内での発言の責任を問わない原則」や「議員の不逮捕特権の原則」を紹介した。それらは、いずれも議会内において「歯に衣着せぬ発言」が交わされることを保障している。あくまでもプロジェクトのあり方についての、サツバツとした議論がモヒカン的に進行することが、私が考える議会の理想的あり方だ。

そうであるならば、誰がどの立場から発言しているのかが、プロジェクトに参加している参加者にまったくわからないほうがいい。発言者の社会的地位で発言の重みに差が出ないし、会議室で罵りあいになったとしても、それがリアルでの誰だかわからなければ、リアル生活でのいらぬ紛争や喧嘩にならないだろう。さらにすすんで、会議室でのアイデンティティを他の場所のそれと結び付けることを、法律で制限した方がいいかもしれない。さすがに、「主導者」や後述する「記録報告者」のような役職についた場合には、彼にコテハンを使ってもらわないと誰が誰やらわからなくなってしまうので、運営上困ることになるだろうが。

たとえば、次のようなことを考える。あるプロジェクトでメキメキと頭角をあらわしてきた誰かが、コミュニティの了解のもと主導者に就任した。その彼あるいは彼女がコテハンを使うようになったら、それが仙台市立杜王中学校の二年生だということが判明したとしよう。もし、彼あるいは彼女が中学生であることがわかっていたら、主導者に選出されただろうか? しかし、逆に多数の人間が選出した主導者であるならば、それはどのような背景をもった誰であろうと適切なのではないだろうか?

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プロフィール

1968年生まれ。法政大学社会学部准教授。専門は情報法、知的財産権法。著書にHotwired Japan連載をまとめた『インターネットの法と慣習』などがある。MIAU発起人。HPは、こちら

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